2.人身売買組織を壊滅させた話
いつだったか、ハナコという名前はとても珍しい響きだったので何処の出身なのかをお訊きしたことがあります。
「これは前世の名前なのよ」
ハナコ様は私にもわかりやすく説明して下さりました。
「私の前世はこことは違う世界の人間で、ハナコって名前はその国ではよくある平凡な名前だったの」
ハナコ様のような方は異世界転生者と呼ばれるのだとそのとき知りました。異世界転生者は存在が珍しく、大きな国でも二、三人いるかいないかくらいの希少生物なのだそうです。
そして異世界転生者は希少なだけではなく、プレゼントと呼ばれる異能力を持っているとハナコ様は説明してくれました。
「私のプレゼントは見ただけでその人が悪い人かどうかがわかるって能力よ。殺していい相手を簡単に判別できるから便利なのよね」
「ハナコ様はとてもお強いですけど、それはプレゼントではないんですか?」
「あれはがんばって鍛えたら強くなっただけよ」
がんばって鍛えたからで済ませていい強さではないような気もしましたが、ハナコ様がそう言われるのならそうなのでしょう。
それからハナコ様は自分が異世界転生者であることを他人には話さないように、と言われました。
「プレゼントには国を揺るがすような凶悪なモノもあるの。だからプレゼント持ちであることを他人に知られるとトラブルの元になるのよ。私も故郷では酷い目に遭ったわ」
「何があったんですか?」
「ひょんなことで私が異世界転生者だってバレて、それから色々あって故郷が国ごとなくなったわ」
小さな国だったけどね、と呟いてからハナコ様は話を続けました。
「当たり前だけど私にもこの世界の両親からつけられた名前があるわ。でも私のことをその名前で呼んでいた人達は国と一緒に全員いなくなっちゃって、それで、それからは前世の名前を名乗ってるの」
ハナコって名前、前世でも結構気に入ってたし、とハナコ様は呟きました。
私はハナコ様の話を聞いて、疑問に思ったことがあったので小さく手を挙げて質問しました。
「一つ訊いてもいいですか?」
「いいわよ」
「異世界転生者であることは知られない方がいいと言いましたけど、前世の名前を名乗ってたらそこから異世界転生者であるとバレてしまうのではありませんか? 実際、私も珍しい名前だなって思いましたよ」
「…………」
ハナコ様はあー確かに、そういえばそうだわ、わかる人は一発でわかっちゃうわー、という顔をした後、言いました。
「まあ、いいか」
///
各地の水源を毒の呪いで汚染して回っていた高位魔女の居場所を突き止め首を刎ねた場所から一番近い街が王都だったので、私はハナコ様に連れられ生まれて初めて王都に行きました。
王都にはたくさんの人が集まるという話を聞いていましたが、私の想像よりもはるかにたくさんの人、人、人の群れに目が回りそうになりました。石を持ち上げたら小さな虫がびっしりいたみたいな驚きです。
「私、こんなにたくさんの人を見たの初めてです」
「人が多いと悪い人も多くなるから気をつけてね。あの屋台と、あっちにいるグループには近づかないで」
ハナコ様は野菜を売っている屋台と「政治を民衆の手に!」「革命を!」とわめいているグループを指さしてそう言いました。
「あれは多分麻薬の密売やってるから近づいちゃ駄目。あっちの王制の打倒を訴えてるのは面倒だからかかわらないでね」
そうこうしていると衛兵がやってきて王制打倒のグループと口論になり、すぐに乱闘に発展、最初は素手で殴り合っていましたがどちらともなく剣を抜き、気がつけば血を血で洗う殺し合いになっていました。
「あれ、放って置いていいんですか?」
「主義主張が違うってだけでどっちが悪いって話じゃないからね、興味ないわ」
そう言ってハナコ様は乱闘に背を向けると私の手を引いて王都の冒険者協会に向かいました。
冒険者とはいわゆる何でも屋のことです。
元々はダンジョンなどの未踏地域を探検して希少な素材などを採取、採掘する人達を指す言葉でしたが、大陸の未踏地域を探検し尽くしてしまったため職にあぶれてしまい、今では依頼があれば何でもする職業として認知されています。
