第26話 花火
休みの間に紙芝居を観に来てくれる、藤堂さんはそう約束してくれた。
けど、その間会えないのはさみしいような気が。
頭の中にいつかの車の中でのヤスコの言葉が蘇った。
花火大会に藤堂さんを誘え。
誘おうか。いや、前に自分の中で決めたはずだ。胸に秘めた想いを口にして、ギクシャクした関係になるくらいなら、このままずっと演者とファンでいい、と。
でも、これだけずっと一緒にいたんだ。それならば友達としてなら遊びに誘っても大丈夫じゃないだろうか。
いや、この距離感、この関係性がいいのかもしれない。
余計なことはしない方がいい……はず。
俺は恋愛関係にとことん疎いから、よく判らないけど、これで間違いないはず。
多分、藤堂さんは自分よりも背の低い俺のことなんか異性とは思っていない、恋愛の対象になんか考えていないはずだ。
結局言えないまま、二人で屋上を出た。
藤堂さんを誘えなかった花火大会に行くつもりなんか全然なかったはずなのに、今俺の頭の上では夜空一面に大きな華が咲き乱れていた。
ヤスコに無理やり連れ出されたからだ。女一人でいくのは周りから寂しい目で見られるからとかいう訳の判らない理由で強引に引っ張り出されてしまう。
けど、ヤスコの行動を見ていると別に一人でもよかったんじゃと思ってしまう。俺のことなんかそっちのけで一人屋台のはしごに勤しんでいる、励んでいる。
頭上がまた一瞬だけ明るくなった。
花火か。そういえば、あの人が昔言っていたな。打ち上げ花火は、手向けの花と。お盆で帰ってきた人のために打ち上げるんだって。
こんなことを思い出したのは藤堂さんのおかげだ。屋上での会話がなければ、きっとそのままずっと忘れてしまったままだっただろう。
あなたの残したことを続けられる。もしかしたら、辞めてしまっていたかもしれないけど。
まかれた種は俺の中で芽が出た。枯れそうになったけど、一人の女の子のおかげでまた復活し、成長しようとしている。
心の中であの人に報告し、それから藤堂さんに感謝する。
「楽しんでいるかね、少年」
いつの間に俺の傍に来たのかヤスコが言う。右手にはたこ焼き、左手には綿菓子。しかも派手な色彩で彩られた魔法少女アニメの袋。
「まあまあかな」
最初は人ごみの中を歩くのが億劫に感じられた。誰もが上ばかりを観ていて周囲を見て歩いていない。そんな中を進むのは嫌だ。自分ばかりが気を配ってぶつからないように歩くのは一人だけ損をしているような理不尽なような気が。でも、今は少しだけ来て良かったと思える。
「そう、そりゃ良かった。でもね、あの子を誘っていればもっと楽しかったはずなのにね」
「うっさいな」
「ホント、ヘタレよね」
「別にそんなことは……」
誘えなかったんじゃない、誘わなかったんだ。このままの関係でいいと判断したんだ。
……でも、たしかにヤスコの言う通りかもしれない。
「そんなことで落ち込まないで、もっと祭を楽しみなさい」
「楽しむって。そんなに来たかったわけでもないし、花火が見たいわけでもない」
「あのね、こういうのは何年か経ってからまた思い出して懐かしんで、楽しむものなの」
しんみりとした声でヤスコが言う。
「……そうなの?」
なんとなく感慨深げに言うが、ヤスコの言うことだから当てにはならない。けど、聞かずにはいられないような気がした。
「そういうものなの。だから少年よ、今を楽しみなさい」
そう言うとヤスコは焼きそばの屋台に突撃する。両手に持っているのに、まだ食べるつもりなのか。そんなんだから服を買い直すはめになるんだぞ。
轟音が鳴り響き、暗い夜空にいくつもの大輪の華が。
花火の閃光が視界を明るくする。
