第16話 秘密の場所 3


   みなと


 次の日もまた私は結城くんのいる屋上へ。

 その次の日も。

 そのまた次の日も。

 けど、未だに何も話せないまま。

 ただ黙って結城くんの横で腰を落としているだけ。

 本当は、謝らないといけないのに、お礼を言わないといけないのに、それから紙芝居を本当に辞めてしまったのか訊かないといけないのに。

 それなのに……。

 なのに、いつも結城くんの横で黙ったままで座っているだけ。



   こう


 あれから毎日のように藤堂さんは昼休みの終わり頃になると屋上へとやって来る。

 そしていつも俺の横に黙ったままで腰を下ろしているだけ。

 謎だ?

 一体なんの目的があって、わざわざこんな場所まで来るんだ。

 ここから見える景色を気に入ったのだろうか? けど、チラリと盗み見る様子だと、彼女の視線は足元に向けられたままだ。

 それならば、俺に用事があるのだろうか?

 でも、何も言ってこない、話してこない。

 まあ、静かにしてさえすれば別にいい、問題ない。

 そうは思っても、やはり気になってしまう。

 が、それをコチラから聞くことはしない。

 依然藤堂さんは黙ったまま。

 その横顔をチラリと盗み見し、そして何故来るのだろうと疑問に思う。



   湊


 毎日お昼休みの途中からいなくなってしまう私を不思議に思ったのか、恵美ちゃんに「どこに行ってんの?」と聞かれてしまうけど、私はその返答に困ってしまった。

 別校舎の屋上に、結城くんに会いに行っている。

 男の子に会いに行っている、実情はちょっと違うけど、こんな返答をしたら要らぬ誤解を与えてしまうことに。

 なら、より明確な説明をすればいいのかもしれないけど、それを行うためには絶対に紙芝居のことを話さなくちゃいけない。

 紙芝居のことを話したら、もしかしたら子供っぽいと馬鹿にされてしまうかもしれない。

 そんなことはないと思うけど、それが原因でせっかく仲良くなれた子達が離れていってしまうかもしれない。

 だから、……言えない。

「ちょっと……用事が……」そんなありきたりな言葉で濁してしまう。

 恵美ちゃんは追及してくることはなかった。観察眼の鋭い子だから、何かに気が付いているのかもしれないけど。

 それ以降も私は毎日屋上へ。

 屋上でいつも文庫本を読んでいる結城くんの横にいるだけ。

 なにもせず、なにも言えずに。

 よくよく考えてみれば、結城くんにとって私の存在はある意味不気味に思えるのじゃないだろうか。毎日のように屋上へとやって来る。でも、何もしゃべらずに、ただ横で座っているだけ。