主な依頼は薬草や鉱石などの素材の収集や魔物退治ですが、私が住んでいたところでは農業の手伝いや大工の真似事をしている冒険者もいましたので、やはり何でも屋という認識が正しいと思います。
ハナコ様は冒険者の資格も持っていて、たまに冒険者協会の仕事をこなしています。何故冒険者ギルドの仕事をするのかと尋ねたら、
「お金がもらえるからよ」
という答えが返ってきました。
勤労意欲にあふれるハナコ様は素敵です。
人に道を尋ねて辿り着いた冒険者協会は田舎のそれよりもはるかに立派で大きな建物で、中に入るとたくさんの人で賑わっていました。
「おうおう、見ない顔だな! お前らみたいなガキが来ていい場所じゃねえぞ!」
入ってすぐに強面スキンヘッドのおじさんが難癖をつけてきました。これも田舎の冒険者協会ではなかったことなので都会ってすごいなって思いました。
「ここにお前らみたいなガキができる仕事はねえよ、悪いことは言わねえからとっとと帰んな!」
おじさんは私達の前に立ち塞がると入り口のドアを指さしてこちらを睨んできました。
絶対にここを通さないという強い意思を感じます。何故初対面の私達にそんな何の利益にもならないようなことをするのだろうと不思議に思っていると、奥から糸目の男性がやってきました。
「こらこら、いきなりそんなに怒鳴ったら彼女たちも怖がってしまうだろう」
「あ、スタンさん……」
「ここは僕に任せてもらえるかな」
スタンと呼ばれた糸目の男性が肩をぽんと叩くと、スキンヘッドのおじさんは何か言いたそうな顔をしながらもすごすごと下がりました。
「やあ、いきなりすまなかったね。彼はあとで叱っておくから許して欲しい」
「別に気にしてないわ」
「そうか。ところで君達は冒険者として仕事を受けに来たのかな?」
ハナコ様がそうだと答えると、スタンさんは「ならまずはこの仕事を受けて欲しい」と言って薬草採取の依頼書を見せてきました。
「この依頼には僕も同行して、薬草のある場所への案内もする。うちでは初めての冒険者にはこういう簡単な仕事をしてもらって実力を見るんだ。テストされているようで嫌かもしれないが、その分報酬も良いから受けてもらえないかな」
「構わないわ、いつ出発するの?」
「君達が決めてくれ、僕はいつでもいいよ」
「じゃあ今から行きましょう」
私達は協会を出るとスタンさんに案内され、王都から一時間ほど歩いた先にある森にやって来ました。森の奥にある薬草の群生地に辿り着くとハナコ様はスタンさんの両足を斬り飛ばし、出血死しないように魔法で止血しました。
「ひいいぃぃぃ!? な、何をするんだ!?」
「あなた、悪い人でしょう。私達に何をするつもりだったか喋って」
ハナコ様が悪い人に質問するときはナイフで指を切り落とすことが多いです。
まず痛覚が鋭敏になる魔法をかけ、それから右手人差し指をナイフで切り落とします。魔法の効果もあって余程痛いらしく大の男でも泣き叫ぶこともあるのですが、それでも話してくれないときは次の指を切り落とします。次の指が終わったらまたその次の指に。右手が終わったら左手に。左手が終わったら右足に。最後は左足に。
何本目の指で話してくれるかはその人の根性と精神力によりますが、スタンさんは一本目の指の薄皮が切れたところでべらべらと全部喋ってくれました。
「つまり、先回りして待ち伏せている仲間と一緒に私達を捕まえて奴隷商人に売るつもりだった、と」
「はい! はい! そうなんです! 全部正直に話しましたから、命だけは……!」
ハナコ様はスタンさんの首を刎ねました。
「私の故郷の冒険者はみんな気のいい人達ばかりだったのですが、都会の冒険者ってみんなこうなんでしょうか」
「都会でも善い冒険者はいるわよ。私達を怒鳴りつけてきた禿頭のおじさんいたでしょう、あれは善い人よ」
「善い人なのに怒鳴ってきたんですか?」
「こいつらのやってることを知っていたのかもしれないわね。だから被害に遭わないように追い返そうとしたんじゃないかしら」
それから私達はスタンさんから聞き出しておいた待ち伏せポイントに行き、そこに隠れていたスタンさんの仲間四人中三人の首を刎ね、残った一人の両足を斬り飛ばしました。
