3.ループ転生する公爵令嬢に会った話

 ちょび髭の男性が商品棚からリンゴを手に取るとそれをポケットに入れ、お金を払わず店を出て行きました。あまりにも堂々とした立ち振る舞いだったのでしばらく気づかなかったのですが、あれ、泥棒ですね。慌てて店の外に目をやりましたが、もうちょび髭の男性の姿は雑踏に紛れて見えなくなっていました。


 いやはや、見事な手口です。あえて堂々と盗みを働くことで泥棒だと気づかせないとは、なんと大胆不敵な犯行でしょう。下手にこそこそすると悪事がばれやすくなるという話も聞きますし、悪事を働くときはあれくらい豪快に行った方がいいのかもしれません。


 それに盗んだのがリンゴ一個だけというのもポイントが高いです。リンゴ一個だけなんだからわざわざ追いかけなくてもいいかと思ってしまいますし、仮に追いかけて捕まえたとしてもリンゴが盗品であることを証明するのは難しいでしょう。そこまで考えての犯行だとしたらなかなか狡猾です。


 泥棒の小賢しさにひとしきり感心した後、気を取り直して買い物を続けます。パンと牛乳とチーズを持っていってお会計をすると店員のミェニーさんに明日はリリウの実のタルトが入荷することを教えてもらいました。


「毎年この時期はマーサおばさんが作ったタルトを置かせてもらってるんですけど、これがすっごく美味しいんです。甘さと酸っぱさのバランスが絶妙で高級店のスイーツにも負けない味なんですよ」


 ミェニーさんは店主のお孫さんでこの店の看板娘です。私と年が近いこともありこの半月で仲良くなりました。


 色々と親切にしてもらっているミェニーさんのお薦めなのですから、それは本当に美味しいタルトなのでしょう。


「それはぜひ食べてみたいですね。明日買いに来ますよ」


「ありがとうございます。でも明日は導きの儀式ですからお祝いで買う人も多いので昼前にはなくなっちゃうと思います。良かったら取り置きしましょうか?」


 ご厚意に甘えて取り置きを頼むとミェニーさんはノートの予約一覧のところに私の名前を書きました。ノートには十人以上の名前があったので、たしかに人気のようです。


 そういえば、と気になっていたことを尋ねました。


「最近店主さんがお店に出てませんけど、何かありましたか?」


「ああ、お祖母ちゃんはちょっと体調を崩して寝込んでるんです。でもタルトを食べればすぐ元気になりますよ」


 店主さんは高齢なので寝込んでいると聞いて心配になりましたが、ミェニーさんの口振りだと深刻な話でもなさそうなので安心しました。


 それから最近入荷したキノコが安くて美味しいからお薦め、隣のおじさんがぎっくり腰になって大騒ぎだった、近所でメイドが馬車に轢かれて死亡する事故があった、などの雑談をしてから店を出ました。通りを歩いていると壁に寄りかかってリンゴをかじっているちょび髭の男性を見かけました。


「…………」


 私は荷物を抱え直し、ちょび髭の男性の横を通ってハナコ様の待つ宿屋へと足早に歩きます。街の空気は冷たく、空は晴れ渡っていました。


///


 半月ほど前のある日、ハナコ様を一人の騎士が訪ねてきました。


「越境騎士団所属の独立遊撃騎士、ラスビア・ミリアーノンだ。」


 そう名乗ったラスビアさんは背筋を真っ直ぐに伸ばし、こちらの目を真っ直ぐに見て話す女性の方でした。


 話を聞くとラスビアさんはハナコ様と同じく異世界転生者で、今までも何度か協力して事件を解決したことがあるそうです。


「それで、今度は何の用なの?」


 ハナコ様がそう促すと、ラスビアさんはテーブルに魔石を置きました。魔力で起動させると魔石の上に十代の女性の幻像が浮かび上がります。


「彼女はリィン・ヴァンデリング、ヴァンデリング公爵の実の娘だ。この公爵令嬢は転生者の疑いをかけられている」


「それってお二人と同じってことですか?」


「いや、私とハナコのような異世界転生者ではなく、ループ転生者だと思われる」


「ループ転生者?」


 ラスビアさんのお話によるとループ転生者とは同じ時間を繰り返し生き続けている人のことだそうです。


 普通の人は死ぬと魂が天に召されますが、ループ転生者は死亡すると起点と呼ばれる固有のチェックポイントに魂が戻されるとのこと。


 例えばあるループ転生者の起点が六歳の誕生日だとすると、その人が事故か何かで死んだら六歳の誕生日の朝に戻されることになります。それからまた同じ時間を生き、その末に事故や病気や殺人や老衰などで死ぬ度に六歳の誕生日の朝に戻り、そうやって同じ時間を周回し続けるのだそうです。


「それって永遠に生き続けるってことですか?」


「なんらかの条件を満たすとループが解除されるという話もあるが、噂話の域は出ないな」


 ループが解除されたかどうかは死なないとわからないので、ループが解除されたことがわかっているループ転生者に出会うことはありません。なのでループが解除可能であるという証明は不可能である、とラスビアさんは説明してくれました。


 話をリィンさんに戻すと、彼女の周りで不審な死が三件ほどあるとラスビアさんは言います。


「公爵家と取引があった商人の青年、親交のあった宰相の息子、そして彼女の婚約者である第三王子。全員がリィン嬢に会ったその日に事故死している。調査も行われたが事故に不審な点はなかった」


 その言葉とは裏腹に、ラスビアさんはそれらがただの事故ではないと考えているようでした。


「異世界転生者とは違いループ転生者はプレゼントを持たず異能の力もない、だが幾度も人生を繰り返すことで蓄積した知識と経験が脅威になる。

 彼女がループ転生者ならその知識と経験で完璧に事故を偽装できるはずだ。だから事故に不審な点が何もないのが逆に怪しい」


 そういうものなのでしょうか、と思ってハナコ様を見ると微塵も興味のない顔をしていました。宿屋の女将さんの髪に枝毛ができたという話を聞いていたときと同じ顔です。


「それで、私に何をして欲しいの。言っておくけど事故の調査なんてやったことないわよ」


 どうでもよさそうにハナコ様がそう言うと、ラスビアさんはかぶりを振って「そんなことは期待していない」と答えました。


「半月後、この街で導きの儀式がある」


 導きの儀式とは年に一度、十五歳になった子供達を集め、教会が保有する宝具を使って子供達の資質を調査する儀式だそうです。


 簡単に言うと職業適性検査と就職説明会を合わせたイベントだとハナコ様が説明してくれました。


「リィン嬢もこの儀式のため街を訪れることになっている。もしこの儀式でも不審な事故が起こるようならハナコにはそれを防いでもらいたい」


「……あなたが自分でやらないのは何故なの?」


 ハナコ様の質問にラスビアさんは「別の任務がある」と答えました。


 ラスビアさんの話では近辺の街道でレッサードラゴンの目撃情報があったそうです。ラスビアさんにはそのレッサードラゴンの調査及び討伐任務が与えられたのですが、捜索範囲が広いため儀式までに任務を終えるのは難しいとのことです。