人ごみの中に知っている人の姿を見つけた。いつもとは雰囲気が全然違うけど間違いない。
藤堂さんだ。
短い時間だけど、屋上で二人きりで過ごしているから見間違えるなんてことはない。
淡い紺色の大人っぽい浴衣。花火の光に照らされた顔にうっすらと大人の色が。いつもとは違う赤の唇は色っぽく映る。
来てたんだ。
屋上では今のこの関係を壊したくなくて誘えなかった。でも、この場でなら果たせなかった願いを叶えるチャンスが目の前にある。
絶好の好機を絶対に掴もうと藤堂さんへのいる場所へと一歩足を踏み出す。
藤堂さんの視線は上空の花火ではなく、横に向けられていた。その先には男の影が。
すごく楽しそうに見える。屋上で見せてくれる笑顔よりも輝いていて、きれいなような。
男と、彼氏と、一緒に来ていたんだ。
見たくない光景のはずなのに目が離れない。意思とは反対に藤堂さんと男を追ってしまう。
横にいる男の手が藤堂さんの手に伸びる。
幸運の女神には前髪しかない。そして行動しないものには微笑まない。
ついこの前俺と握手した手は、今は見知らぬ男と手を繋いでいる。
いてもおかしくはない。どうしてそのことについて考えなかったんだ。
独りよがりの考えをして、妄想をしていたんだ。
足が止まる。藤堂さんと男は人ごみの中へと消えていく。
それをずっと追っていた。そんなことをしても意味なんかないのに。
ただ阿呆みたいに、いつまでも。
「焼きそばとたこ焼き、どっち食べたい?」
能天気なヤスコの声が聞こえた。その声で俺は少しだけ正気に戻る。
「なぁ」
「うん、何? まさか両方食べたいなんていうんじゃないでしょうね」
そう言って両手に持っているたこ焼きと焼きそばの入っているパックを背中に隠す。ヤスコじゃあるまいし、どっちもくれなんて言わない。
「違う。何でも奢ってくれるんだよな」
「いいけど。高いものやエッチなのは駄目だからね」
「べつに高くないよ」
「何?」
「呑みたい」
「何が飲みたいの。Drペッパー。それともヴァージンコーラ。もしかしてサスケ。まさかメッコール」
「ビール」
ヤスコの冗談を聞き流して真剣に要求した。今はそんなものいらない。全てを忘れることができるアルコールが呑みたかった。
「えー、それは駄目」
両手で大きく×印を作りヤスコは俺の要求を却下する。
「何でもいいって言ったじゃないか」
そう言って嫌がる俺を花火大会に連れ出したんじゃないか。こんな場所に来なければあんな光景を見ないで済んだのに。
「でも車で来てるし。アンタが呑んでるのをみたらアタシも我慢できなくて呑んじゃう」
ヤスコが俺の飲酒を止めるのは法律を遵守したからではなく、己の欲望を抑えるためであった。目の前で呑まれればきっと自制が利かなくなると判断しているのだろう。
「一杯だけでいいから」
どうしても呑みたかった。呑まなければいけない理由が俺にはあった。
「ホント、一杯だけだからね」
念を押すように言う。
買ってもらったビールを片手にヤスコと離れ公園のベンチに。
酒は楽しく呑むものだ。そうあの人に教えてもらったのに嫌なことから逃げようとして呑んだ。
こんなことでは忘れられなかった。いつもは美味しく感じる味が、少し苦く感じた。
まだ花火は上がっていた。暗闇の空に一瞬だけ大輪の花を咲かす。
儚く消える。
「まるで花火みたいだな」
口から勝手に洩れ出た言葉は物悲しく、俺には似つかわしくない詩的な表現だった。
でも、その声は花火の音にかき消される。
そして、また花火が上がる。
その下で俺はもう一度小さく後悔の言葉を呟く。その声も花火の轟音と喧騒にかき消されてしまう。
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