第32話 二学期 2
普段察しが悪くてよくヤスコに小馬鹿にされるけど、藤堂さんが俺の謝りに来たんじゃないのか、それくらいの推察はできた。
だから、藤堂さんの言葉が出てくるのを待った。
けど、何も言わない。必死に何か言おうとしているけど、藤堂さんの口から声は出てこない。
そんな藤堂さんを見ているのは、少し辛い。
ならば、俺から話しかければいいのかもしれないが、依然俺自身も何を話したらいいのか模索中であり、藤堂さん同様に言葉が出てこない状態。
紙芝居の上演でならいくらでも言葉が、声が出るのに。こんな時にはアドリブの一つも言えないなんて。
表情から、普段の藤堂さんからの推測にしかすぎないけど俺に謝りに来たのはたしかだと思う。以前に一度謝罪を受けたことがあるけど、あの時もこんな感じのようだった記憶が。
来てくれなかったのは、約束を守ってくれなかったのは、残念に思う。
でも、それを責めるつもりなんか俺には全くない。
約束はただの約束であって、それは絶対に厳守しなければいけないということではない。あくまで約束であって、世の中には絶対なんかない。
それに、予定は未定であって決定ではない。
俺もそんな風に言い訳をして、これまで数多(あまた)の約束を破ってきた。
「いいよ、気にしなくても」
声を発するつもりは全然なかった。けど、勝手に飛び出してしまう。
呟きといってもいいくらい小さな漏れ出た声だったけど、それは藤堂さんに届いたみたいだった。下を向けていた顔が上がる。視線が俺に向けられる。
推測は間違いじゃなかった。
藤堂さんはやっぱり観に来なかったことを謝罪しに来たんだ。
さあ、これをきっかけにして色々話をするんだ。
なのに、話題が全然浮かんでこない。いや、本当はある。俺の中に藤堂さんに聞きたいことがある。どうして来れなかったのか。それを聞きたい。
でも、聞けない。
この質問をぶつけてみて、その答えが、部活が忙しかった、もしくは家族と一緒にいる時間を優先した、という解答が返ってくれば問題ない。
だけど、もしかしたら全然違う別の理由があったからかもしれない。
聞きたくない答えが返ってくるかもしれない。おそらく、その公算が大きいような。
同様に夏休みに何をしていたのかという質問もすごく危険だ。
だから、話題がない。また黙ってしまう。
その一言は私の中の暗い気持ちをいっぺんに吹き飛ばしてくれた。
けして大きくはない、呟くような、独り言のような小さな声だったけど、私には大きく、強く、そして優しく包み込んでくれているように聞こえた。
落ちていた視線が自然に上がる。結城くんの顔がまた私の目の中に。
その顔は少しだけ曇っているような。気にしなくてもいいと言ってくれたけど、やっぱり内心では……。
結城くんはその後何も話さなかった。
どうして約束を守れなかったのか。どうして観に来なかったのか。夏休みは何をしていたのか。そんなことは一切聞いてこない。
余計な詮索はせずに結城くんはただ黙って座ったまま。
私も何も話さなかった。ただ黙ったまま、いつもみたいに結城くんの横に腰を下ろしただけ。
静かな空間で時間だけが過ぎて行く。
それはすごく居心地が良く思えた。いつまでもこうしていたいと思った。
航
藤堂さんが俺の横に腰を下ろす。その距離は以前よりも少しだけ近いような気が。
何も話さない。俺も何も言わない。というか、何も話題が出てこない。
必死に何か話題はないか考えていると唐突にあの人の言葉を思い出す。言葉で
これは別に芝居じゃない。だけど、無駄に言葉でこの空間を埋めなくてもいいんじゃないのか。静かにしているのも別に悪くはないんじゃ。
そう考えて、そのまま黙っていることに。
だけど、ずっと黙ったままでいるのもなんだか……やっぱり間が持たないような。
横に腰を下ろしている藤堂さんをチラリと盗み見る。
顔色が少しだけど良くなったような気がする。
それからあんまり夏休み前と変わってはいないはずなのに、少しだけ雰囲気が違うような気が。
もとより俺なんかよりも大人っぽかったけど、もっと大人になったような。
夏休みの間に何かあったのだろうかと想像してしまう。その想像は邪まな方向へとずれていきそうになったので慌てて遮断する。
もう一度見る。やっぱり少し変わったような気が。
でも、そのことを話題にして会話をする気はなかった。聞く勇気も無い。
ただ、黙って座っているだけ。
湊
あれから私は毎日屋上へ、結城くんと一緒にいられる場所へと脚を運んだ。
いつも私の周りでは声があった。家では信くんのかわいい声、登下校の電車の中や部活では恵美ちゃんの元気な声、それから夏休みから付き合うことになった先輩の声。
その声が嫌なわけじゃない。
けど、時折静かな時間を欲してしまう。
とくに先輩は私といると終始話しかけてくる、それだけではなく離れていても携帯電話で声を聞きたいと言い、色々と話す。
これが全部嫌というわけじゃない。先輩は私を楽しませようとしてくれていることも理解している。分かっている。
けれど、ほんの少しだけどそれが煩わしく感じることもある。静かにしてほしいと思うことがある。だけど、それを先輩には言えない。
言えば、きっと先輩を不機嫌になってしまう。
黙って聞いている。
だから、この静かな場所は私にとって憩いの空間だった。
ここにいても結城くんは何も言わない。黙ったままで私を受け入れてくれる。
ずっとこの場所にいられるわけじゃない。ここにいられるのはほんの短い時間だけ。
けれど、その短い時間は私にとって大切な時間だった。
この先もずっと、ここで結城くんと一緒にいられると思っていた。
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