「あの、それだったら儀式の前に彼女を捕まえて拘束しておけばいいのではないでしょうか。それとも公爵令嬢なので捕まえられなかったりするんですか?」


 私がそう質問すると、ラスビアさんは「公爵家だろうが王族だろうが法を犯した者は罰せられる、そこに例外はない」と答えました。


「……ただ、この国にはループ転生者だというだけで処罰する法はなく、何かしらの悪事を働いたという証拠もない。よって今はリィン嬢を拘束する法的根拠がない」


 苦々しげな表情でラスビアさんはそう言いました。


 どうやらラスビアさんはどんな悪人だったとしてもあくまで法で裁くべきだという考えのようです。ハナコ様は法律を気にせずカジュアルに悪い人の首を刎ねるので異世界転生者はみんなそうなのかなと思っていたのですが、どうやら個体差があるみたいです。


 ハナコ様は少し不服そうな顔をしていましたが、「まあ、いいわよ」とラスビアさんの頼みを引き受けました。


 ラスビアさんはほっとした顔をするとハナコ様にお礼を言い、その後すぐにレッサードラゴンの調査のため街を出て行ってしまいました。なかなか忙しない方のようです。


 しかしレッサードラゴンといえば討伐するのに正規の騎士団が出動するくらいの危険なモンスターですが、ラスビアさん一人で大丈夫なのでしょうか。気になったのでハナコ様に訊いてみると「大丈夫よ」と素っ気ない答えが返ってきました。


「戦闘向きのプレゼント持ちだからたいていのことはどうにかなるわ。それにあいつの能力だと一人で戦う方がやりやすいでしょ」


 ハナコ様の口振りからラスビアさんを信頼していることがよく伝わってきました。


 しかし真面目に仕事をこなし法律も遵守するラスビアさんと、気まぐれに行動して法律も気にしないハナコ様では相性が悪いように見えます。


 その割りにはお互いに信頼し合っているのを不思議に思ったのでそう訊いてみると、ハナコ様は「あなたが思ってるほどあいつは真面目じゃないわよ」と言いました。


「あいつは自分で法を破ることはないけど、他人が法を破ろうがどうしようが気にしない人間よ。だからこんな依頼を持ってきたんでしょ」


 ハナコ様がそう言うのを聞いて、ああなるほどなと得心しました。


 ラスビアさんはリィンさんを法で裁けないと言っていましたが、もしリィンさんが悪い人だったら法に関係なくハナコ様はその首を刎ねてしまいます。


 それは法を破る行いなのでラスビアさんの意に反することになってしまうのではないかと思っていたのですが、気にしないのなら話は違ってきます。


 つまり、ラスビアさんは法で裁けないリィンさんを法を無視するハナコ様に処分してもらうつもりで依頼をしたのでしょう。


 ハナコ様にとってはいつもと同じことをやるだけですが、それをラスビアさんに利用された形になるので少し不服そうにしていたようです。


「やっぱり異世界転生者はいい性格の方が多いのですね」


 ハナコ様も心当たりがあったのか、「そうね」とだけ言いました。


///


 儀式の当日になりました。


 導きの儀式が始まるのは午後からなのでまず雑貨屋に行って取り置きしてもらったタルトを買って朝食にして、それから適当に時間を潰してから儀式が行われる教会に行くことにしました。


 雑貨屋に着くとまだ早い時間だからなのか店内には人の気配がありません。私が「こんにちわー」と声をかけながらミェニーさんの姿を探してカウンターの方を見ると、死んだ目をした少女がいました。


 その少女の年頃は私より少し上くらいですが、死人かと思うくらい目に生気がありません。肌も幽霊のように白く、その佇まいからは覇気も生命力も感じませんでした。


 墓場にいたら死体だと思うでしょうし、街中で見かけても死体かなと思うような少女です。


 そのまるで死人のような少女がロープでミェニーさんの首を絞めていました。


 ミェニーさんの顔は鬱血していて、口から泡を吹いていました。体がぐったりしていたのでもう死んでいるように見えましたが、少女はさらにぎゅっぎゅっと力を込めて念入りに首を絞めています。


 少女は私とハナコ様に気づくと顔を上げてこちらを見ましたが、首を絞める力はそのままでした。


「少し待ってもらえるかしら。あと一分ほど絞めないと七時間後に息を吹き返してしまうのよ」


 そうなんですか、じゃあ仕方ないのかなと思ってハナコ様を見ると言われた通り待つようだったので私もそれに習うことにしました。


 事情はわかりませんがハナコ様が首を刎ねていないんだからあの少女は悪い人ではないのでしょう。ミェニーさんを絞め殺してるけど、多分何か色々あるんじゃないのかな。


 少女がミェニーさんを絞めている間、手待ち無沙汰にしているとそれに気づいたのか少女が声をかけてきました。


「取り置きのタルトならそっちの棚にあるわ。食器や包丁は奥の台所にあるからそれを使って。あと、悪いんだけど店の外の看板、準備中にしてもらえるかしら」


 少女にそう言われたので私は店の外に出て「営業中」になっていたドアの看板をひっくり返して「準備中」にしました。それから店に戻ると少女は首を絞め終わったのか、今度はミェニーさんの死体を商品の布でくるんでいました。


「手伝いましょうか?」


「大丈夫、慣れてるから」


 少女の言葉通り慣れた手つきでミェニーさんの死体はくるくると梱包されていきます。


 熟練の死体包み職人のような見事な手際で作業を進める少女を感心しながら見ていて気づいたのですが、この方、ラスビアさんが言っていた公爵令嬢のリィンさんですね。


 幻像で見たときは貴族然とした服装をしていましたが、今は平民の服装なので印象が違ってわかりませんでした。それに幻像で見るよりも生気を感じられず、人ではないもののように見えます。


「奥で店主が死んでたけど、あれもあなたがやったの?」


 店の奥から戻ってきたハナコ様がそう尋ねました。姿が見えないと思ったら奥の居住スペースの方を調べていたようです。


「いいえ、それは自然死。高齢だったからただの寿命よ」


 そう答えるとリィンさんは布で梱包したミェニーさんの死体を担ぎ上げました。見かけによらず力持ちです。


 リィンさんは死体を担いで裏口から出ると少し離れた場所にある沼まで行き、梱包を解いてからそこに死体を沈めました。言っては何ですが、ちょっと雑な処理に思えます。


「この沼はあまり人が近づかないから死体が発見されるのは四年三ヶ月後になるわ。その頃には死因もわからなくなってるから事故死として処理される」


 私の言いたいことを読み取ったのか、リィンさんがそう解説してくれました。


 それから店に戻ると取り置きのタルトを取り、代金をカウンターに置いてから台所をお借りしてタルトを切り分けました。


「これ、よろしかったらどうぞ」


「ありがとう、頂くわ」


 リィンさんの分も取り分けるとみんなで席に着き、タルトを食べました。


 生前のミェニーさんが言っていた通りタルトは本当に美味しかったです。


 リリウの実は初めて食べたのですが酸っぱさと甘さのバランスがちょうど良く癖になる味です。それにタルトの焼き加減や生地とリリウの実のバランスが実に素晴らしく、これを作ったマーサおばさんに心の中で賞賛の言葉を贈りました。


