第14話 秘密の場所


   みなと


 二日ぶりに登校してきた結城くんの背中が、なんだか哀しそうに、ものすごく小さく見えた。

 一昨日にはあんなにも輝いて、楽しそうに、広い場所もものともしないようなくらい大きく見えていたはずなのに。

 昨日、休んでいる間に何かあったのだろうか?

 気になってしまう。

 本来なら結城くんの背中の向こうにある黒板の文字をノートに書き写さないといけないのに、もうすぐ高校生になって初めての試験があるから、それなのに私の視線はずっと結城くんに。

 授業そっちのけで観察を。

 こんなふうに一人の男の子を見ているに初めての経験。

 ちょっとだけ、いけないことをしているような感じが。

 でも、観察することは別に悪いことじゃないはず。バドミントンでも対戦相手の動きを観察するのは大事と恵美ちゃんも言っていたから。

 そう、これは今後のための練習に、貴重な経験になるはず。

 それにあんなに暗い、沈んだような雰囲気の結城くんに話しかけることなんかできない。

 絶対に結城くんに話しかける。そして謝罪して、お礼を言って、それから紙芝居の感想を伝えると決めたはずなのに、でも今の結城くんにはできそうにもない。

 だから、観察して結城くんの様子が話しかけやすそうになるのを待つことに。

 待っていたけど、駄目だった。

 今日は駄目だったけど、明日には戻っているはず。

 きっと今日は具合が悪かったんだ。

 昨日休んだんだから。

 

 そう思っていたのに、結城くんの背中は依然小さく映ったまま。

 それだけじゃなくて、いつもは休み時間は自分の席で文庫本を読んでいるのに、今日はいない。消えている。

 どうしたのだろう?

 用事だと思うけど、ちょっと気になってしまう。

 次の休み時間もいなくなっていたら、後をつけようかな。そんなことを考えながら、こっそりと無人の席を見ていた。

「藤堂さん、もしかしてアイツのことが気になってんの?」

 恵美ちゃん経由で親しくなって話すようになった子に突然言われた。

 誰にも気付かれないように、こっそり見ていたつもりだったのに。

「授業中もなんか見てるよねー」

「ちょっとアヤシイよねー」

「もしかして好きになっちゃったとかー」

 女子は本当にこの手の話題が好きだ。

 だけど、それは勘違いだ。

 たしかに気になっているし、好きか嫌いかと問われたならば、好き、と答えると思う。だけど、この好きというのは、この子達が言っている恋愛の意味の好きではなく、結城くんのする紙芝居が好き、ということ。

 それに恋愛感情の好きというのが、私はまだよく分からない。

 でも、それを説明するのが少し面倒くさい。

 紙芝居のことを話さないといけないし。話したら、子供っぽいと思われてしまうかもしれないし。

「……ううん」

 と、否定を。

 私は結城くんのする紙芝居は好きだけど、結城くんを恋愛的な意味合いでは好きではない……はず。

 ……多分。

 

 結城くんの背中はまだ小さく見えたまま。

 どうしよう?