「あなたがリーダーよね。全部話してくれる?」
リーダーさんは二本目の指の途中で全部喋り、首を刎ねられました。
生前のリーダーさんの話では私達を売ろうとしていた奴隷商人は違法人身売買組織の長であり、その拠点は王都にあるとのことでした。
私達は一時間かけて王都に戻ったその足で違法人身売買組織の拠点に行くと、入り口と思しきところには人相の悪い武装したチンピラが二人ほどいました。
「なんだてめえら! ここに用でもあんのか!?」
ハナコ様は答える代わりに二人の首を刎ね、そのまま正面から中に入りました。
武装したチンピラが虫のように湧いてきましたがハナコ様はその全員の首を刎ねました。更に奥へと進むとフル武装した傭兵達も出てきましたがハナコ様はその全員の首を刎ねました。
建物の一番奥にここの長である奴隷商人と、その奴隷商人を守るように立ち塞がる強面スキンヘッドのおじさんがいました。
それは、冒険者協会で私達を怒鳴りつけてきたおじさんでした。
「善い人じゃなかったんですか?」
「善い人よ、他の人達はみんな逃げようとしたけどあの人だけは逃げずに商人を守ってる。多分、あの商人に義理か恩があるんじゃないかしら」
逃げようとした人達はみんなハナコ様に首を刎ねられたので、この部屋にいる生きている人は私達とスキンヘッドのおじさん、奴隷商人だけです。
ハナコ様は斧を構えているスキンヘッドのおじさんに剣を突きつけ、言いました。
「あなたの後ろにいる人は悪い人だから守る価値はないわ、そこをどいてくれる?」
「……あんたらにとってはそうかもしれねえが、俺にとっては命の恩人なんだよ! 命惜しさに恩人を見捨てるなんてできるわけねえだろ!」
スキンヘッドのおじさんはハナコ様に向かって斧を振り下ろします。ハナコ様は右手に持った剣でその斧を受け、左手で横から斧を殴ってその刃を砕きました。
「なにぃ!?」
ハナコ様は一歩距離を詰めると素手でスキンヘッドのおじさんの腹をぶん殴りました。衝撃でスキンヘッドのおじさんの体が宙に浮き、そのまま床をごろごろと転がります。
「ま、まだだ……っ!」
スキンヘッドのおじさんは血反吐を吐きながら立ち上がると壊れた斧を捨て素手でハナコ様に襲いかかります。ハナコ様はスキンヘッドのおじさんの拳をかわすと今度はその顔面を素手でぶん殴りました。
衝撃でスキンヘッドのおじさんの体が宙に浮き、そのまま床をごろごろと転がりましたが、また血反吐を吐きながら立ち上がります。
「ま、まだ…まだだっ!」
手加減しているとはいえハナコ様の攻撃を二回も喰らって立ち上がるのはとても珍しいことだったのでハナコ様も少し驚いているようでした。
とはいえダメージは相当なもののようで、スキンヘッドのおじさんの足はがくがくと震え視点も定まらないようでした。骨は何本か折れ臓器も痛めているでしょうし、常人であれば立ち上がることもできない状態のはずです。
それなのにスキンヘッドのおじさんはファイティングポーズを取り、立ち塞がります。
ハナコ様は剣を肩に担ぐと困ったように言いました。
「あなたは善い人だから殺したくないんだよね。悪いことは言わないから寝ててくれないかな」
それを聞いたスキンヘッドのおじさんはきょとんとした顔をしましたが、やがて顔を真っ赤にして怒りました。
「この俺が……何人も何十人も見殺しにしてきた俺が善い人なわけねえだろうが!」
スキンヘッドのおじさんは突進し、右の拳を繰り出します。ハナコ様がその拳を手で掴むと勢いは完全に止まり、ぴくりとも動かなくなりました。
「あなたが善い人かどうかは、あなたが決めることじゃない」
ハナコ様がそのままスキンヘッドのおじさんをぶん投げ、壁に叩きつけるとそのまま崩れ落ち、動かなくなりました。呼吸はしているようなのでかろうじて生きているようです。
「ま、待て! 何が欲しい? 金ならあるぞ! 他にもわしが持ってるものならなんでもやろう!」
スキンヘッドのおじさんがやられたのを見ると奴隷商人がすごい勢いでわめき始めましたが、ハナコ様は何も言わず両足を斬り飛ばします。それから一本目の指にナイフの刃を当てたらすぐに全部喋ってくれました。
