第9話 朗読


   こう


 いつもの習慣が裏目に出てしまった。

 現在、現国の授業中。

 前回の最初の授業の時に、この若い女性教師は毎回朗読の時間を設けると宣言していた。学生時代に演劇をかじり、その時に声に出して文章を読む大切さを学び、それをみんなにも体験して学んでほしいと。

 これからしばらくの間朗読する童話が載ったプリントが配られる。渡されたものにはすぐに一度目を通せ、黙読しろ、頭の中で読むプランを考えろ、幼い頃からそう教わった、叩きこまれてきた。

 それがこの女教師にはやる気があると取られてしまう。栄えある朗読の一番手に指名されてしまう。そんなつもりは全然ないのに。

 朗読は得意じゃないけど、まあこの場にいる他の人間より酷い読みにはならないだろう。それくらいに自信はあるけど、今日は日が悪い。

 日というか、調子が、喉が。

 昨日の紙芝居で、喉を傷めてしまい、声が出しにくい状況に。

 大事な時期、ゆにさんに負担がかからないように、その日の紙芝居全てを俺一人で上演しようと意気込んでいたのだが、見事なまでに空回りして、忸怩たる結果に。それだけならまだしも、ゆにさんにいらぬ心配をかけてしまった。

 まあ声が出しにくいといっても、全然出ないわけじゃない。

 この教室内に聞こえるくらいの声ならば出せるはず。

 席を立つ。だけど、すぐに朗読を開始しない。

 まずはもう一度プリントに目を通す、黙読する。読めない漢字はないか、鼻濁音の場所、それから無声化すべき箇所をチェック。ああこんなことならアクセント辞典を持ってくるんだった。少しあやふやな単語がいくつかある。

 確認と同時に身体の準備も。声は口と喉でだけ出すものじゃない、腹から出すものじゃない。身体全体で出すもの、声は楽器だ、身体の中でおかしな部分があると変な音になってしまう。まずは足の裏にちゃんと体重を感じているかどうか。これができていない、地に足がついていないと不安定な声になってしまう。昨日はそれで失敗した。よし、今日はちゃんと感じとれる。今度は息を鼻から吸い込む。お腹にだけではなく背中にまで空気がまわるように意識しながら。左手をあばら骨の腰骨と間、柔らかい場所に当てる。ちゃんと膨らんでいる。ここが膨らむのはしっかりと息を吸い込めた証拠。体内に吸い込んだ息を全部吐き出す。また吸い込む。

 これならいける。固い怖い声じゃなくて、柔らかい優しい音が出るはず。

 朗読の開始。



「結城くん、結城くん。ちょっといいかな」

 授業終了後先生は俺を廊下へと呼び出した。

「すごく上手だった。いきなりだったからもっとたどたどしい読みになるって思っていたのに、ウチの部員よりも良かった。ねえ、お芝居の経験があるの? それともどこかに所属しているとか?」

 突然だったからエロキューションとかを一切考慮せずにフラットに読んだつもりだったけど、思いのほか高評価のようだ。けど、あの時拍手をくれたのはこの先生だけ。他の人間はまるで無関心だった。

 まあ、それはともかく。先生の質問に答えないと。

「……はぁー。まあ……一応……入っています」

 答える。けど、歯切れの悪い解答になってしまう。俺の立場を説明するのは少しばかりややこしくて、そして面倒だから。

「何処の?」

「……従姉あねの所で」

「結城くんのお姉さんが何かしているの?」

「姉と言っても従姉いとこなんですけど。その従姉が劇団の主催をしてまして。その活動の一環で紙芝居の上演をしています。俺はその手伝いで」

「へー、お姉さんが劇団をしているんだ。それでなんて名前の劇団なの」

「えっと、『きょうかしょ』です」

 現在絶賛休業中のこの劇団の名前の由来は、学生だから教科書、という安直なものではなく、華胥の国で興じる、という意味合いで命名したらしいが、まあそれはともかく先生にヤスコ達の劇団名を。