 話しかけにくい雰囲気だけど、ここはお守り代わりのクマのマスコットの力を借りて、勇気を出して結城くんに話しかけてみようかな。

 あの暗い雰囲気のままの、小さく映る背中をずっと見ているのはちょっと辛い。

 けど、教室でいきなり話しかけたりなんかしたら迷惑かもしれない。それに、周りに変な誤解を与えてしまうかもしれない。

 そうだ。教室で、学校で話をするのが難しいのなら、別の場所ですればいいんだ。

 あの紙芝居の上演が行なわれるショッピングセンター。あそこに行けば、きっと結城くんと話ができるはず。

 うん、そうしよう。

 それなら早速今週の日曜日にでも。ああ、駄目だ。たしか日曜日は部活があるんだった、そして翌週も多分。

 でも、その次の日曜日になら。

 それに、もしかしたらその間に結城くんの小さく見える背中は元通りになっているかもしれないし。


 結城くんの背中はずっと小さなままだった。

 私もなかなか行く機会に恵まれないままで、時間だけが、日にちだけが無情に過ぎて行ってしまう。

 でも、今日は行ける。

 テスト期間に入ったから部活はなし。恵美ちゃんとどこかに遊びに行く予定もなし。

 けど、一人であの場所に行くのは少し恥ずかしいような気が。

 そこであのショッピングセンターに買い物に行くというお母さんと信くんに便乗することに。

 一応、信くんの付き添いという名目で、二人であの紙芝居の上演される場所に。

 いない。

紙芝居の上演の準備をしている人はいるけど、そこに結城くんの姿はない。

 いるのは最初の時に見た女の人と、それからお腹の大きな女の人。二人だけ。

 もしかしたら後から遅れてくるのかな。そんなことを考えていたら、いつの間にか上演時間に。紙芝居の上演が始まる。

 意気込んで来たけど、小さな子に交じって観るのは恥ずかしいような気が。だから私はあの時のように後ろの柱の横で。

 でも、柱の後ろに姿は隠さずに。

 ……それなのに、結城くんは来ていない。女の人二人だけでの紙芝居の上演。

 紙芝居が終わる。

二人とも上手だったけど、なんだか少し物足りなかったような。

 その理由は分かっている。多分、結城くんのする紙芝居じゃないから。

「おねえちゃん、かえろ」

 信くんが私の元へと走ってくる。

 どうしよう。これじゃ来た意味がない。もしかしたら次の上演時間には結城くんが来るかもしれない。それまで待ってみようか。

 ……でも、来ないかもしれないし。

 結局、諦めて帰ることに。お母さんを待たせてしまうのも悪いし。

 信くんの手を繋ぎ、お母さんと合流を。

「……どうして、いないんだろう?」

 言葉にして外に出すつもりなんかなかったのに、心の声がつい外に小さく洩れ出てしまう。

「だれがいないの?」

 小さな呟きだったにもかかわらず、幼い弟の耳にまで届いてしまったようだ。

「……えっと……ゆう……紙芝居のお兄さん」

 素直に白状する。このまま黙っていることは不可能だということを、骨身に染みるくらい分かっている。

知りたがりの年頃なのだ。

「じゃあ、ぼくきいてくる」

「えっ……ちょっと」

 そう言うと信くんは全速力で引き返してしまう。幼い弟を一人にするわけにはいかない。それに何か変なことを話す可能性だってある。全力で小さな背中を追いかける。

「かみしばいのおにいさんはどうしていないんですか?」

 追いついた時にはもう女の人に信くんは質問をしていた。

 物怖じをしない、積極的な性格。少しうらやましい、私にはできないこと。本当に半分血を分けた姉弟なのだろうか。

「おお、前にも来てくれた子だ。でも、ゴメンね。あのお兄ちゃんの紙芝居はもうないかも」

「えっ」

 その言葉に思わず驚きの声が出てしまう。

「おお、お姉ちゃんも一緒か。また来てくれたんだ、ありがとね」

 隠れていたつもりなのに、しっかりと顔を見られていた。しかも憶えられていた。

「私は弟の付き添いで……紙芝居を観るつもりは……」

 本当は興味があって観たのだけど、それを言うのが恥ずかしかった。とっさの言い訳を。

「付き添いでも子守でも、冷やかしでも観てくれるのは嬉しいことだから。とくに中高生は紙芝居なんかに興味無いもんね」

「それよりも、さっきの話。本当ですか?」

 そう、さっきの言葉は本当なのか。ちゃんと確かめないと。

「さっきの? ああ、お兄さんのこと。何? お姉さんも航に興味があるの? 意外とモテるなアイツ。こんな子に好意を懐いてもらえるなんて果報者だな」

 誤解をされる。そんなつもりなんて全然ないのに。

「……違います。あの、結城くんとは同じクラスで……」

 しどろもどろになりながら言う。どうして、そんな捉え方をするのだろう。私は純粋に結城くんのする紙芝居が好きなだけなのに。

「ああっ、航と同じクラスなんだ。見た目よりも大人っぽいね」

「あの、それで……」

 この無駄に高い身長のせいで昔から年上に見られてしまう。全然大人なんかじゃないのに。体は大人になりかかっているかもしれないけど、心はまだまだ子供のまま。ちっとも成長していない。

「そうだ同じクラスならさ、普段の航の様子知ってるよね。アイツ学校ではどうしてる?」

 質問したはずなのに、反対に質問されてしまう。

「……連休明けからずっと変な、元気のないような雰囲気で。……それからいつも休み時間は教室からいなくなっていて」

「航のことよく見てるね」

 からかうように言われる。

「……違います」

 否定する。自分でもよく分からないけど顔が急速に熱くなっていくような気が。

「それはまあ、乙女の秘密として。それよりあの馬鹿はまだ落ち込んでいるのか」

 背中がすごく小さく見えていた理由はそれだったんだ。

「何かあったんですか?」

 落ちこんでしまっている理由を知りたい。

「最近大きな失敗をして。それからは全然駄目な上演ばかり。それで叱ったら。臍を曲げちゃって、もう紙芝居は二度としないって」

 大事おおごとのはずなのに、女の人は笑いながら話す。

 そんなことがあったんだ。

あれ? でも小さく見える前の上演は、あの日の、こどもの日の紙芝居はすごく盛況で幕を閉じたはずなのに。

「あの、それって結城君は二度と紙芝居を上演しないってことですか?」

 でも、それより。重要なことはそこだ。ちゃんと確認しないと。

「さあ、アタシには判らない。またするようになるのか、それともこのまま辞めるのか。決めるのは航だから」

 もう二度と観られないのかもしれない、そう思うとすごく悲しくなってくる。

「かえろうよ」

 私と女の人のやり取りが面白くないのか信くんが私の腕を引っ張っている。

「……うん……ありがとうございました」

「コッチこそアリガトね。心配してくれて。それから学校での様子を聞かせてくれて」

 お礼をして信くんの手を握り帰ろうとした。

「ああ、そうだ」

「えっ?」

 帰ろうとした私の背中に女の人の声が。

「もしかしたら航は。アソコにいるかもしれないわね」


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