奴隷商人さんの話では冒険者協会もグルで、定期的に新人の冒険者を騙して捕まえては奴隷として売りさばいていたそうです。そしてこの件には王族もからんでいると言っていました。
「まあ、とりあえず捕まってる人達をどうにかしようか」
奴隷商人さんの首を刎ねてから私達は奴隷達が捕まっている部屋に行くと牢を壊し全員を解放しました。
話を聞くとさらわれたか騙されて捕まっていた人達ばかりだったのでみんなハナコ様に涙を流しながら感謝していました。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「あなたは命の恩人です!」
「このことは代々語り継いでいきます!」
捕まっていた人達に囲まれ感謝の言葉を雨あられと浴びせられているハナコ様の元に、捕まっていた少年が嬉しそうに駆け寄ってきました。
「これ、見てください!」
そう言って少年は人の生首を差し出してきました。それは、強面スキンヘッドのおじさんの首でした。
「こいつ、こそこそ逃げようとしてたんで殺してやりました! ざまあみろですよね!」
嬉々としてそう話す少年を前にハナコ様は、ただ、寂しく笑っていました。
私達は捕まってた人達の中で行き場のない人達を教会を預けた後、冒険者協会に向かいました。冒険者協会もグルだという話なので会長に会うため押し入ると冒険者達が襲いかかってきたので、悪い冒険者はハナコ様が首を刎ね、そうでない冒険者は素手でぶん殴り気絶させ、会長のいる部屋に辿り着きました。
「なんだお前達は! 私が誰だかわかっているのか!?」
「わかってる、冒険者協会の会長でしょ」
「ああそうだ、だがそれだけではない。私のバックについているお方が誰だかわかっているのか?」
「わかってる、第五王子でしょう」
ハナコ様は会長の首を刎ねると協会の建物を出て、その足で王城に向かいました。
「許可のない人を通すことはできません!」
門番の衛兵を殴って気絶させるとハナコ様はそのまま王城に突入します。
衛兵と騎士が次から次へと襲いかかってきましたが、悪い人は首を刎ね、そうでない人は素手で殴って気絶させ、どんどん進みます。近衛騎士団を全員殴り倒し、王宮の最奥にある緊急避難部屋の扉を破壊すると中には王様と第五王子、護衛の兵士がいました。
「なっ、なんなんだお前達は!? いったい──」
ハナコ様は兵士を全員殴り倒し、第五王子の首を刎ねました。
「貴様ぁっ!」
目の前で第五王子を殺された王様は剣を抜くと殺気のこもった眼差しでハナコ様を睨みつけます。尋常でないほど怒っているのが一目で見て取れました。
いやでも、怒りすぎじゃないですかね。
だって長男の第一王子が殺されたのならわかりますが、相手は第五王子です。そんなに怒ることもないんじゃないかなぁ、上に四人もいるでしょ、と思ったのでそのことをこっそりハナコ様に訊くと「第五王子でも継承権は一位なのよ」と解説してくれました。
「王には七人の子供がいるけど、第一王子は病弱で臥せっていて、第一王女は追放され、第二王子と第四王子は戦死、第二王女は他国に嫁ぎ、第三王子は継承権を放棄して反体制運動に興じてるの。だから後継者は第五王子だったのよ」
「ああ、後継ぎをハナコ様が殺しちゃったから怒ってるんですね」
王族は後継者問題で大変だと聞いたことがあります。それならあの剣幕も納得ですね。
「お前は異世界転生者だな」
後継者問題がこじれた憎しみを隠そうともせず、王様はそう断言しました。
「手前勝手な価値観と正義を押しつけこちらの事情など鑑みもしないその傲慢な振る舞い、異世界転生者以外に有り得ない。お前達はいつもそうだ、自分達の世界の価値観のみが正しいと断じ、我々の世界を踏みにじる。自分を正しいと思いこんでいる分、下手な魔物よりもタチが悪い」
「全員がそうではないでしょう」
「少なくともお前はそうだ」
ハナコ様に剣を突きつけ、王様は怒りのままに言葉を吐き出します。
