第31話 二学期


   こう


 久し振りに足を踏み入れた教室、そこに藤堂さんの姿はなかった。

 どうしたのだろう? 心配になる。

 普段はろくすっぽ聞かない担任の言葉に傾注。夏休み中に事件もしくは事故に、それから怪我に見舞われていた生徒がいたならば何かしらの報告があるはずかもしれない。

 小学五年の時交通事故に見舞われたクラスメイトがたしかそうだったような記憶が。

 報告は何もなし。その手の言葉は担任の口から出てこなかった。

 ということは、俺の心配は杞憂だったということか。

 きっと休みなのは今日だけだろう。明日にはきっと元気な顔で登校してくるはず。

 夏休みに入る前までは、毎日ずっと屋上へと行っていた。

 藤堂さんと会うために、話をするために。

 けど、来ていないのなら行く必要はない。俺は真っ直ぐ稽古場へと向かうことにした。



   みなと


 一日経ったのに、まだ痛みと違和感が。

 痛みは昨日よりも酷いわけじゃない。むしろ小さく、弱く治まっていた。

 それなのに、動けなかった。ベッドの中から一歩も外に出られなかった。

 しなくちゃいけないこともあるのに。今日から二学期が始まる。学校に行かないと。

 それなのに、起きられない。

 このまま寝ていることに。

 学校を休むことに。



   航


 二学期が始まってから三日目。ようやく藤堂さんの姿が教室に。

 あの日以来ずっと会いたかったけど会えなかった人の姿をようやく見ることが。

 本来ならすごくうれしい気分になるはず。けど、それとは違う気持ちに。

 うれしさよりも心配が勝る。

 この二日間登校してこなかったのはきっと具合が悪かったんだ、夏風邪でも患ってしまったのだろう。そう、考えていた。だから、学校に出てきたということは体調が戻った。そう、考えるべきだろう。

 けど、藤堂さんの顔色はすごく悪い。

 比喩などではなく、俺の目には本当に青白く映った。

 夏休みという暑く日差しの強い季節を過ごしてきたとは到底思えないくらいに。

 室内競技の部活だから日焼けとは縁のない生活だったからなのだろうか? 

 しかし青白く見えるのは顔だけだ。制服から伸びている手足は少し小麦色になっている。

 体調がまだ完全に回復していないだけなのだろうか?

 そう考えるのが自然なはずなのに、なぜか違うような気がした。

 長い休みの間に何かしらの事件かトラブルに巻き込まれてしまったのか。いや、それは勘繰り過ぎだ。

 他の理由は?

 もしかしたら、あの時の男と喧嘩別れでもしたのでは。

 いや、そう考えるのは早計かもしれない。そもそも、あの時見たのは間違いだったという可能性だってまだある。見えたのはほんの一瞬のことだったから。

 けど……。もしかしたら……。

 いくら考えていても全部俺の想像、いや妄想にしかすぎない。

 あれこれ考えていても埒が明かない。いっそのこと直接聞いてみるか。それから、紙芝居に来なかったことも併せて。

 無理だ。周りには彼女の友達が大勢。そんな中を掻い潜って藤堂さんに話しかけに行くような度胸なんて持ち合わせていない。

 頭で考えるだけで行動できない。

 行動できず、席から動かないまま放課後に。

 さあ、どうしよう? 真っ直ぐ家に帰るか、それとも稽古場によっていくか。はたまた藤堂さんが登校してきているのだから屋上に行って彼女を待つべきなのだろうか。

 来ない可能性は大かもしれない。もう紙芝居への興味を失ってしまったのかもしれない。

 それでも、もしかしてということもある。どうせすることもないんだ。

 教室から出て、渡り廊下を渡ることに。


   湊


 ようやく登校することができた。体はまだ痛いけど、これ以上休んでいるわけにはいかない。

 しなくちゃいけないこともある。

 結城くんに謝らないと。約束したのに一度も紙芝居を観に行けなかったことを。

 みんなよりも遅れての二学期だから、仲のいい子達が心配してくれる。

 それは本当にうれしい。けど、今はしないといけないことがあるのに。

 結城くんの背中が見える。謝罪しないと。それなのに行けない。

 行けないままで放課後に。

 部活がある。でも休む。そのことを恵美ちゃんに伝える。体調がまだ元に戻っていないから、と。それは事実。だけど、休む理由はそれじゃない。別にある。

 結城くんに会いに、謝罪するために。

 教室から出て別館の屋上へと向かう。夏休みに入る前までは、この道程はすごく楽しかった。けど、今はすごく脚が重たい。前に戻ったみたい、いやそれ以上に。

 それでも階段を一段一段上っていく。まるで刑を執行される罪人のような心境に。絶対に結城くんは怒っているはず。

 ただでさえ悪い体調が余計に酷く、重たくなっていくような気が。

 階段を全部上がる。後は、ドアを開けるだけ。

 ドアノブに手をかける。手が震えてくる。止まらない。以前の私なら、こんな時にはお守り代わりのクマのマスコットから力を、勇気を貰っていた。けど、あの日のデート以降には持ち歩かなくなっていた。