私だったら絶対に怖い、不気味、変な人と思ってしまうかもしれない。

 でも、結城くんは私に何も言ってはこない。正確には最初に注意をしただけ、後は私の存在なんかまるで空気みたいに、手にしている本に目を落としている。

 言わなくちゃ、謝らなくちゃ、聞かなくちゃ。ここに来ている理由はハッキリしているのに。後一歩がなかなか踏み出せない。

 なけなしの勇気はここに来るまでの間に全部使い果たしてしまったみたいだった。



 航


 藤堂さんが毎日、厳密にいえば土日を挟んでいるから違うけど、屋上に来るようになって早十日。

 相変わらず、来るだけ、俺の横にいるだけで、座るだけで、話さない。

 静かだから、煩わしい音を出して俺を苦しめるようなことがないからまあいいけど。

 それにちょっとだけ本音を言えば、こんな風に女の子が俺の横にいるのは少しだけ幸せな気分になる。

 だけど、何故来るのかという疑問が消え去ったわけではない。

「……あの」

 このまま一人疑問を懐いていても埒があかない。本人に訊いてみないと。少し緊張するが思い切って声をかけてみる。

「……ふぁい」

 俺が話しかけてくるなんて想像していなかったのか、すごくビックリされてしまう。裏返ったおかしな音が藤堂さんの口から。

「この場所のこと、どうやって知ったの?」

 訊きたい事はたくさんあるけど、まずはこの場所を、屋上のことをどこで聞いたのかを。

「…えっ、その……女の人に教えてもらって」

「誰? その女の人って」

 再び質問する。この秘密の場所を藤堂さんに伝えた相手。その正体は誰だ。

「……結城君と一緒に紙芝居をしていた人。前に弟を連れて紙芝居を観に行った時に結城くんがいなかったから。それで聞いたら屋上にいるかもと教えてくれたの」

 そうだ、藤堂さんは俺が紙芝居をするのを観ている。たしかあの時一緒だったのは……。

「……ヤスコか」

 低くて固くて怖い声。

「ごめんなんさい」

 自分でも思ったのだから、他者はもっとそう感じるだろう。案の定藤堂さんを怖がらせてしまう。いきなり謝られてしまう。

「別に藤堂さんに怒っているわけじゃないから」

 怒っていない。本当だ。藤堂さんは悪くはない、悪いのはヤスコだ。

「……でも屋上に来るの迷惑だったんじゃ?」

「別に気にしてないから」

「……本当?」

 気にしているのか、不安そうな声で聞き返された。

「うん。此処は俺一人の場所じゃないから。誰が来ても文句は言えないよ。それに静かにしててくれて、教師連中に見つからなければ問題なし」

 そう、教師や他の生徒の見つかると面倒だけど静かにしてくれている藤堂さん一人なら迷惑じゃない。

「いいの」

 暗い顔が一変して明るくなった。顔が近付く。目を逸らしてしまう。キラキラと輝く大きな瞳で見つめられると照れてしまう、赤面してしまう。

「……うん」



   湊


 もしかしたら邪魔なんじゃないかな、怒っているんじゃ、そんな考えが結城くんの横にいる間に何度も頭をよぎっていた。

 けど、結城くんはいてもいいと言ってくれた。

 うれしい。それに結城くんから話しかけてくれた。

 このチャンスを、キッカケを逃したら。そしたらまた、ずっと黙ったままになってしまう。

 スカートのポケットに忍ばせているクマのマスコットを握りしめる、勇気を、言葉を絞り出す。

「あのね、毎日ここに来ていたのは結城くんに訊きたいことがあったの」

 言えた。やっと言えた。

 だけど、無情にもチャイムの音が。いつものように結城くんは本を仕舞う、屋上から出ようとしている。

 せっかくなけなしの勇気を出したのに、これじゃ意味のないものになってしまう。

 でも、ようやく話せたのだから明日以降でもきっと大丈夫のはず。嫌われているわけじゃないんだから、いつでも話せるはず。

 だけど、本当に明日も話せるのだろうか? また昨日までみたいに何も話さないままの時間を過ごしてしまうんじゃないだろうか。

 萎みかけてしまった気持ちにもう一度勇気という名の空気を取り入れようと試みる。またギュッと掴む、さっきよりも強く。消えかけた勇気がまた湧き上がってくるような気が。

 この機会を逃したら、また駄目になってしまうような。そんな悪い予感を追い払うために。

 喉で止まったままの声を外へと。

「……あのね、結城くんに聞きたいことがあるの。……もう紙芝居はしないって本当なの?」

 先を行く結城くんの背中に言葉を投げかける。その声は自分でも情けなくなるくらいの弱くか細い声だった。

 言わなくちゃいけないことは他にもある、あの件の謝罪もあるし、お礼も言わなくちゃいけない。

けど、私の中で一番知りたいのはこのこと。あの日、聞いた言葉。それは悲しい内容。だからこそ、ちゃんと結城くん本人に確かめないと。

 結城くんの動きが止まった。そして、私の方を向く。その目は怒っているみたいだ。

 聞いてはいけないことだったのだろうか。後悔する。けど、絶対に知りたい。だから、こうして毎日のように屋上に、結城くんに会いに行ったのだから。

「……もうしない……要らないと言われたから」

 間が少し空いて、それから結城くんの口が動く。

「……えっ」

「だから紙芝居はもうしない。辞めたんだ」

「どうして?」

 これ以上の質問はよけいなこと、火に油を注ぐことになるかもしれない。けど、辞めてしまう真意が知りたかった。あんなに楽しくて、面白い紙芝居がもう二度と観られないなんてさみしい。

「面白くないから。……つまらないから」

「……面白いよ。……それにあんなに楽しそうにしていたのに」

 最初に観た時も、ヒーローショーの後での上演も、あんなに楽しそうにしていたのに、紙芝居を上演していたのに。

「楽しくなんかない。……誰も観てくれないのに」

「観てたよ、大勢。結城くんの紙芝居で人が集まっていた」

「観てないよ。集めてなんかいない」

 言いながら興奮してきたのだろうか、結城くんの語気が強くなっていく。

「……いたよ……私、観てたから。あの日、ヒーローショーの後、みんなを笑顔にするような楽しくて、面白い紙芝居をしていたのを」

 一人で大勢のお客さんを集めて楽しませていた。私もその中の一人だ。

「違う」

「そんなことないよ。私の両親も弟も紙芝居を観ていた。それに面白いって言っていた。あの時大きな拍手もあった。知ってるから」

「……あの時観てたんだ?」

「うん」

 力強く肯いた。観ていたことを知られるのは恥ずかしいけど、そんなことを言っている場合じゃない。

「それじゃ二回目の上演は?」

「……二回目?」

 二回目の上演があったなんて知らなかった。


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