 文字で表現するのは難しいような驚きの声が先生の口から。

 演劇をかじっていただけあって良く響く声が廊下に。廊下にいる大半の人間が何事かと一斉にこっちを見る。

 ああ、でもちょっと声が固いな。

 けど、それはともかく、何でこんなに驚くんだ。

「その従姉のお姉さんってヤスコさん? それともゆにさん? 舞華さん?」

 疑問を懐いている俺に先生の質問が飛んでくる。

「……ヤスコですけど。先生知ってるんですか?」

「知っているもなにも。私は『きょうかしょ』の舞台を中学の時に観てすごく憧れたんだから。それで高校に入学して演劇部に入って芝居を始めたんだもの」

 ヤスコのどこに憧れる要素があるのか。そんな気持ちを持つことがまったく理解できない。

「大学進学で地元を離れたから最近のことは知らないから。まだ活動しているの?」

「最近は公演なんかしてませんよ。紙芝居の仕事を細々としているだけで」

「そっか、残念だな。でも結城くんはヤスコさん達と一緒に芝居をしていたんだ」

「手伝いですけど」

「それじゃ上手いはずよね。あの人達のところなら相当鍛えられるよね」

 何か盛大な勘違いをしている。あの人達、特にヤスコは、芝居に関しては真面目だけど、そんなにすごい人間じゃないのに。過大評価しすぎだと思う。

「……それで話はそれだけですか?」

 先生のテンションについていけない。一刻も早く解放されたい気分になってくる。

「もう一つあるの。結城君演劇部に入部してくれないかな。君のような上手な人が入ってくれると私も上級生も助かるんだけどな」

 話の内容が部活の勧誘へと変貌する。俺にとっては嫌な展開になってきた。

「すいません。俺、入部する意思はありませんから」

 入るつもりは全く無い。それは以前ヤスコに聞かれた時から変わっていない。

「別の部に入る予定があるとか?」

 寂しそうな顔と声で。

「いいえ」

「だったらお願い」

 手を合わせて頼まれる。その光景は当事者以外から見れば異様な光景のはず。周りの目が気になってくる。

でも、気は変わらない。

「あの、俺は高校で部活をするつもりはありませんから」

 多少早口になったが自分の意思をハッキリと告げ、その場を離れ教室の中へと戻る。



   湊


 絶対に当たりませんように、心の中で祈っていた。

 祈りながら、先生に指名されたくないから、俯く。さっき配布されたばかりのプリントが目に入る。

 こんなに長い文章をいきなり、それもこんなにも大勢のクラスメイトの前で読むなんて絶対に無理。そんなことできない。

 だから、祈る。絶対に朗読の指名受けませんように、と。

 この祈りが天に通じたのか、それとも別の理由かどうか分からないけど、先生は別の人の名前を言う。

 指名されたのは結城くん。

 安堵、それから喜びが。

 昨日は観ることができなかった。だけど、今から結城くんのする朗読が聞ける。

 紙芝居とは違うだろうけど、ちょっと楽しみに。

 結城くんが静かに席を立つ。そしてしばしの沈黙の後、声を出す。

 ショッピングセンターで観た紙芝居のときよりも小さめの音量だけど、それでも教室全部に響くようなきれいな優しい声。

 こんな読み方もできるんだ。紙芝居のとは全然違うけど、これもすごく上手だ。

 目を閉じる。結城くんの声を聞くことだけに集中する。

 最初は朗読を聞くのと同時にプリントの文字を目で追っていた。でも、そんな必要はない。

 聞いていて楽しい、頭の中に情景が浮かんでくるみたい。

 朗読が終わる。楽しい時間が終わってしまった。

 こんな素晴らしいものにはちゃんと応えないと。拍手をしないと。

 手を叩こうとした、けど、その手を動かすのを止めてしまった。

 先生以外誰も拍手なんかしていない。こんな状況で一人拍手なんかするのは恥ずかしい。

 けど、どうして誰も拍手をしないのだろう? あんなにも良かったのに。

 それともそう感じているのは私だけなのだろうか?

 でも、先生は手を叩いている。良かったと賞賛している。

 ただでさえ体が大きくて変に目立ってしまう。だから、他のことで目立ちたくない。

 拍手を送らないといけないと分かっているのに、手を叩けない。

 その代わりに、心の中で盛大に拍手をする。結城くんに賛辞を送る。


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