第25話 二人の時間 4
結城くんの口から飛び出した二つの単語に私はビックリした。
紙芝居の話でまさかそんな言葉が出てくるなんて。
二つとも一応意味は知っている。
一つはまだ経験したことがない。何時か、どれくらい先になるか分からないけど多分するとは思うのだけど、今の私には全然想像もできないこと。
もう一つは恥ずかしながら経験がある。
敏感な部分に直接触れるのは少し怖いから下着の上から擦って気持ち良くなったことが。
その時の感覚が私の中に。
結城くんの前ではしたないとは思いつつも止まらない。
妄想が頭の中に広がっていく。
脳内で行為の指が私のものから変化していく。あの時握手した結城くんの大きな手に。
結城くんに触られたりしたらどんな気分になるのだろう。自分でするのよりも気持ち良くなるのだろうか。
変なことを考えてしまう。
いけない。
こんな妄想を、脳内の暴走を止めないと。
それなのに止まらない。止まらないどころか加速していくような気が。
鼓動がどんどんと速くなっていく。体中が急速に熱くなっていく。
自分でも分かるくらいに顔が熱く、多分結城くんから見たら真っ赤になっているはず。
……恥ずかしい。
思わずリセットボタンに手を伸ばそうとするけど、現実にはそんなものは存在しない。
何であんなことを言ったんだ。
どれだけ後悔をしても時間は巻き戻せない。
藤堂さんの表情を盗み見る。
耳まで真っ赤に染まっている。
絶対にこれ軽蔑されるはずだ。
早く汚名を挽回しないと。いや、駄目だろ、汚名を挽回したら、それこそ恥の上塗りだ。挽回しないといけないのは名誉だろ。
沈黙が重たい。
とにかく何か言わないと。
そうは思っているのだが言葉が出てこない。頭の中に文字が浮かんでこない。
頭の中がどんどんと白くなっていく。
このまま手をこまねいていたら真っ白になっていくのは必定。
酷い状況に。もしかしたらあの時の紙芝居よりも最悪なことに。
……そうだ、まずは謝罪を。あんなことを口走ってしまったことを藤堂さんに謝らないと。
白くなっていく頭の中で必死に考える。
考えを実行に移そうとしたのだが、声が出せるような状況、というか状態ではない。いつの間にか口の中が乾ききっているし、喉も何かに締め付けられているような感じが。
それでも言わないと。
力を振り絞り声を出そうとする。これは紙芝居じゃないのだから、多少酷い音でも大丈夫なはず。
なのに声が出ない。
「……ゴメンなさい」
なんとか謝罪の言葉を絞り出そうとする俺の耳に藤堂さんの声が。
この気まずい雰囲気の中で俺よりも先に一言しゃべってくれたのは非常にありがたいけど、どうして藤堂さんが謝るの? 謝罪するのは俺の方なのに。
真っ白になりつつあった脳内に戸惑いが生じる。
「……私がおかしなことを訊いたから」
いつもよりもか細い、今にも消えそうな、油断をしていると聞き逃してしまいそうな小さな声で藤堂さんが理由を説明してくれる。
そんなことない。何もおかしなことなんか言っていない。
藤堂さんが質問してくれたから俺は色んなことを思い出すことができた。
忘れてしまったわけじゃないけど、記憶の片隅に大事にしすぎて仕舞いこんでしまったあの人のことを、表に出す、思い出すことができた。
むしろ、感謝したいくらいだ。
「……ありがとう」
その気持ちが素直に言葉になって外へと。
本当にありがとう。藤堂さんがいなければ、あの時の言葉がなければ俺は紙芝居を辞めてしまっていた。永遠に紙芝居と縁を切っていた。
紙芝居をするようになったのはヤスコ達の手伝い。人がいないから助けて欲しいと言われたのはもちろんだけど、それ以上の理由がある。
その理由は表には出していない。それは俺の中にひっそりと仕舞ってあった。
あの人が始めたこと。そして続けたこと。それに影響を受けていた。だからこそ、いなくなっても絶対に続けないと、心の中でそう誓っていた。
なのに、そのことを忘れていた。あのままなら確実に忘れ去ってしまっていた。
藤堂さんの言葉がなければ紙芝居を辞めてしまっていた。おそらく後で絶対に後悔していたはずだ。
「……ありがとう」
もう一度お礼を言う。
外に出たのは声だけじゃなかった。どうしてか判らないけど涙も一緒に流れてしまう。
人前で泣くなんて。
それも好きになった子の前で。
涙を止めようとする。けど、止まらない。意思に反して流れ続ける。量も多くなっていく。
嗚咽になってしまう。
駄目だ。止めないと。止まらない。
歪んだ視界に藤堂さんの姿が映る。さっきまでの真っ赤な色は引っ込み、今度は少し青白くなっているような。
それもそうだよな。高校生の男子が目の前で泣いていたら、どうすればいいのか判らない。困ってしまうのも当たり前だ。
藤堂さんが心配そうにジッと見ている。泣き止まないと。
止まらない。
このまま泣き顔を見られるのは恥ずかしい。けど、止まらない。
だから。俺は心配そうにしてくれている藤堂さんに背を向けてしまう。
湊
突然結城くんに「……ありがとう」と言われた。
戸惑っていたら、今度は結城くんの涙。
涙の量は次第に多くなり、やがて嗚咽へと。
男の子だって泣くことは知っている。信くんが泣く場面をよく見ている。だけど、同世代の男の子が泣くのを初めて目の当りにした。
だから、どうしたらいいのか分からない。
結城くんは自分が泣いている姿が恥ずかしいのか背中を向ける。