「ところで、あなたはリィンさんですよね?」


 そういえば確認していなかったなと思ったので念のため本人にそう尋ねました。するとリィンさんはタルトを食べる手を止めて、


「初めまして、私はリィン・ヴァンデリング。あなたたちが探してるループ転生者よ」


 そう、自己紹介してくれました。


「これはご丁寧にどうも。私はマリアと言います」

「ハナコよ」


 私達がそう挨拶するとリィンさんは私の顔をまじまじと見ましたが、やがてまたタルトを食べ始めました。


「ミェニーさんを殺したみたいですけど、なんでですか?」


 無言でタルトを食べ続けるのもなんなので軽く雑談でもしようかなとそう話題を振ってみると、リィンさんは気を悪くした様子もなく答えてくれました。


「彼女は祖母が亡くなった一ヶ月後に近所に住む六歳のエミリーを殺害して家の裏にある沼に沈めるわ。その四ヶ月後に今度は七歳のパドリックを殺害、また沼に沈める。


 それからはだいたい二ヶ月から三ヶ月に一人のペースで殺人を重ねていくけど、七人目のターゲットである十一歳のルビシャに逃げられて犯行が発覚、指名手配されるわ。すぐに街を出たミェニーは逃亡生活を続けながらさらに五人の子供と二人の大人を手にかけた末、逮捕される。裁判にかけられた結果、合計で十三人を殺害した罪で処刑されるの」


 まるで見てきたかのように在ったかもしれない未来のことをすらすらと語ります。その口振りからすると実際に見てきたんだろうなと思いました。


 ループ転生者には蓄積した知識と経験があるとラスビアさんは言っていましたが、それはこの先何が起こるかを知識と経験で既に知っているということなんですね。リィンさんの言葉を聞いてラスビアさんが脅威と言っていた理由を理解しました。


 つまりミェニーさんを殺した理由は、放っておくとミェニーさんも含めて十四人が死んでしまうけど、今ミェニーさんを殺しておけば死ぬのは一人だけで済んでお得だからですね。納得しました。


「でもミェニーさんはなんでそんなにたくさん人を殺したんですか? あまりそういう人には見えませんでしたけど」


「理由はないそうよ。ただ昔からずっと人を殺したかったと言ってたわ。彼女の祖母が生きている間はその衝動を抑えていたけど、祖母がいなくなれば抑える理由はなくなるのよ」


「それ、ミェニーさんに聞いたんですか?」


「説得しようとしたときに少し話をしたの。まあ、そのループでの最初の被害者は私になったけど」


 そのような小粋なトークをしていたらタルトも食べ終わったので使った食器を片付けていると、リィンさんがハナコ様に話しかけました。


「ラスビアさんが追っているレッサードラゴン、目撃情報から一匹と考えられているけど実は七匹からなる群れなのよ。


 今から二時間後、ここから半日ほどの距離にある村がそのレッサードラゴンの群れに襲われるわ。ギリギリ追いついたラスビアさんは村を守るために戦い、群れを全滅させる。でも村の人達全てを守りきることはできず、二人の死者と五人の怪我人が出るの」


「…………」


「あなたが全力で急げば、今からでも間に合うでしょう」


 ハナコ様は思案顔で少し黙った後、私のことをちらりと見ました。ラスビアさんのところに向かう場合、ハナコ様の全力高速移動について行けないので私は一人街に残ることになります。そのことをハナコ様が気にされているのかもしれないなと思ったので私は言いました。


「ハナコ様、私のことなら気にしなくて大丈夫です。宿でおとなしく留守番してますよ」


 そう言ったのですが、ハナコ様はまだ悩んでいるようでした。私ってそんなに頼りないのかなと思っていると、リィンさんが私を指さし言いました。


「私はこの人に危害を加えない。あなたなら私が嘘を吐くような悪い人じゃないってわかるでしょう?」


 それを聞いて、ハナコ様はリィンさんと私を二人きりにすることを不安に思っていたのだとわかりました。


 たしかに言われてみれば、未来の連続殺人鬼とはいえミェニーさんを殺したばかりの人と二人きりにするのは無責任な気はします。


 でもハナコ様が首を刎ねてない以上、リィンさんは悪い人ではないんですからそんなに心配することもないと思うんですけどね。


 私が問題ありませんオールオッケーですの意味を込めて親指を立てると、ハナコ様は小さく息を吐いてから了承しました。


「……わかった、ちゃんと留守番しててね」


 ハナコ様は魔法で脚力を強化すると村のある方角へと直線に高速移動を開始しました。あっという間に見えなくなったハナコ様を見送り、宿に戻ろうとしたらリィンさんに呼び止められます。


「あなた、暇でしょ。ちょっと手伝ってくれない?」


 ハナコ様に留守番してるように言われたばかりですが、暇なのも事実だったので「いいですよ」と返事をしました。


「それで、何をするんですか?」


「導きの儀式を中止したいの、着いてきて」


 そう言ってリィンさんが目で合図してから歩き始めたので、それに着いていきます。


 大通りに出るとリィンさんは露天で安物のブローチを買い、ポケットにしまいました。それから少し歩くと壁の補修作業をしている現場に出ます。リィンさんはこちらに背を向けている職人の一人に近づくと置いてあった工具箱に銀貨を入れ、代わりに金槌を手にとって離れました。


 そこからまた少し歩き、寂れた通りに出ます。ここら辺は空き家が多く人通りは少ないようです。


 リィンさんは空き家の一つに近づくと、その家の古びたレンガの壁を金槌で思い切り何度も叩きました。それから先程買った安物のブローチをその壁の近くに置き、金槌を捨て、その場を離れます。


 何かのおまじないかな、と思いながらリィンさんの後を追いましたが、気になって振り返ると角を曲がってきた男性がブローチが落ちているのに気づき、それを拾い上げていました。するとちょうどその瞬間、先程リィンさんが叩いた壁が崩れ、男性が下敷きになってしまいました。


「あの男の名前はコリー、一年五ヶ月後に酒場で知り合った女性と結婚、十一ヶ月後に子供が産まれるけど三年二ヶ月後にその子供を虐待死させる。子供の遺体を庭に埋めて証拠隠滅を図るも発狂した妻に刺されて死亡するわ」


 淡々とそう説明した後、今度は用水路沿いの細い道に出ました。少し歩くと前から女性が一人歩いてきたのですれ違うためリィンさんが壁側に寄ると女性は用水路側に寄り、そこで足を滑らせ用水路に転落してしまいました。


「あの女の名前はハンナ、七ヶ月後に彼氏ができるけどその彼は邪教の信徒で彼女も勧誘されて入信、一ヶ月後に家族と絶縁、その半年後に信者の仲間と共に家族を皆殺しにして財産を奪う。その奪った財産を元手に邪神召喚の儀式を行うも失敗して彼氏を含む信者十六名と一緒に発狂するわ」


