第5話 紙芝居と少女と少年 4
「湊ちゃん、ありがとね。おかげで買い物捗った」
合流してすぐにお母さんの口から出た言葉。
この言葉がチクリと私の胸を刺す。
何もしていない。お礼を言われるようなことはしていない。只の役立たずだった。
「ああ、やっぱり湊ちゃんには面白くなかったか。ゴメンね」
返事を返さない私にお母さんが。
紙芝居はすごく面白かった。また観たいと思うくらい。
でも、私が黙ったままなのは……。
「すごく、おもしろかったー」
信くんが言う。
「ぼく一つだけしっぱいしちゃった。おねーちゃんがかってくれたジュースこぼしちゃった」
「ああ、それで湊ちゃんの表情が落ち込んでいるのか」
そう、私は役になんか立っていない。
「……うん」
「それでこぼしたジュースはどうしたの?」
「お兄ちゃんがかたづけてくれたー」
震えて隠れているだけだったから知らなかった。あの男の子が私の代わりに片付けてくれたんだ。
また胸がチクリと。
もっとちゃんとしておけば、あんな中途半端な、反射的なのじゃなくて、しっかりと頭を下げて謝っておけば。いやそれよりも片付けをしておけば。
「そうか。それでちゃんと謝ってお礼は言ってきた?」
「うん」
「それなら問題はなし。湊ちゃんもそんなに落ち込まないでいいから」
「……でも……何もできなかったから」
そう、本当に何もしていない。
只いただけ。
それよりも酷い、隠れて震えていただけ。
今更しても遅い後悔を。
気持ちがどんどんと落ちていく。暗い闇の中に沈み込んでいくような感覚が。
突如、頭の上に温かい、優しい感触が。
お母さんちょっとだけ背伸びをして、私の頭を撫でてくれている。
「……お母さん」
「たしかにこぼれたジュースを片付けられなかったのは悪い。でも、他の人が掃除してくれたんでしょ」
肯く。何もしていない、何もできなかった。震えているだけ行動一つ起こしていない
本当に情けない。恥ずかしい。
「それなら問題無し。そのまま放置しておくのは駄目だけどね。それにね、湊ちゃんが信くんの面倒を見てくれているのは本当に助かっているんだから。だから、そんなに落ち込まなくてもよろしい。ほんと……こういうところはお姉ちゃんにそっくりなんだから」
「……」
「よし、それじゃ次の買い物に行くわよ。まだまだ買わなくちゃいけないものは沢山あるんだから。湊ちゃんも落ち込んでいないで手伝ってもらうからね」
お母さんが私を元気付けるように言う。
あの紙芝居の男の子のことがずっと忘れられなかった。
家に帰ってからも、新しい自分の部屋に戻って一人になってからも。
もう一度、観たいな。
最後までちゃんと観られなかったから。
だけど観に行ったら、怒られてしまうかもしれない。
あんなことがあったのに。何もしなかったのに。
けど、信くんの話を聞いた限りではそんなに怒っていないような印象が。
……また観に行こう。絶対に。
その時、今日はできなかった謝罪を。それから代わりにこぼれたジュースを片付けてくれたお礼も言わなくちゃ。
言えずにいたのは、動けないままだったのは私に勇気がなかったから。
今度はこの子と一緒に行けば。
今日は部屋に置いていった、大切な小さいクマのマスコットを左手に優しく触れる。
この子が一緒だったら、今日はできなかったことも、きっとできるはず。
反省と後悔を繰り返しているうちに、いつしか私は眠りについていた。
「可愛い子だったわね」
帰りの車の中でヤスコ俺に話しかけてくる。
紙芝居を上演しているショッピングセンターは俺とヤスコが住んでいる隣の市にある。
だから、いつもこうやって移動している。
多分、あの背の高い少女のことを言っているのだろう。けど、無視をする。相手をすると煩くなるは経験上よく知っているから。
「ゆにに雰囲気似てたわよね。背は航よりも高かったけど。もしかしたらアンタよりも年下かもしれないわね。女の子の成長は早いから。それに胸は小さかったし、お尻も小さかったし」
あきらかに独り言じゃない、俺に聞かせようという意図を感じる言葉。前半部分は同意するけど、後半部分はいらないだろう。見た目は一応女だけど中身は親父だ。
