第10話 こどもの日
もうちょっとで信くんの無邪気な笑顔を曇らせてしまうところだった。
……私のせいで。
どうしてそうなったのかを、少し長くなるけど、その前段階から一応説明したいと思う。
あの日、恵美ちゃんと一緒にショッピングセンターに行った日曜日。あれから私は恵美ちゃんとバドミントンを。
その結果は散々なものだった。ラケットでシャトルに触れることはできるのだが、上手く返すことができない。
こんな酷いできでは呆れられて、もう勧誘なんかされないと思っていた。
だけど、恵美ちゃんは別の日にまたしようと言ってきた。
その時に「もしかして湊ちゃんって左利き?」と。
そう、私は小さい頃は左利きだった。だけど、それじゃ将来お嫁に行けないと言われながら矯正を。それでお箸を持つのも右手になったし、字を書く時も右手に。
そのことを話していないのに、どうして恵美ちゃんには分かったのか。疑問に思って訊くと「何かを持つとき大体左手で持っているし、それにちょっと左腕の方が長いかなと思って」
たしかに言われてみれば意識していなかったけど左で持つことのほうが多いかも。それから後で左右の腕の長さを比べてみると、本当に左がちょっとだけ長い。
本人でさえ知らなかったことが分かるなんてすごい、と驚いていると「もう一回左でバドミントンをしてみない」と言われる。
左でするバドミントンは、前回上手く返すことができなかったシャトルを恵美ちゃんの所へ。
ラリーが続く。
休憩の間に、恵美ちゃんに色んなアドバイスを貰う。
分かりやすい。恵美ちゃんはすごく教えるのが上手だ。バドミントンもそうだけど、どうしてそんなに教え上手なのか訊ねると、
「あたしは体が小さいし、才能もそんなにないから知識で足りないものをカバーしようと思ったんだ。それでバドの本を色々読み漁ったり、動画を見まくってたら、よく分からないけど教えるのが上手くなったみたい。あ、でもバドのほうもちゃんと上達したよ。バドって駆け引きのスポーツだから。色んな人の見ているうちに観察眼も良くなったみたいだし。それで湊ちゃんの左利きにも気が付いたんだ」
という説明が。
それはともかく、できるとなると楽しくなってくる、面白くなってくる。
これだったらバドミントン部に入部してもいいかもと、少しくらい思うくらいに。
だけど、まだこの段階では入るという意思はそんなになかった。
そんな私にお母さんが「せっかくだから入ってみたら。もし合わないと思ったら、その時は辞めればいいんだし」と背中を押された。
とりあえず仮入部で。
楽しかった。先輩は優しかったし、面白かったし。結果正式に入部を。
その後がちょっと大変だった。練習が途端に厳しくなる。土日も連休も休みなく練習と試合で消えていく。
でも、不思議と辞めてしまいたいとは思わなかった。恵美ちゃんという心強い友達がいるのはもちろんだけど、昨日はできなかったことが今日はできるようになる。そんな喜びというか、楽しみがあり、毎日充実していた。
けど、体は正直だ。ずっと運動とは無縁の生活を送っていた。毎日の練習で体の中に疲労が蓄積されていった。
前置きが長くなったけど、これでようやく。
これからは信くんの顔を曇らせてしまうかもしれなかったことについて。
五月五日、こどもの日。久し振りのお休み。私は一日中寝て過ごそうと思っていた。
いつもよりも遅く、お昼前に起きてきた私に信くんが嬉しそうにチラシを見せてくる。そこにはショッピングセンターで開催されるヒーローショーの告知が。
今から観に行くんだ、これ信くん好きだもんね、と思いながらチラシを眺めていると小さく記載された紙芝居の三文字を発見。
観たい。結城くんの紙芝居が観たい。あの日以来観ていないから。
信くんとお父さん、それからお母さんはもう家から出ようとしている。そこに無理を言って待ってもらう。私も一緒に行くからと言って。
慌てて、自分の部屋へと戻って準備をするけど、時間がないというのに迷ってしまう。変な服を着ていくのは恥ずかし。
散々迷って、時間を使った挙句、選んだのはいつもと代わり映えのないような服。
この迷っている時間が駄目だった。
私が行くとさえ言わなければ、余裕を持ってショッピングセンターへと到着できたはずなのに、着いたのは開演ギリギリ。
