第15話 秘密の場所 2


   こう


 あの日からずっと不調が続いている。

 回復の兆しが全然見えない。

 それどころか日増しに酷くなっていく一方。

 それだけならば、まだいいのかもしれない。耐えがたいようなことが俺の中に生じていた。

 周囲の音が異常に気になってしまう。

 多分、誰も俺のことなんか話題にしていないはずなのに。

 それなのに周りの声が全て俺を誹謗中傷しているような錯覚に苛まれてしまう。

 こんな音、というか声に悩まされるのであれば、静かな場所で静養しているのが一番だろう、煩わしい声に悩まされることもない。しかし、俺は扶養されている身、親から学校に行けと自分の部屋から追い立てられてしまう。

 教室の中の喧騒が苦痛だった。

 一人になりたい、もしくは静かな場所に行きたいと切望した。

 そんな時に思い出したのが、入学祝にヤスコから貰ったもの。

 あの日、入学祝いに貰ったのは、この高校の屋上の鍵。

 昔、ヤスコがまだこの高校の生徒だった頃に学校には内緒で作ったものらしい。

 しかしながらヤスコがこの学び舎から巣立って早十年以上。まだ使えるのか?

 兎に角誰もいない場所を求めて、使えるかどうか判らない鍵に一縷の望みを託す。

 開いた。

 誰もいない、静かな、そして一人だけの空間がそこには。

 その日以降、俺は休み時間は屋上で過ごす。

 一人でいることは別に苦にならない。

 もし退屈を感じたとしても暇をつぶす手段もある。

 持ってきた文庫本を広げた。

 あの人からのお薦めで、もう何回も読み直した小説。

 晴天の下で、この小説を読めば、落ちてしまった気持ちが少しは浮上するかもしれない。

 そんな期待を込めて読書に勤しもうとした。

 駄目だった。

 前に何度も読んだ時には、面白かった、楽しかった、読むたびに新たな発見があった。

 なのに、読むのが苦痛になってくる。

 どうしてこうなったんだ。

 その理由は、原因は自分だ。そんなことは判っている。

 こんな状態から一刻も早く抜け出さないといけないのに、その抜け出し方が判らない。

 自分のことのはずなのに、どうすればいいのか。

 どうすればいいんだろう、これから?

 ……紙芝居をすることもなくなった。

 ……助っ人を首になった。

 ……二度としないと言ってしまった。

 ……俺はこれから先、一体何を目的に生きていけばいいんだろう。

 ……判らない。

 


   みなと


 教えてもらった場所にすぐには行かなかった。

 というのも中間試験が間近に迫っていたから。 

 相変わらず結城くんの姿は休み時間になると教室からいなくなっていたけど、私はそのことが気になりつつも教科書とノートに目を落として試験勉強を。


 ちょっとだけ自信のない試験もようやく終わり、今日から通常授業に。

 試験期間中はずっと午前中だけだったから、久し振りのお弁当。

 結城くんの姿はやっぱり消えていた。

 あそこに行ったのだろうか。だったら行かないと。

 お母さんが作ってくれたお弁当を大慌てで口とお腹の中に。

 ちょっと用事があると言って、恵美ちゃん達のグループから一人抜け出す。

 教室を出て廊下を歩き、渡り廊下を。

 この高校で学ぶようになって大分と経つけど、渡り廊下の先にある別校舎にはあまり足を踏み入れたことがない。

 雰囲気が一変する。向うの校舎は賑やかで活気にあふれているけど、こっちの校舎はすごく静か。

 静かすぎてちょっと怖いくらい。

 そして不安になってくる。結城くんはいるのだろうか、と。

 弱気な気分になってくる。引き返そうかと考えてしまう。もしかしたら、あの時紙芝居のお姉さんから聞いた言葉を私が勘違い、もしくは聞き間違えてしまった可能性もあり得る。

 やっぱり引き返そう。それからもう一度ショッピングセンターに行って聞いてみようか。

 ……でも、せっかくここまで来たんだ。……一応行ってみよう。……行って、いなかったら、その時はその時。

 とは思いつつも不安な気持ちに変化はなし。

よく響く階段を上る音が、私の中の不安、それから孤独感を増大させていく。

 階段がなくなる。つまり一番上にまで来た証拠。

 私の目の前には扉が。紙芝居のお姉さんの話によれば、このドアの向こう側、屋上に結城くんがいるはずなんだけど。

 けど、本当にいるのだろうか?