「それにしても良いアピールができて良かったわね」
「はー?」
返事なんて返さない、この話題は無視を決め込むつもりだったのに思わず声が出てしまった。
「だってあの子、紙芝居に興味があったでしょ。それもアンタのするのに。もしかしたら脈があるのかも。それに紙芝居だけじゃなくてかっこいい所も見せて彼女のピンチを救ったし。コレは好感度アップ間違いなし、ついでにフラグも立ったわね。よっ、やるね、この色男」
言いながら何を興奮したのか俺の右肩をバシバシと叩く。そんなに痛くはないが鬱陶しい。
「痛いな。止めろ。前見て運転しろ」
前の車との車間距離が急速に縮まる。あわや追突という寸前でヤスコの運転する車は急停車。その代償にシートベルトが左肩に強く食い込む。
結構痛い。
「えー。だって航くん気持ちが気になって運転に集中できません」
三十手前だというのに可愛らしい声と科(しな)を作って言う。そういう演技も上手いと思うが視覚と聴覚がバグを起こしそうになるから止めてくれ。
「気色悪い。止めろ」
「だって、本当の気持ちを知りたいんだもん。だから、航くんが教えてくれるまで絶対に止めないんだから」
俺の要求はあっさり却下された。おそらく俺が答えるまではこのスタイルを貫き通すだろう。面倒な従姉だ。
「だから見えてないって言ってるだろ。……まあ、紙芝居に興味を持ってくれたのなら……それはちょっと嬉しいけど」
最後の言葉は小さく言う。
「へぇー」
聞こえるか聞こえないくらいの小さな呟きだったはずなのに。しっかりとヤスコの耳に届いてしまったみたいだ。
「何だよ?」
「別に。航も大きくなったんだなと思って」
ヤスコが俺の顔を見ながらしみじみと言う。何を感慨深げになっているんだ。
信号が青になり前の車が発進する。
「ほら、青になったから行けよ」
「はいはい」
ヤスコが静かにアクセルを踏む。車はさっきまでとは違い大人しく走り出す。
「ところでさ、話変わるけど。アンタ本当に高校では演劇部には入らないつもりなの?」
来週から高校に通う。かつてヤスコ達が三年間通った学び舎だ。
けど、そこで演劇部に入部するつもりなんか更々ない。芝居はまあ好きだけど、今更他に人達から演技を学ぶつもりはないから。
「ない……それに今は舞台に立つつもりもないし」
一言で片付ける。
「けど……」
言いたいことは判る。これまで何度も聞いてきた。
「でも、紙芝居はこれからも手伝うから。どうせ人手が足りないんだろ」
ヤスコの言葉を遮るように言う。高校で演劇部に入部するつもりはないが紙芝居はこの先も手伝うつもりだ。
「……ありがとね」
いつもからは想像もできないほど小さな声でヤスコが俺に感謝の言葉を言う。
そして、その後は車内にはエンジン音だけが響いていた。
「ああ、そうだー」
沈黙を破ったのはヤスコだった。
「何だよ、いきなり」
ただでさえ大きくて響く声だ。知ってはいても不意打ちは驚く。
「航の入学祝を持ってきてるんだった。すっかり忘れてた。そこの助手席のボックスの中に入れてあるから」
言われた通りに開けてみると、そこには包装された紙袋が無造作に突っ込んであった。入学祝と言うわりには扱いがすごく雑だな。
「中身は?」
持った感じ中身はものすごく軽い。あんまり期待できない。
「それは秘密。開けてからのお楽しみ。今は開けちゃ駄目だからね。自分の部屋で一人の時に開けること。使用上の注意点は紙に書いて同封しておいたから」
この口調だとおそらくロクな物が入ってないな。
「でも、それ元手がかかってないからな。他に何か欲しい物でもある?」
この問いに少し考える。
「それじゃ呑みたい」
「判った。それじゃ今日は航の入学祝いで呑もう。せっかくだからゆにと舞華も誘おう。ああ、でも、ゆには呑めないけど、まあいいか」
そう言うとヤスコはアクセルを踏み込む。
ヤスコの運転する車は急加速を。
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