長くなったけど、これが曇らせてしまいそうになった説明。
けど、本当に間に合ってよかった。ほっと胸をなでおろしながら考える。
私は別にヒーローショーが観たいわけではない。私が観たいのは結城くんのする紙芝居。
紙芝居はヒーローショーの後。それまではどこかで時間を潰していようか。あのスポーツショップでも覗いていようかな。
でも待てよ。もしかしたらチャンスかもしれない。
同じ教室で一緒に勉強をするようになって早一月。私はいまだ結城くんにあの時の謝罪もお礼も言っていない。それどころか話しかけることさえしていない。ずっと先延ばしにしたまま。だけど、今日こそは言えるかもしれない。それから紙芝居の感想も伝えることができるかもしれない。
よし、結城くんを探そう。もうここに着いているかもしれない。
あれ……でもちょっと待った。
本当に結城くんはここで紙芝居をするのだろうか。あのチラシには紙芝居としか記載されていなかった。今からショーが行われる舞台の後ろの告知の看板にも紙芝居の三文字しか書かれていない。
もしかしたら、別の人がする紙芝居かもしれない。
うっかりしていた。
五月五日はこどもの日。祝日だけど日曜日じゃない。
それなのに俺はクロスバイク、といっても実はフラットバーロード、に乗って、いつものショッピングセンターに紙芝居をしに。
どうして日曜日でもないのに上演を行うのか。
それはヤスコのせい。
このことを仔細に語ると長くなるので簡潔に説明をすると、去年の年末にショッピングセンター側から子供の日にも上演してくれないかという話がヤスコにあったらしい。その時はまあ具体的なことが決まらず、おいおいという話になっていたらしいのだが、そのことをヤスコはすっかり忘れており、再び話が出た頃には俺以外の全員が連休の予定を入れてしまっていた。
ということで、俺一人で紙芝居の上演をすることに。
この話をヤスコから聞いたとき「ふざけんな、自分のしたことだから、自分で責任をとれ」と断ろうと思った。先月一人で上演しようとして手痛い失敗をしたから。
だけど土壇場で依頼を断ってしまうのはショッピングセンター側の心証を悪くしてしまうのでは。あの人がしていたことが、これきっかけで終わりになってしまうかもしれない。そう考えなおして、渋々引き受けることに。
ヤスコの話によると、今回はヒーローショーの前座というか合間に三十分一回だけ。これならば可能かもしれない。
その他にも諸々とまだ問題はあったのだが、まあそれは些細なこと。
中学の入学祝に貰って、成長してちょっと小さくなった愛車を漕ぎながら、一つ溜息が。
この溜息はこれから行う紙芝居の上演によるものではなく、俺自身の身体について。
本当ならば、高校進学時にあの人が昔乗っていたクロモリのロードを、白から薄桜色のグラデーションが綺麗な、譲り受ける予定だったのだが、俺の身長が思って以上に伸びずに乗れない。スローピングのフレームならば無理をすればいけたかもしれないけど、ホリゾンタルスタイルのバイクでは流石に脚の長さが足りない。
それはともかく、漕いでいるうちに気分が高揚してくる。ちょっとだけあった不安も消えていく。
なのに、ヒーローショーと紙芝居を行うイベントスペースをいざ目の当りにして、いつもの上演場所とは違う所、不安が首をもたげて俺に襲い掛かってくる。
広いのは想定済みというか、知っている。毎週のようにここには通っているから。けど、いつもの上演場所よりも多少広くても声を届ける自信は内心持っていた。しかし、問題は高さ。失念していたけど、ここは四階というか、屋上エントランスまで吹き抜けになっている。
こんな場所で俺の声は観ている人のところにちゃんと聞こえるのか、届くのだろうか。
安請け合いをしてしまったか。本日のギャラを全部貰えるという、臨時収入にうつつをぬかしてしまったか。
ええい、兎に角やるしかない。三十分持てばいいんだ、後は喉が潰れてもいい、声が出なくなってもいい。
萎えてしまいそうに心に、無理やり気合を入れる。
あ、その前に催し物担当の前田さんに挨拶しておかないと。
それから事前にヤスコが運び込んでおいたはずの道具も持ってこないと。
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