 どうして持ってこなかったのだろうと後悔する。

 けど、後悔しても、悔やんでも、ないものはしょうがない。

 震えを無理やり抑えるようにもう片方の手を。

 力の入らない体で屋上のドアを開ける。 

 


   航


 藤堂さんが屋上へとやって来た。

 小さな喜びが俺の中に生まれる。俺に対して、いや紙芝居に対して完全に興味がなくなったわけじゃないんだ。もしそうなら、わざわざこんな場所になんか来ないだろう。

 安心が俺の中に生まれる、ホッとした気持ちになる。

 でも、一学期の藤堂さんとは違う。いつもなら来てすぐに俺の横に腰を下ろす、といっても少し距離があったけど、それなのに今日はドアの前で棒立ちに。

 俺を見てまるで固まっているようだ。その顔は青空の下で見ても、やっぱり元気がなさそうな、体調の悪そうな青白さ。

 何か言いたげな表情をしているような気がする。口を動かそうとしているけど、声が出ない。そんな感じだ。もちろんこれは俺の推測にしかすぎないけど。

 話そうとしているのに、話せない……ような。

 ならば、こちらから話しかけてみようか。そう考えるが、何を話すべきなのか。

 真っ先に浮かんだのは花火大会の日のこと。あの時横にいた男は一体誰なのか?

 聞くのが怖い。真実は知らないままのほうが幸せなのかもしれない。

 それならどうして夏休みに観に来てくれなかったのか、聞くべきだろうか? この質問は直球すぎるような気も。もう少しオブラートに包むというか、遠回しに質問するべきだろうか。

 けど、どう聞けばいいのか判らない。

 知りたいけど、聞きたくない、事実を直視したくないような。二律背反のような、振り子のような気持ちが俺の中で行ったり来たりを繰り返している。

 でも、どうしよう。このままの状態でいるのも気まずいような感じが。

 だけど、こんな状態で藤堂さんにどう話しかけるべきなのか。

 一月ひとつき以上前にはもっと自然に話ができたような気がしたけど、あれは気のせいだったのだろうか。それとも夏休みという時間のせいで忘れてしまったんだろうか。

 とにかく、何かを言わないといけないと思っているのに、頭の中に言葉が浮かんでこない。

 まるで阿呆みたいに藤堂さんの顔を見つめているだけだった。



   湊


 結城くんは私の姿を見ても何も話してくれない。

 きっと呆れているんだ。約束も守れなかったのにノコノコと屋上までやって来て、と。

 ジッと私を見ている。絶対に怒っているはずだ。約束したのに観に行けなかったことを謝らないと。それなのに声が出ない。口は動くけど、声が外に出ない。

 外から見ればまるで金魚のように口がパクパク動くだけ。

 これじゃ駄目。声を外に出さないと。そうしないと私の意志は結城くんには伝わらない。

 それなのに……。

 結城くんの目が私を見据えている。早く言わないと、謝罪しないと。それなのに焦れば焦るほど声は喉の奥へと引っ込んでしまう。

 このままじゃ何もしゃべれないままだ。何をしに来たのか分からない。

 逃避からの思考なのか結城くんの方から話しかけてくれないかなと思ってしまう。

 けれど、結城くんは何も話さない、口を開かない、ただ黙って私を見ているだけ。

 後ろめたさを覚えてしまう。このまま帰ってしまいたくなる。

 けれど、それをしたらもう二度と結城くんのする紙芝居は観られない。

 それにちゃんと伝えないと後で絶対に後悔することになる。身をもって経験しているから。

 言わないと。でも、やっぱり声が出ない。

 けど、謝っても結城くんは許してくれるのだろうか? 

 このまま黙ったままでいるかもしれない。それとは反対に罵倒されるかもしれない。

 そう考えると、怖くなってくる。

 全然出てこない声がさらに出にくくなってしまう。

 やっぱり帰ろうか。日を改めて出直そうか。弱気な思考が生まれる。

 それじゃ駄目。前と同じ轍を踏むのは絶対に駄目。入学式のあの日から結城くんに謝罪の言葉を伝えるのにどれだけ無駄な時間を過ごしたことか。

 今、しないと。

 頭がクラクラするような。ただでさえ体調がおもわしくないのに。体中の血液が全部下へと流れ落ちていくような気がする。

 上手く頭が働かない。真っ白になっていくような。

 意識がどんどんと下へと。結城くんを見ていたはずの目も下へと。

 私の目はもう結城くんのことを見ていない。目に映っているのは灰色のコンクリート。

 こんなんじゃ駄目なのに。ここに来た意味がないのに。

 そんなことは分かっているのに、声が出ない、謝れない。結城くんの顔をちゃんと見ることさえできないでいる。

 本当に情けない。子供じゃない。自分の意思ではないけど、大人になってしまったのに。

「いいよ、気にしなくて」

 優しい音が私の耳に届いた。


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