 数日前に降った大雨の影響で水かさが増していたのでハンナさんの姿はすぐ見えなくなりましたし、リィンさんの口振りでは助からないのでしょう。


「結構な回数ループされているみたいですけど、実際何周くらいしてるんですか?」


「さあ? 千を超えてからは数えるのをやめたわ」


 ループ転生者なのだから見た目より長く生きているのだろうなと思ってましたが、予想よりもずっと長生きなことに驚きました。彼女の死人のような雰囲気も長く歳月を積み重ねてきたからなのでしょうか。


「それだけずっと生きてると大変そうですね」


「そうね、大変すぎて四百周くらいのときに発狂したわ。狂っていた間の記憶はないからどれくらいの期間狂い続けていたのかはわからないけど、気がついたら正気に戻っていたの。人間、ずっと狂い続けることはできないみたい」


 リィンさんは「それからは狂うこともできずに生き続けてるわ」と言いましたが、これまでのリィンさんの行動を見ると自分が正気だと思っているだけで今も狂ってる可能性もあるんじゃないかなと思いました。


「それで、あの二人を事故死させるのと導きの儀式を中止させるのとはどんな関係があるんですか?」


「なんの関係もないわよ」


「? じゃあなんで事故死させたんですか?」


「私にもわからないわ」


 迷いのない目できっぱりとそう答えました。


「数え切れないくらいループをしていると色々なことが思い出せなくなっていくの。ミェニーを殺したのも、コリーとハンナを死なせたのも何か意味はあったはずだけど、もう思い出せない。でも昔からずっとやってたことだから、今もやってる。それだけよ」


「……始めたきっかけは忘れたけど習慣になってるから今も続けてる、ってことですか?」


「そうなるわね」


 なるほど。やっぱりこの人は気が狂ってるな、と思いました。


 次にリィンさんは街の外れにまで来ました。ここら辺はならず者が多く治安が悪かったのですが、導きの儀式が開催されるまで暇だったハナコ様が街を巡回して悪い人の首を軒並み刎ねたので今ではただの寂れた区画になっています。


 リィンさんは古びた家が見えるところまで行くと「ここで五分ほど待つわ」と言って立ち止まりました。


「あの家はなんですか?」


「麻薬の製造所よ」


 ここ半月でハナコ様が首を刎ねまくったのにまだそんなものがあることに驚きましたが、リィンさんは「小さい製造所で職人もほとんど家から出てこないから取りこぼしたんでしょう」と言いました。


「ところであなた、ハナコさんとはどれくらい一緒にいるの?」


「ええと、だいたい一年ぐらいになりますね」


 私がそう答えるとリィンさんは目を丸くして驚いていました。ずっと死人のように無表情だったのでそういう顔もできるんだなと私も少し驚きました。


「ハナコさんに同行した人は何人かいたけど、最長でも二ヶ月ほどで逃げ出していたわ。一年も続いたのはあなたが初めてでしょうね」


「それ、ハナコ様にも聞きました。悪い人をたくさん殺すからみんな怯えていなくなってしまうって。そんな怖がることでもないと思うんですけどね」


 リィンさんはため息を吐き、こいつ何もわかってないなという目で私を見ました。


「ハナコさんは悪い人と認識すれば一切の躊躇なく首を刎ねるけど、あなたは自分もハナコさんに首を刎ねられるかもしれないと考えたことはないの?」


 急に変なことを訊くなぁ、と思いながら答えました。


「ありませんよ。私、悪いことしてないから悪い人じゃないと思います」


「本当に、心の底からそう思えるの? ハナコさんを信じることができるの?」


 細く長い指を私に突きつけ、私の浅慮を非難するように言葉を続けます。


「人間、誰しもちょっとしたよこしまな気持ちを抱いてしまうときはある。人をねたんだり、怒りを覚えたり、ひがんでしまったり。

 その"ちょっとした邪な気持ち"で悪い人だと認識されてハナコさんに首を刎ねられるかもしれないと考えたことはないの?


 そもそも、どこからが首を刎ねるべき悪い人で、どこからがそうでないのか、その基準を知ってるのはハナコさんしかいないのよ。

 何をして、何を考えたら首を刎ねられるのか、それがわかるのもハナコさんしかいない。

〝悪い人〟とは具体的にどういう人なのか、それを知ってるのはハナコさんだけなのよ。


 ハナコさんにしかわからない基準で悪い人だと認定されれば首を刎ねられてしまう。それってつまり、ハナコさんと一緒にいるときはいつ首を刎ねられてもおかしくないってことなのよ。


 そのことに気づくとみんなハナコさんから逃げ出すわ。あれは災害のようなものだから不用意に近づくべきではないし、なるべく距離を取らないといけない。

 あなたは自分がそういうものに同行しているのだという自覚が足りないのよ」


 そう、凶悪な魔物の生態を解説するようにリィンさんは語りました。


 リィンさんがハナコ様をどう思っているのかだいたいわかりましたけど、さすがに大げさ過ぎるんじゃないかなぁ、ちょっと一方的すぎて不公平じゃないかなぁと思いました。


「うーん、ハナコ様はそこまで理不尽ではないと思うんですよね。少なくとも私の知ってるハナコ様はそんな怪物みたいな方ではありませんよ」


「充分に怪物よ。二百九十六回首を刎ねられた私が言うんだから間違いないわ」


 私怨も入っての言い分だったようで、少し納得しました。


「だいたいね、ハナコさんは悪い人を見抜けるプレゼントを持っていると言うけど、それはどこまで信用できるの? その精度や判定結果に疑問を持ったことはないの? そもそも、 ?」


「…………」


「時間ね」


 そう言ってリィンさんが古びた家に向かって歩いていき、玄関前に置いてあった植木鉢を手に取ります。そこでちょうど誰かが家から出てきたのかゆっくりとドアが開き始めたので、リィンさんはその開き始めたドアを思いきり蹴り飛ばしました。


「────っ!?」


 蹴りによって勢いよく閉められたドアの向こうで人が倒れたような音がします。リィンさんがドアを開けるとそこには赤くなった鼻を押さえた男性が仰向けに倒れていました。


「な、なんだお前──」


 リィンさんは持っていた植木鉢を男の頭に思い切り叩きつけました。植木鉢が割れ、男が昏倒したのを見るとすたすたと家の奥に歩いて行きます。


「今の男はジェーソン、麻薬の製造業を営むチンピラ。自分でも麻薬をやってるから二年半後に過剰摂取で死亡するわ」


「ジェーソンさん、まだ生きてますけどいいんですか?」


「一時間は目を覚まさないから大丈夫よ」


 勝手知ったる他人の家とでも言うようにリィンさんは迷いなく進んでいき、一番奥にある部屋に入ります。


 そこには薬品棚があり、机には調剤器具が並んでいたので麻薬の製造所だとすぐにわかりました。


 リィンさんは棚から黒い粉が入った袋と表面に詠唱陣が刻印された陶器製の筒が幾つも入った箱を持ってきました。


「これ、筒に詰めておいてもらえないかしら」


「いいですけど、これ麻薬ですか?」


「それは火薬よ」


 火薬というのは爆弾の材料になるあの火薬のことでしょうか。いまどきの麻薬は火薬から作られているのかなと尋ねてみると「そんなわけないでしょ」とにべもなく否定されました。


