第6話 新生活
周りはすごく賑やかで盛り上がっているのに、私は一人でさびしい。
今日から高校生としての新しい生活が始まるというのに。
一人なのには理由があった。
先月まで東京に住んでいた。お父さんの転勤に合わせて引っ越してきた。だからこの教室には、いや学校の中に知っている人は一人もいない。
教室にいる他のみんなと同じ新入生のはずなのにすごく孤独だ。
こんなことだったら私だけ東京に残って、向うの友達と一緒の高校に進学すればよかった、という後悔が。
だけど、ついて行くことを決めたのは他のならぬ私。向うで親戚の家から通うという話もあったのだけれども、それを選ばずにこの地での受験と進学を選んだのは私自身。
楽しそうに会話している他の人がうらやましい。
バッグの中から携帯電話を取り出そうかと一瞬考える。
電話で向うの友達と話をして、この一人ぼっちのさみしいみじめな気持ちを少しでもいいから紛らわせようかと。
通話のボタンに指が伸びそうになるけど、止める。
向うも今日が入学式だったはず。一緒だ。多分、この教室の私以外の人と同じように新生活に胸を膨らませて楽しくしているはず。
そんな中に電話なんかしても気付いてくれないだろう。
携帯電話をバッグに中に。しまうと溜息が一つ。
うらやましい。
だったら、この気分から抜け出すために積極的に周囲に話しかけ、新しい交友関係を構築する努力をすればいいのだろうが、私はただ自分の席に座っているだけ。
周りをうらやましいなと思っているだけ。
担任の先生が教室に入ってくる。さっきまで賑やかだったのが一気に静かになる。
先生が今後の高校生活の説明をしてくれている。
大切なことだから、ちゃんと聞いておかないと。一人だから、聞き漏らしても後で聞く人なんかいないから。
それなのに、先生の言葉は私の頭の中を素通りしていく。
こんなのじゃ駄目。
先生の声は耳にちゃんと入ってくるのに、言葉が理解できない。別に難しいことを言っていたり、他の言語で話しているわけでもないのに、分からない。
分からないままで先生の説明が終わってしまう。何一つ理解できないままだった。
自己紹介が始まる。
今度こそちゃんと聞いていないと。もしかしたらここから新しい交友が、友達ができるかも。
不安だったから今日はお守り代わりのクマのマスコットを持ってきた。
鞄の中から取り出して左手でギュッと握りしめる。
小さい頃からいつも勇気を、力をもらっている。
だけど、なかなか不安は、怖さは消えてはくれない。
もっと強く握りしめる。
声が聞こえた。
知っている人が誰一人いないはずの教室なのに、この声を知っているような気が。
それもつい最近聞いたことがあるような気が。
「結城
ショッピングセンターで観た紙芝居の声だ。ずっと机の上を見たままだった視線を声の方に向ける。
間違いない、あの時の男の子だ。青い半被ではなく学生服姿に眼鏡をかけているけど。
知っている人がこの高校に、教室にいたんだ。
暗く沈んでいた気持ちが一気に浮上してくる。
結城航くん、か。ちゃんと憶えておこう。
同じくらいの歳の男の子は苦手だけど、この後思い切って話しかけてみようかな。紙芝居がすごく面白かったと感想を言いたい、それからまた観に行きたいとも伝えたい。
……けど、あんなことをしてしまった。
そんな人間がノコノコと近付いていったりなんかしたら結城くんは気分を害してしまわないだろうか。
そうだ、まずはちゃんと謝罪をしないと、それからお礼も言わないと。
そうなしないと次に進めないはず。
うん、そうしよう。この後結城くんのところに行って絶対に謝ろう。
クマのマスコットを握りしめながら考える。
決心すると、背中に違和感が。誰かが私の背中を小さく突いているような。
後ろを振り向く。
「順番。自己紹介の順番回ってきたよ」
そうか自己紹介の時間だったんだ。
……えっ? 私の番なの。何も考えていなかった。結城くんのことばかり考えていた。
慌てて立ち上がる。その拍子に机を盛大に倒してしまう。
誰かが倒した机の音が教室内に響き渡る。それから少し遅れて今度は笑い声が。
また大きな音が。机を起こすのに失敗したみたいだ。
そんなに慌てなくてもいいのに、落ち着いてすればいいのに。そんなことを考えながら件の女生徒の背中を何気なく見る。
女子にしてはすごく背が高いな。
うーん、どこかで見たような記憶が。地元の高校に進学したから同じ中学出身の人間も何人かはいる。が、俺の知っている限りこんなに大きな女子はいなかったような。
どこで見たんだったっけ、それも最近見たような気がする。
ああ、思い出した。紙芝居でジュースをこぼした男の子のお姉さんの背中だ。
ヤスコは車の中で年下かもしれないと言っていたけど、同じ歳だったとは。それより、まさか同じ高校、しかもクラスメイトになるなんて。
「……藤堂湊です……」
ようやく机を直した女生徒は自己紹介を始める。身体とは正反対な今にも消えそうな、注意して聞いていないと聞き逃してしまいそうな小さな声、囁き声。いわゆるウィスパーボイス。
嫌いじゃない。舞台の上では駄目だと思うけど、個人的にはむしろ好みの声質。
「それだけか?」
担任が他に何かないかと促す。
「……あの……えっと……つい最近東京から引っ越してきました。……よろしくお願いします」
つかえつかえの囁き声。最後なんかは完全に消えてしまっていた。けど、そうか東京か。なるほどね。きれいに無声化ができているはずだ。
見習わないと。鼻濁音(びだくおん)はともかく、無声化はよく注意をされるから。
それにしてもきれいなアクセントだ。声が小さく、聞き取りにくいのが難点だけど。それでもこの辺りの汚い音に比べれば。
「というわけで、藤堂はこの辺りの事にはまだ不慣れだから、みんな助けてやるように」
必要とされたら吝かではないが、おそらくそんなことにはならないだろう。藤堂さんは女子だし、それに俺は同年代の人間とはあまり話が合わないから。
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