 たしか校則では生徒の屋上への立ち入りは禁止されていたはず。

 せっかくここまで来たのに私の中の弱気がより強くなっていく。

 ドアを開けるだけ。開かなければそのまま帰ればいいだけだし、もし開いたのなら結城くんがいるのか確認すればいいだけ。

 それなのに手が動かない。

 ポケットの中に忍ばせてきたお守り代わりのクマのマスコットを左手で強く握りしめる。

 ほんの少しだけど私の中に勇気が湧いてくる。

 このなけなしの勇気でドアノブを掴む、そのままの勢いで回す。

 回った。

ということは誰かが屋上にいる証拠。それはきっと結城くんのはず。

確認していないけど、根拠のない自信が私の中に。

来てよかったと安心する、と同時に別の問題が浮上。来たのはいいけど、どうやって結城くんに話しかけよう。

 来ることに精一杯で、その先のことは全然考えていなかった。

 いることは分かったのだから、今日のところは帰って、また後日話しかけるきっかけを検討してから訪れようかな。

 ああでも、開いたけど居るのが絶対に結城くんとはかぎらないし。

 一応確認しておかないと。

 どうしよう。

 頭が混乱してくる。プチパニック状態に。

 ドアが勝手に外側へと開いていく。私の重みで開いていく。

 青と緑の綺麗なグラデーションが目に飛び込んできた。

 知らなかった。登下校や日々の教室で見慣れた景色だとばかり思っていたけど、校内にこんな風景が広がっていたなんて。

 屋上へと足を踏み出す。

 フェンス間際まで歩く。

 山の景色とは反対側も見てみる。はるか先にあるツインビルが。

「うわー」

 思わず声が出てしまう。

 頭の中のプチパニックが消える。

「見えるよ、そこにいると」

 背後から声が。

 この声を知っている。私はこの声の持ち主に会うためにここに来たんだ。

 ……けど、見えるというのはどういう意味だろう?

 考える。

 スカートを両手でしっかりと押さえる。ここに立っているとスカートの中が下から見えるのかもしれない。一応中に見せパンのようなものを穿いているけど、それでも見られてしまうのは恥ずかしい。

 それにしても結城くんすごいな。こんなことにも気が使えるなんて。

「……違う」

 再び結城くんの言葉が私に。

「……えっ」

 それじゃ見えるというのはどういう意味?

「そこにいると下から見えるから。屋上に侵入していることがバレるから」

 私の中の疑問に答えるように結城くんの言葉が続く。

 そうだ、屋上への生徒の立ち入りは禁止されている。ということは無断進入していることになる。先生に見つかったら大変。

 けど、どこに?

 結城くんの横に行こう。そこなら見つからないはずだし、それに日陰だ。

 横に腰を下ろす。でも、スカートを汚したくないから、腰は少し浮かせて。

 そういえばこんな風に男の子の横に座るのは初めてだ。そう考えると変に意識して緊張してくる。頭の中がまたパニックになっていく。

 結城くんと話をするためにここに来たはず。話す相手がすぐ横にいるのに、何を話していいのか分からない。

 時間だけが勝手に過ぎていってしまう。



   航


 俺一人だけの空間に突然の闖入者が。

 入ってきたと思ったら、そのままフェンスまで直進。どうやら景色に見とれているらしいけど、その場所は危険だ。下手したら教師に見つかってしまう。

 注意をするけど、勘違いをされてしまう。もう一度説明し、理解してもらう。

 突然の来訪者は知っている人間だった。

 藤堂湊、クラスの人間だ。

 彼女は俺の横に腰を下ろす。一体何をしに来たんだ?

 疑問を抱いている間にも時間は過ぎて行く。チャイムが校内に鳴り響く。

 教室に戻らないと。本当はあんな場所に戻りたくないけど。

「出て、鍵を閉めるから」

 藤堂さんが屋上から出たことを確認して俺は鍵をかけた。


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