「私の元婚約者の第三王子も本来は今日の儀式に参加予定だったのよ。彼の政敵からの依頼で街に来た第三王子を爆殺する計画があったのだけどその前に事故死したから計画は中止、爆弾の材料だけが残ってるの」


「爆弾を作ってそれで導きの儀式を中止させるんですか」


「そうよ」


 リィンさんが手に取った筒には二つの詠唱陣が刻印されていました。おそらく起爆のための陣と爆発の威力を増幅させるための陣でしょう。


 詠唱陣の緻密さから見てかなりの威力の爆弾になると思えました。


「そもそもの話なんですけど、なんで儀式を中止させたいのかお聞きしてもいいですか?」


「……今回の導きの儀式で聖女が発見され、国に保護されるわ。その一年七ヶ月後に魔王が復活、四ヶ月後に勇者と聖女の活躍によって魔王は討ち滅ぼされ、かくて世界に平和が戻るのよ」


「だとすると儀式が中止になったら聖女が見つからず、魔王も倒せないのでは?」


 リィンさんはその問いには答えず、持っていた筒を机の上に置きました。


「条件を満たすとループが解除されるって話は知ってるかしら?」


 そう問われ、真偽不明の話としてラスビアさんから聞いたことを思い出しました。


 ループ転生者であるリィンさんなら解除の仕方も知っているのかと尋ねると「私にもわからない。だからずっと解除する方法を探してるの」と言いました。


「私はループを解除するためにあらゆることをしてきたけど、未だループは続いている。私は狂うこともできず永遠にループし続けるこの人生にも世界にも嫌気が差してるの。だったらもう、世界を滅ぼすしかないでしょう」


 当然の帰結であるかのようにリィンさんがそう言います。


「数え切れないくらいループをしてきたけど、私の知る限り一度も世界は滅ばなかった。必ず世界は救われてきた。だから世界が滅ぶことがループが解除される条件なのかもしれないし、そうでなくても魔王はこの世界の澱みの集合体だから上手くいけばこの大地ごと全てを滅ぼし無に帰してくれる。そうなればきっと私のループも止まるはず」


「滅んだらまたループが始まるだけじゃないですか?」


「魂が滅べばループもできなくなるわ。魔王なら全てを滅ぼしてくれると私は信じたいの」


 神に祈りを捧げる敬虔な信徒のように、リィンさんは魔王への期待を語りました。


 想像もできないほど長い年月を生きてきたリィンさんには私では理解できないような苦悩があるのでしょう。だからリィンさんの言う世界を滅ぼしたいという願いにはどうしようもない切実さを感じましたが、それはそれとしてはた迷惑な人だなと思いました。


 そんなチャレンジ感覚で世界を滅ぼされたらたまったものではありませんが、ここで私が手伝ったからといってそれで世界の命運が決まったりはしないだろうと思ったので、折角だから爆弾作りは手伝うことにしました。


 リィンさんは私が世界を滅ぼす手伝いをすることに少し意外そうな顔をしていましたが、すぐに「じゃあ頼んだわよ」と言って部屋を出て行きました。


 私は言われた通りに火薬を筒に詰め始めます。どれくらい火薬を入れればいいのかわからなかったのでとりあえず八分目くらいまで入れることにしました。何事もほどほどがいいような気がしますし。


 火薬を詰める作業が終わったくらいに籠を持ったリィンさんが戻ってきました。籠の中にはサンドイッチがたくさん入っています。


「そのサンドイッチどうしたんですか?」


「私が作ったのよ」


 リィンさんは私が詰めた筒を検品すると、「ちょっと少ないけど、まあ大丈夫でしょう」と言って筒に封をしていきます。


 それが終わると今度は薬品棚から瓶を取り出し、中の液体を籠のサンドイッチの内の二つに注入しました。


「そろそろ行きましょうか」


 部屋にあった袋に火薬を詰めた筒──爆弾を入れ、それを手に部屋を出ます。歩きながら爆弾を一つ取り出すと詠唱陣を起動させ、適当な部屋に放り投げます。もう二つほどそれぞれ違う部屋に爆弾を投げ入れました。


「爆発によって起きた火災で建物は全焼、火が消し止められた後で焼死体が一つ発見されるけど事故として処理されるわ」


 玄関前でまだのびている男性の横を通り、外に出ます。焼死体ってあの人のことなんだろうな、と思っているとリィンさんが近くにあった木材でドアが開かないように固定しました。


 建物から離れて少しすると爆発音が響き渡り、リィンさんの言った通り火の手が上がっているようでした。


「あの爆発を調べるため衛兵が建物に向かうから教会の警備が手薄になる。急ぐわよ」


 そう言って導きの儀式が行われる教会へと向かいました。


 到着すると、儀式が行われる準備のため人が慌ただしくしている教会をスルーして司祭館に行きます。こちらは人が出払っているのかあまり人気がありませんでしたが、入り口には警備兵が二人立っていました。


 リィンさんは茂みに爆弾の入った袋を隠すとまるで愛想のいい一般人かのような笑顔を作り、警備兵に近づいていきます。


「こんにちわ、これ街の人達からの差し入れです。よろしかったらどうぞ」


「ああ、これはありがとうございます」


 警備兵の二人はリィンさんが差し出した籠からサンドイッチを一つずつ取り、お礼を言います。挨拶をしてからその場を離れ、五分ほどしてから戻ってくると二人はその場に倒れていました。


「死んだんですか?」


「トリップして意識を失ってるだけよ。あっちの木の根元まで運ぶから手伝ってちょうだい」


 警備兵の一人を私とリィンさんで持ち上げ、木の根元まで運びます。「爆発が起きてもここは被害がないのよ、でも少し離れた場所には爆発の衝撃で瓦礫が振ってくるからなるべく木の根元に近づけて」と言われました。


 えっちらほっちらとなんとか一人を運び終えてあともう一人ですが、疲れました。


 二人がかりとは言え大の男を運ぶのはかなりの重労働です。見ればリィンさんも荒く息を吐いてます。


 まあでも、だからといってこの場に放置するのも心苦しいので運ばないとダメだよなー、人としてなー、と思いながらその警備兵を見ると、ちょび髭が生えていました。


 よくよくその顔を見てみると、この警備兵はミェニーさんの雑貨屋でリンゴを盗んだ窃盗犯です。


「リィンさん、この人泥棒ですよ。雑貨屋から商品盗んだの見ました」


「……じゃあ、いいか」


 私とリィンさんは同意するように頷くと、ちょび髭の警備兵をその場に放置して中に入ります。


 誰もいないロビーでリィンさんはテーブルの上にあった神様の置物を手に取り、ずんずんと進んでいきます。三階に上がり、廊下の一番奥の部屋に向かっているようでした。


 不意にリィンさんが立ち止まり、その場で大きく振りかぶると持っていた神様の置物を投げました。ちょうどそのタイミングで一番奥の部屋のドアが開き、おじいさんが外に出てきます。


