第4話 紙芝居と少女と少年 3
分からない。
怖い。
柱の裏に大きくて無駄な体を隠している場合じゃないのに。
助けて、誰か。
それよりも早く信くんの所に行って、こぼれたジュースを片付けて、それからあの紙芝居の男の子に謝罪しなくちゃいけなのに。
分からなくはない、私がすべきことは分かっている。
なのに、私の体は動かない。
隠れているだけ、下を向いて震えているだけ。
無駄に大きな体を小さくして縮こまっているだけ。
音が聞こえた。
これはきっと責任を取らない私を糾弾する声だ。
反射的に耳を両手で塞ぐ。
それでも音が聞こえてくるような気が。
そうだ。私にはこういう時に頼りになるものが。小さい頃からお守り代わりに持ち歩いている手作りのちょっと色あせた小さなクマのマスコット。
ママの作ってくれた大事なものが。
塞いでいた手を解いてバッグを手繰り寄せる。
無い。
どうして?
もう高校生になるから、バッグの中から出して部屋に置いてきたんだった。
なんで、こんな時にかぎって持ってきていないんだろう。
あの子を握りしめたらいつでも勇気が湧いてくるのに。この事態も乗り越えるだけの力が湧いてくるはずなのに。
なのに……。
……助けて。
こんなことをいくらしても解決なんかしないのに。
それなのに動けない。
情けない。
視界が歪んでいく。涙が勝手にあふれてくる。
本当に情けない。
そんな情けない私の耳に信くんの声が聞こえてきた。
「ジュースこぼして、ごめんなさい」
使用した掃除道具をロッカーへと仕舞っている最中に、突然背中に声が。
声の主はさっきのジュースをこぼした男の子。
おお、えらいぞ。小さいのに自分のしたことをちゃんと反省して。大人でも、とくにヤスコ、そうは簡単にできないことだぞ。
まあ、それは置いておいて。きちんと謝罪したこの子を俺は糾弾するつもりなんかない。紙芝居は生で行うもの。こういうトラブルは出来得るならば無いほうがいいけど、こんな思わぬハプニングが起きるのも生の面白さ……のはず。
これは俺特有の考えというわけではなくある人の影響。
あの人が昔よく言ってたよな。
それとこの件でこの男の子の多分保護者である、あの少女を責めるつもりも全然ない。おそらくだけど突然のことでどう対処していいのか判らなくなってしまったんだろう、パニックになったのだろう。
まあ、同年代の人間がこの事態で素早く行動できるとは思えない。俺も何回か経験があったから動けただけ。
大惨事になったわけじゃない。被害といえば、紙芝居の終わりが締まらなかったことくらい。これも俺にあの人みたいな力量があれば、トラブルを上手く昇華して盛り上がって終わらせることができたはず。
まだまだ精進が足りないか。
そんなことを考えながら、男の子の方をふと見る。心なしか顔が少々引きつっているような気が。
「えらいね、ちゃんと謝ることができて」
ついさっきまで静観して、事態を横で楽しんでいたヤスコがいつの間にか俺と男の子の傍までやって来て言う。
「うん」
男の子の顔から引きつった表情が消える。
「ほら、航も何か言ってあげなさいよ。せっかく勇気を出して謝りにきたのに、そんな仏頂面で見下ろしてたら怖がるでしょうが」
反省をしている間、無表情になってしまい、結果この子を怖がらせてしまったのか。
「問題ないから」
これじゃ素っ気なさすぎるか。
「ゴメンね、このお兄ちゃんは不愛想だから。それより紙芝居は面白かったかな?」
「うん。ぼくね、ひっこしてきたばかりなの」
「そう、じゃあまた観に来てくれるかな?」
「うん、またおねーちゃんにつれてきてもらう」
そう言って男の子はあの柱の方を見る。
あの少女がこちらの様子を伺うように顔を出していた。
湊
信くんの声が聞こえた途端、私の役立たずの無駄に大きな体がようやく動く。
蹲った状態から立ち上がる。
顔だけ柱から出して声のする方向へ。
そこには信くんとあの男の子、それからちょっとふくよかな女の人。
女の人の声が私の耳にまで届く、信くんのことを褒めている。幼い弟は自分のしたことをちゃんと謝罪したんだ、偉いな。
幼い弟はちゃんとできたのに、私は何もできない。
本当に、半分だけど血を分けた姉弟なのだろうか。
自分が情けなくなってくる。
女の人と、あの男の子と話をしていた信くんが私の姿を見つめる。
一目散に走ってくる。
私に向かってくるのは信くんだけじゃなかった。二人に視線も一緒に。
反射的に頭を下げる。本当なら、こんなのじゃなくて謝罪の意味で頭を下げないといけないのに。
こんなことをしてしまう自分が本当に情けなくなってくる。
もうすぐ高校生なのに、もう大人といって差し支えのない年齢なのに。
また視界が歪んでくる。また涙が勝手にあふれそうになってくる。
泣いちゃダメだ。
堪えている私の元へと信くんが駆け寄ってくる。
信くんの手を繋ぎ、歩き出す。逃げ出すように、少しでも早くこの場から離れるために。
あのまま少年と女の人に見られているのが恥ずかしい。情けなくなってくる。
しばらく歩くとバッグの中の携帯が鳴る。
着信相手はお母さんだった。
航
あの少女が頭を下げる。
あれはどういう意味で行ったのだろうか?
たんに目が合ったと思い反射的に頭を下げただけなのか。それとも俺が代わりに掃除をしたことへの感謝のあらわれなのか、はたまた弟が仕出かしたことの謝罪なのか。
正直判らない。でもまあ、嫌な気分ではない。まあ別にいいか。
「やるな、航。アピールしまくりだね」
ヤスコが突然変なことを言い出す。アピールってなんだよ。
「はあー」
「あの子に絶対好印象を持ってもらえたわよ。紙芝居で興味を惹きつけ、見事にトラブルを解決した。フィクションの世界なら好感度上がりまくり、フラグが立ちまくっているわよ」
残念だけどこれはノベルゲームじゃない。現実はそんなに都合良くいったりしない。
だいたいそんなつもりは全然無いから。
「それよりもさ、ヤスコが掃除をしてくれればよかったんじゃないのか」
事件現場に一番近くにいたのは俺だけどヤスコは手が空いていたはず。素早く駆けつけて片付けてくれてもよかったんじゃないのか。あんな風にトラブルを楽しむようにニヤニヤしていなくても。心の中で文句を言う。実際に口に出せば何を言われるか判ったものではないから絶対に声には出したりしないけど。
「ええー、私が行こうとしたときには航は一人でチャッチャとしちゃったじゃないの。だからあの子に良いとこ見せようとしてるのを邪魔しちゃ悪いと思って自重したのよ」
面白がるように言う。というか、絶対に楽しんでいる。
「別に」
そんなつもりは無い。誰かが片付けないと、こぼれたジュースはそのまま。
だから、俺がやっただけの話。ヤスコが言うようなことは微塵も考えていない。
「それよりもさっきは何であんな短いのを上演したんだ」
このままじゃずっとこの話題でからかわれ、遊ばれそうだから、少々強引に話題を変えた。
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