どんな理由で突然結城くんが泣き出したのか分からない。けど、その泣いているという行為を恥ずかしいとは思わなかった。
結城くんも泣くんだ。そんなことを思いながら小さく震える背中を見つめていた。
そして結城くんには申し訳ないけど、少しだけかわいいとも思ってしまう。
結城くんの涙が止まるまでちょっとだけ時間がかかった。
まだまだ話したいことはある。それから涙の理由も聞いてみたいような気もする。
だけど、それにはあんまり深入りしないほうがいいんじゃないのかとも思う。推測でしかないけど、涙の理由はおそらく話に出ていた憧れの人のことを色々と思い出したからじゃないかなという気がしたから。
結城くんが落ち着いてから解散に。
また今度、結城くんの気持ちが落ち着いたら訊いてみよう。
航
あんな醜態をさらしてしまったんだ。
愛想をつかすというか、軽蔑されるというか、幻滅というか、これは意味合いが違うな、とにかくあんな光景を目にした藤堂さんは二度と屋上へと足を運んではくれないのではないのかという悪い想像が俺の中に。
気軽に教室で来るかどうか聞ければいいのだけど、そんなことをする勇気はなし。
不安を抱えつつ、いつものように屋上で待つ。
……裏切られた。……良い意味で。
ドアの向うから足音が。
この音を知っている。
来ないとあきらめていたのに、藤堂さんは屋上へと。
いつものように俺の横へと。
湊
あの時は訊こうと思ったけど、結局涙の理由を訊かなかった。
私の好奇心で踏み入ってはいけないような気がしたから。
いつか、結城くんが話したいと思う時があったなら、その時は喜んで聞くけど。
それよりも結城くんには他のお話を、紙芝居のことについてもっと聞きたい。
航
あれから藤堂さんと屋上で色んな話をした。
紙芝居の話から始まり、以前から彼女の懸案であった声の出し方についての簡単な練習を。だけど無断で屋上に侵入しているから大きな声を出したら先生達に見つかってしまう、だから声は小さく、その代わりに俺があの人やヤスコから学んだ呼吸法を指導、といってもそんな大層なものじゃないけど。
でも、口で説明するのはちょっと難しいから実践で。
藤堂さんに俺の腹と背中を触ってもらう。どんな風に息が身体中に入っていくのかを知ってもらうために。
見本を見せるだけでは駄目かもしれない。
次は俺が藤堂さんの華奢なお腹と背中に触れて、息が入っているか確認したいところだったけど、さすがにそれは自重することに。
異性の身体にこれまでの人生で何度か、大半がヤスコのだけど、触れてきた。けど、同年代の女子のはない。上手くなるために必要だからと言えば、藤堂さんは俺が身体に触れることを受け入れてくれるだろう。だが、それはなんだか卑怯な気がして止めた。
本心を言えば、好きな子の身体に触れたい。
けれど、自制心というブレーキをかける。
それに俺の身体に触れてもらう時、恥ずかしそうにしてなかなか触ってもらえなかったから、多分俺が触ろうとすると嫌悪するかもしれないし。
簡単なレクチャーだったけど、藤堂さんの声の出し方に変化が。
ちょっとした朗読も以前の授業の時よりも格段に良くなった。
紙芝居や、演技の話以外にも色々と話した。
最上と思える、幸せな時間だった。
湊
色んな話をした。
話をするたびに、結城くんとの距離がどんどんと近付いていくような気がした。
紙芝居の話はもちろん、声の出し方が自分でも驚くくらいの変化が。
呼吸法、この時実践してもらい結城くんの、もしかしたら私のウエストよりも細いお腹に恥ずかしがりながらそれから嫉妬しながら触れて、まるで風船のようにお腹と背中が膨らむのに驚いたりした。
好きな本の話や、マンガや映画の話も。結城くんは意外にも古い少女マンガにも詳しかった。
同世代の男の子と少女マンガで盛り上がってしまう。
それから結城くんの趣味の自転車の話も。
私も最寄り駅まで自転車に乗っていくけど、結城くんの話を聞いていると、私の乗り方はどうも無駄の多い乗りかたみたいだった。タイヤの空気なんか無頓着だったし、サドルは下げ過ぎているし、ペダルは土踏まずで踏んでいるし。
反省しないと……とは思ったけどサドルを上げるのはちょっと怖いし、ペダルの位置もそのままで乗ったままだけど。
大体は私が聞き役になるのだけど、時には私の話も。
いつも持ち歩いているお守り代わりのクマのマスコットを結城くんに紹介したり、バドミントンの話をしたり、東京の話をしたり。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまう。
一学期はもう後の残りわずか、高校生なって初めての夏休みがやって来る。
夏休みになったらここで話すことはできない。
「来る」と結城くんは言ってくれたけど、そこまでしてもらうのは申し訳ない。私は部活があるから学校に来るけど、結城くんは学校にとくに用事はないはず。
だから、二学期になったらまたここで話を聞かせてもらう約束を。
結城くんは寂しそうな顔をした。
もしかしたら私がここに来ることはちょっと迷惑だったんじゃないのかと思っていたけど、結城くんも私が来ることを、話をすることを楽しみにしていてくれたんだ。
そう思うと、少し嬉しくなってくる。
けれど、ずっと会えないのは私も寂しい。
夏休みの間に必ず結城くんのする紙芝居を観に行く。
そう約束して二人で並んで屋上から出た。
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