 リィンさんの投げた置物が顔面に直撃し、おじいさんは「ふぐっほっ」というような呻き声を上げて倒れました。


「この男はイージィナ大司教、一年一ヶ月後に複数の少年信者と淫らな行為をしていたことが発覚して罷免されるわ。その後、少年信者の一人を誘拐して隣国に逃亡を図るも途中で少年信者に逃げられ、国境付近で逮捕される。裁判にかけるため首都に移送中に自殺するわ。今回の儀式のまとめ役でもある」


 リィンさんは気を失っている大司教の懐から上等な布に包まれた水晶球を取り出しました。奇妙な光沢を持つそれは不思議な光を宿しています。


「これが儀式で使う宝具、導きの星よ。この水晶にふれるとその人の適性がわかるの」


 リィンさんがその水晶をこちらに差し出したので、試しにやってみればという意味だと思いその水晶に手を乗せました。すると水晶が淡い光を放ち、その表面に見たことのない文字が浮かび上がります。


「あなたの守護星はリリタル、運勢数は十七、幸運色は黒ね。

 好奇心旺盛で独特な興味を持ってるあなたは冒険者タイプ、他者に寛容で柔軟な考えの持ち主であるあなたは人と関わる現場職が向いてるけど事務職などのデスクワークは不向き。同じく好奇心が強い弁論者タイプとは相性が良いけど、こちらの行動に干渉してくる軍人タイプとは相性が悪いわ」


「…………」


 はあ、そうですか、としか言いようのない内容だったので反応に困っていると、リィンさんに「だからどうしたって思ってるでしょ」と言い当てられました。


「仕様もないけど、その人の可能性を読み取る本物の宝具よ。これを使って勇者と聖女を探し出すのが本来の目的、副次的に職業適性検査としても活用してるだけよ」


 そう言ってリィンさんは素手で水晶を掴みましたが、私のときとは違って水晶はなんの反応もしません。


「私にはもうなんの可能性もないからよ」


 私の疑問を読み取ったのかリィンさんはそう説明すると、目をつむり何かの呪文を唱えます。すると水晶が徐々に黒ずんでいき、やがて音を立てて割れました。


 リィンさんは割れた水晶を投げ捨てると筒の爆弾を取り出し、床に倒れている大司教の服に挟み込みました。筒の表面に刻印されている詠唱陣に魔力を通して起動させると足早にその場を離れたので私もそれに続きます。


「爆弾は五分後に起爆して建物を損壊させ、火の手が上がるわ。司祭館は全焼するけど半年後に再建される」


 詠唱陣を起動した爆弾を適当に放り投げながら歩き、外に出ます。入り口ではまだちょび髭の警備兵が倒れていましたが、この方が助かるかどうかはリィンさんにもわからないようです。


「日頃の行いが良ければ助かるんじゃないの」


 じゃあダメだろうな、と思いました。


 教会に向かっている途中で爆発が起き、辺りが騒然となります。儀式の準備をしていた人達も皆、司祭館の方に行ってしまったので教会は手薄になり、簡単に侵入できました。


「教会も爆破するんですか?」


「儀式を完全に中止させたいのよ」


 要所要所に爆弾をセットしてから外に出ます。みんな司祭館の様子を見に行ったので爆発が起きても被害者は出ないそうです。


 教会から少し離れた場所にあるベンチに座り、一息つきました。なんだかんだとずっと歩き通しだったので疲れたなぁ、と思っていると教会が爆発、炎上しました。すぐ大騒ぎになり火を消し止めようと人が右往左往しています。


「これで聖女は発見されなくなるんですか?」


「……儀式を中止させても第三王子がこの場で聖女と出会うと彼は聖女と親交を深め、やがて彼女が聖女であることを知るわ」


 第三王子はリィンさんの婚約者だった方です。事故死したと聞きました。


「第三王子がいなくても宰相の息子が、もしくは商人の青年が彼女を聖女として見出す。……三人が事故死したのは知ってるでしょう」


「リィンさんがやったんですか?」


「そうよ、全部私がやった。ラスビアさんが把握してない件も含めて七人を死に至らしめた。彼らは皆なんの罪も犯してないし、将来も犯罪に手を染めることはない人達だった。

 ……だからどう考えてもこれは悪いことだし、私は悪い人なのよ」


 リィンさんが皮肉るように言ったので、反論します。


「ハナコ様が首を刎ねなかったんですから、悪い人じゃないと思いますけど」


「そんなわけないでしょ」


 吐き捨てるようにリィンさんが言いました。


「ハナコさんが私の首を刎ねないのは、私を悪い人だと判定しないのは、世界がいいかげんで、不条理で、無意味だからよ。全てはデタラメで間違ってる」


 丁寧に編み込まれた呪いのような感情を滲ませながら、「本当に、デタラメだわ」と言葉を吐きます。


「だいたいループ転生自体がふざけてるのよ。ループして何かをやらせたいなら最初にその目的を知らせるべきなのに、どうやったらループが終わるかも教えず何十回何百回何千回もループさせて……何をさせたいのよ本当に」


 そう、鬱々とした口調で言ってから、大きくため息を吐きました。


 その振る舞いから、リィンさんが本当に、心の底から、これでもかというぐらい世界を嫌っていて、人生にうんざりしていて、全てを呪っていることがわかりました。


 数え切れないほどループをしたからなのか、リィンさんの声音からは生きることの喜びも、世界への期待も、未来への希望も、何も感じられません。何も入ってない空っぽの箱の隅に残っている澱みだけで動いているような、そんな空虚な印象すらあります。


 そんなに人生と世界が嫌いなんだから、世界を滅ぼそうとか言っちゃうのもやむなしかなと思いました。


 ただ、リィンさんの話で少し気になったことがあったので訊いてみました。


「ループって、誰かの意思で行われてるものなんですか?」


 誰かが意図的にリィンさんの魂をループ転生させているような口振りでしたが、リィンさんはその誰かに心当たりでもあるのでしょうか。


「……いや、だって、普通に考えたらループなんて現象が起きてるのはなんらかの意思が介在してる結果だと思うでしょう」


「そうですかね」


 ハナコ様は前世の世界で死んだとき、神と面談してこの世界に転生することになったと言ってました。なのでリィンさんにも似たような経験があるのかとお訊きすると「ないわよ」と返ってきました。


「なら誰かが意図的にループさせてるとは限らないんじゃないですか。ただの自然現象ってこともあるでしょう」


「……じゃああなたは、私がループ転生するのはただの自然現象で、そこにはなんの意味もないとでも言うの?」


「はい、意味なんてないと思います」


「…………」


 リィンさんがなに言ってんだこいつ? と言いたげな目で私のことを見てきたので、もう少し丁寧に説明をしてみます。


「私もそうですけど、たいていの人って生まれてきたから生きてるだけで、意味があるから生きてるわけではありません。つまり意味もなく生まれて、意味もなく生きてるだけです。それと同じで、意味もなくループしてるだけじゃないのかなって」


「……いや、普通は人生に意味とか求めるものじゃないの?」


「意味とか必要ないっていうか、生きるってもっと無条件なものだと思うんですよね。今まで生きてきたんだから、これからも生きていく。だいたいの人はそういう惰性で生きてるだけですよ。


 リィンさんだって意味もわからず将来の犯罪者を事故死させてるでしょう、ああいう無意味な行為の積み重ねが人生なんです。


 だから私の人生にも意味はありませんし、ハナコ様が悪い人の首を刎ねてるのもあんまり意味ないんじゃないかなって思ってますし、リィンさんのループもそのうち意味もなく終わったりするんじゃないですか」


「…………」


 リィンさんは私のことをまじまじと見つめていましたが、やがてぽつりと「ろくでもない人生観ね」と呟きました。失礼ですね。


「今までのループでは私とこういう話ってしなかったんですか? それとも別のループの私って違う人生観だったりします?」


 そう訊くとリィンさんはかぶりを振って、「そもそもあなたと会ったのは初めてよ」と言いました。


「ハナコさんがこの街を訪れるとき、二十五回に一度くらいの頻度で元奴隷の少年を、八十回に一度くらいの頻度で元王族の少女を連れていた。でもあなたに会ったのは今回が初めてだった」


 リィンさんはベンチから立ち上がり、私のことを見下ろします。


「こんなことは私も初めてだったからとても驚いたわ。だからあなたがどういう人間なのか知りたかった。私に害を為す存在なのかどうか、それだけでも確認したかった」


 なるほど、私を連れ回したのは手伝って欲しかったからではなく、私の人となりを見極めるためだったのですね。


 別に手伝いが必要というわけでもなさそうなのに、なんで私を連れて行ったのか不思議だったのですがそういうことでしたか。


 でも、だったらこんな半日も連れ回さなくても三十分くらいお茶でもすればわかったんじゃないのかなと思いました。


「それで、私はどういう人間だと思ったんですか?」


「…………」


 リィンさんは質問に答える代わりに私の手を取り、ベンチから立たせました。それから私の手を引いてベンチから離れます。


 不意に大きな音がして教会の鐘塔が倒れました。その衝撃で瓦礫がこちらに飛んできて、さっきまで私が座っていたベンチを押し潰しました。


 あのまま座ってたら死んでたなぁ、と思いました。


「色々思うところはあるけど……あなたのこと、嫌いじゃないわ」


 そう言ってリィンさんは手を離しました。


 瓦礫が飛び散ったことで辺りはまた慌ただしくなっています。でもリィンさんが何も言ってないんだからそんなに被害はないんだろうなぁ、とぼんやりと眺めてると「見つけた!」という声が聞こえました。


 そちらを見ると男の人がこちらを指さしていました。その男の人は服が所々焼け焦げ、酷い火傷を負っていて、麻薬中毒者のように焦点の合わない目をしています。その見た目の割りにはしっかりとした足取りでこちらに向かって歩いてきました。


 よく見ると、それは麻薬の製造所で気絶させたまま放置した男ことジェーソンさんでした。


「やっぱり火薬の量が少なかったのね」


 リィンさんはそう言って肩をすくめました。


「この野郎、よくもやりやがったな!」


 ジェーソンさんはそう叫ぶと持っていた短剣を振り上げリィンさんに斬りかかりますが、その刃がリィンさんに届く前に首が刎ね飛ばされました。


 首を刎ね飛ばした人──ハナコ様は血振りをしてから剣を鞘に納めると、珍しく少し怒ったような顔で私に詰め寄ります。


「ちゃんと留守番しててって言ったわよね? 宿にいなかったから探したのよ」


「すいません、ちょっとリィンさんのお手伝いをしていまして」


 私がそう素直に謝ると、ハナコ様は大きく息を吐いてから私の肩にそっと手を乗せました。


「無事だったならいいわ。……あんまり危ない真似はしないでね」


 ハナコ様はうっすら汗をかいていて、息も少し乱れているようでした。


 時間から考えて、高速移動で村まで行ってレッサードラゴンの群れを討伐してからすぐまた高速移動で戻ってきたと思われるので、さすがのハナコ様でも負担が大きかったようです。


 それからハナコ様に燃えている教会について訊かれたので爆発して火事になったと事実だけをお伝えしました。ハナコ様は「そう」とだけ言うと、消火活動を手伝いに行きました。


「ハナコさんはレッサードラゴンを倒した後は普通に歩いて街に向かうから戻ってくるのは夕方だった。それは同行者がいても変わらない。……でも、今回は全力で戻ってきたのね」


 リィンさんは不思議そうな目でハナコ様の背中を見ていました。


 今回のループで初めて私と会ったように、この行動を取るハナコ様は初めてだったようです。


「羨ましいわ」


 ぽつりとそう呟いたリィンさんの顔を見ましたが、それが何についての羨ましさだったのかはわかりませんでした。


///


 ハナコ様が手伝ったのもあり教会と司祭館の火事は間もなく消し止められました。今はみんなで逃げ遅れた人がいないかの捜索をしていますが、リィンさんの話だと犠牲者はいないはずなので無駄な努力だなぁと思いながらそれをぼんやりと眺めていました。


 寄りかかっていた馬車の扉が開いて、リィンさんが出てきました。先程までの平民服とは違い、シンプルなデザインながら要所要所に複雑な刺繍が施されたいかにも公爵令嬢が着るような服です。


 焼け落ちた教会を遠巻きに見ている人達──街の人や今回の儀式に参加する予定だった若者達をぐるりと見回すと、リィンさんはその中の一人を指さしました。


「あれが聖女セリシアよ」


 くすんだ銀髪の少女──セリシアさんはどこにでもいそうな見た目の女の子でした。


 聖女にしては威厳やカリスマ性が足りないんじゃないのかなぁ、そもそも彼女は平民だよなぁ、と思っているとリィンさんが確信をもって「彼女が聖女よ」と言いました。


「聖女は勇者と共に魔王討伐に参加、その命を代償にした結界で魔王の力を半減させ、勇者がとどめを刺す。私が彼女より先に死なない限り、全てこの結末だった」


「つまり魔王を倒す前に彼女に死んでもらうんですか?」


「彼女を殺すのは無理よ」


 きっぱりとそう断言します。


「その心が慈愛で満ちるか自身が死に瀕したとき聖女の力が目覚めるの。聖女の力は凄まじく、彼女が魔王戦以外で死んだのを見たことはないわ」


「力に目覚めないように即死させないと駄目ってことですか」


「彼女に自覚はないけど今でも聖なる加護を受けているから即死させるのはほぼ不可能ね。伝説級の呪物が必要になる」


「じゃあどうするんですか?」


 私の疑問には答えずリィンさんはセリシアさんのところへと歩いて行きました。途中でセリシアさんが自分に近づくリィンさんのことに気づくとぱぁっと花が咲いたように笑い、駆け寄ってその手を握ります。


「リィン、久しぶり」


 そう、セリシアさんが笑顔で挨拶をすると、リィンさんも顔をほころばせ挨拶を返しました。


「久しぶりねセリシア、元気そうで良かったわ」


「あなたも元気そうで嬉しいわ」


 セリシアさんの言葉通りリィンさんの目には生気が宿り、肌も艶を取り戻し、頬も軽く紅潮していました。何処から見ても生きている健康的な人間です。


 まるでセリシアさんの近くに行くことで生命力を獲得し、人として生き返ったかのようでした。


「リィンもここの儀式に来てたのね。私も一番近いのがここだから来たんだけど……どうやら今年は中止みたいよ」


 導きの儀式は就職説明会も兼ねているとハナコ様がおっしゃていたように、他の参加者と同じくセリシアさんも職探しに来ていたようですが儀式が中止になって困ってるみたいでした。


「儀式がないと自分がなんの職業に向いてるかもわからないし、働き口を探すのも大変なのよね。私としては人と関わる仕事がしたいけど、どんな仕事がいいのかしら」


「セリシア、あなたにはメイドが向いてると思うわ」


 きょとんとしているセリシアさんに、リィンさんが微笑みかけます。


「うちのメイドの一人が急に辞めてしまって困ってるのよ。だから良かったらだけど、うちで働かない?」


「えっ? それは嬉しいけど……本当にいいの?」


「もちろん、セリシアだったら大歓迎よ」


 セリシアさんは笑顔で「ありがとう!」とお礼を言うと、就職が決まった喜びでぴょんぴょん跳びはねていました。


 それからセリシアさんは泊まっている親戚の家に戻って荷物をまとめてからリィンさんと合流、就職先であるリィンさんの邸に一緒に向かうことで話がまとまりました。


「じゃあ、またね」


 そう言ってセリシアさんを見送ったリィンさんが私のいる馬車にまで戻ってくると、また死人のような生気のない顔になっています。


 なんとなく、彼女が聖女というのは本当なんだろうなと思いました。


「聖女とお知り合いだったんですね」


「会うのは三年振りだけど、彼女の母親が公爵家で働いてたから子供の頃はよく一緒に遊んだのよ。あの頃の私はセリシアと一緒にいるときが一番楽しかった……彼女と一緒にいた期間はループが始まる前のことだけど、今でもはっきりと覚えてる」


 そう言ってリィンさんはぴくりとも表情を変えず、静かに涙を流しました。


「……気にしないで、彼女と再会するといつも涙が流れるの。なんで泣いてるのか私にもわからない。嬉しいのか、悲しいのか、それもわからない……何もわからない」


 ぽたぽたと手の平の上に落ちる涙を眺め、何処か他人事のようにリィンさんが呟きます。


「ただ、どうしようもなく涙があふれてとまらないの」


 それからしばらくリィンさんは涙が流れるままにしていました。


///


 ハンカチを水で濡らして戻ってくると、リィンさんは茫洋とした目で空を見ていました。相変わらず生気を感じない佇まいなので、知らない人が見たら死体に見えるんじゃないかと思います。


「これからどうするんですか?」


 濡れたハンカチを渡しながらそう訊くと、リィンさんは淡々と答えました。


「彼女が聖女として目覚めないよう手元に置いて監視するわ。聖女の力がなければ勇者も魔王を討伐できない。上手くいけば数年で世界は滅ぶはず」


「上手くいくんですか?」


「……嫌になって数えるのをやめるぐらいには失敗してるわ。私がどれだけがんばっても、セリシアは聖女として目覚めて世界を救ってしまう」


 腫れた目にハンカチを当て、うつむきます。


「でも、これを諦めたらもう本当にやることがないの。だから、やるしかない」


 強い口調でそう言いましたが、それとは裏腹に声音には虚無感が滲んでいます。初めて会ったときからリィンさんには生気を感じられませんでしたが、それは生への疲労感から来るものなのかなと思いました。


 今日一日リィンさんと一緒に過ごしてわかりましたが、ループ転生者って大変なんですね。最初はループするなんて便利だなって思ってましたが、リィンさんの話を聞いた今となっては死んでもごめんです。


 しばらく目を冷やしていると、馬車の御者さんが休憩から戻ってくるのが見えました。


 リィンさんは「これ、ありがとう」とハンカチを返すと、「お礼に教えてあげるけど、シーキスという名前を聞いたらそいつはスパイだから気をつけなさい」と言いました。


「じゃあ、もう行くわ。ハナコさんの報告に不満を持ったラスビアさんとは一ヶ月後に会うけど、あなた達とはもう会わないと思う」


「それなら最後にハナコ様ともお別れの挨拶をした方がいいんじゃないですか? そろそろ戻ってくると思いますよ」


「いつこっちの首を刎ねてくるかもわからない人と挨拶なんかしたくないわよ」


 そう言ってリィンさんは馬車に乗り込みました。


「あなたと一緒にいるハナコさんは私の知ってるハナコさんとは少し違ってたわ。……じゃあ、さようなら」


 私も「お元気で」と言って手を振って馬車を見送りました。


「…………」


 リィンさんがセリシアさんをメイドに勧誘したときメイドの一人が急に辞めたと言ってましたが、ミェニーさんとの雑談の中で聞いた馬車に轢かれて死んだメイドがそれだったのではないでしょうか。


 そのメイドも未来の犯罪者だったのか、それともセリシアさんを雇うため罪のないメイドを事故死させたのかはリィンさんに訊かなかったのでわかりません。でもどちらにせよ、リィンさんが語る未来が本当かどうかの確認ができないのだから聞いても意味はありません。


(やっぱり、気が狂ってたんじゃないかな)


 常人では耐えきれないほどの長い年月を生きているようだったので、普通に耐えきれず発狂したと考える方が自然な気もしますし、悪い人ではないけれど狂人だったと考えるとハナコ様が首を刎ねなかったことも納得できます。


 そんなことをとめどなく考えていたらハナコ様が戻ってきたので、リィンさんがもう行ってしまったこと、ラスビアさんがハナコ様の報告に不満を持つことをお伝えしました。


「そんなこと言われても知らないわよ」


 そう、ハナコ様は未来のラスビアさんに文句を言いました、


 それからハナコ様と宿に戻る途中、手当を受けている警備兵を見かけました。


「あの人って……」


「ああ、司祭館で気を失ってた人ね。爆発が起きた場所の近くにいたみたいだけど、奇跡的に軽傷で済んだみたいよ」


 ハナコ様の言葉通り、ちょび髭の警備兵は意識もはっきりしていて怪我もたいしたことはないようでした。


「世界って、思った通りにはなりませんよね」


 いきなり変なことを言い出した私をハナコ様は訝しげな目で見て、「どうしたの?」と尋ねました。私は「なんでもありません」と答えて、焼け落ちた教会を見ます。


 リィンさんが言っていた通り、世界はデタラメで不条理で無意味なものなのでしょう。だからきっと、誰にとっても思い通りにはならない。


 でもだからこそハナコ様やリィンさんみたいなデタラメな人が生きる余地が生まれるのかもしれないなと思いました。


(だからリィンさんは世界を滅ぼしたいのかな)


 リィンさんは自分を生かし続けるデタラメな世界を嫌っていましたから、そう考えると納得できます。


(リィンさんのがんばりが報われるといいですね)


 そうやって間接的にですが、世界が滅ぶようにと祈りました。

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ハナマリア 坂入 @sakairi_s

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