「それで次はどうする? 私を殺し王制を打倒するか? この国を開かれた社会とやらに作り変えるのか? そうしてお前達の言う正しい国家を築き全ての民を幸福にするのか? そのために息子を──アルルシャを殺したのか」
「私はそういうのに興味はないわ。ただ悪い人を殺してるだけ」
「悪い人? アルルシャが悪い人だと? ……ああ、奴隷のことか」
王様はため息を吐くと蔑んだ目でハナコ様を睨みました。
「お前達は知らないだろうが今この国は狂毒の魔女の脅威にさらされている。これに対抗するため、不本意ではあるが奴隷を使った──」
「魔女なら殺したわ」
「は?」
間の抜けた顔をしている王様に、ハナコ様は昨日の出来事を説明しました。
「水源に毒を撒いてた高位魔女なら昨日殺した。かけられた呪いも数日で消滅するはずよ」
「……魔女は生命を腐らせる毒の呪いと全てを阻む呪いの障壁を使う。第一騎士団が為す術もなく壊滅しているのだぞ、それをどうやって──」
「首を刎ねたら死んだわ」
「……………………」
王様は呆然としていましたが、やがてハナコ様に突きつけていた剣先をゆっくりと下げ、天を仰ぎます。それからしばらく無言でいた後、今度はうなだれるように視線を下に向けました。
「この国の脅威を排除したんですから感謝されますかね?」とハナコ様に訊いたら「難しいんじゃないかしら」と言われました。
感謝と憎しみが相殺してゼロになるほど人間は単純ではないのだそうです。
王様を見てみると、たしかにそのような顔をしていました。感謝の気持ちと憎しみの心で内面を引き裂かれているような人の顔です。
「……お前は救国の英雄だな」
王様はそう、ぽつりと言いました。
「だが、息子の仇だ……」
誰に語りかけるでもなく、ただ穴の開いた器から水が漏れるように言葉を呟いていきます。
「……私は国王であり、人の親だ」
王様はただ、自分が何者であるか、自分が為すべきことは何かを問い続けているようでした。
それから聞き取れない声で何かを呟いていましたが、やがて王様は顔を上げハナコ様を見ました。
「国王として国を救ってくれたことに感謝する」
そう言って王様は剣を鞘に納めました。
「だが一人の父親としてお前を殺す」
瞬き一つの間に王様はハナコ様に肉薄し、抜剣します。納剣したのを見て気が緩む一瞬の隙をつく完璧な一撃です。
力強く、それでいて精密な動きの斬撃はハナコ様が首を刎ねるときのそれによく似ていましたが、ハナコ様はそれを容易くかわすと王様の剣を弾き飛ばしてから胸ぐらを掴み、そのまま引き倒しました。
王様の体を床に押さえつけ、目と目を合わせ、ハナコ様が言います。
「あなたは悪い人じゃない」
ハナコ様は王様から手を離すと剣を収めました。
「あなたが善い国王かどうかは知らない。でもあなたは善い人よ、それは今も尚」
王様は驚いたような顔をしたあと、苦虫を噛み潰したような顔をして、それから、怒りに顔を染めると近くに転がっていた兵士の剣に手を伸ばし、その柄を握りました。
「あなたがその剣で私に斬りかかっても私はあなたを殺さない。だからそれで気が済むならそうすればいいと思う」
「…………」
王様はしばらくの間ハナコ様を睨み付けていましたが、やがて固く目をつむり、剣の柄から手を離しました。
それから、拳で床を思い切り殴りました。皮膚が裂け、血が流れましたが王様はそのことに気づいてもいないようでした。
ハナコ様は王様の隣を通って歩いて行ったので、私もその後に続きました。もう、城には私達の邪魔をする人はいなかったのでそのまま外に出ました。
城門では「政治を民衆の手に!」「革命を!」と騒いでいる民衆が押し寄せ、衛兵と小競り合いをしていました。ハナコ様が城で暴れた機に乗じて乗り込んできたようです。
衛兵や騎士団の大半はハナコ様に倒されてしまったのでこの数の民衆を相手にするのは大変そうだと思いましたが、ハナコ様は興味のない様子ですたすたと歩いていってしまったので私も気にするのをやめてその後を追いました。
///
王都に来る前、水源を汚染しようとしている高位魔女に何故こんなことをするのかとハナコ様が尋ねると、魔女は素っ気ない口調で答えました。
「そうしたかったの」
魔女の目があるべきところには窪んだ穴があるだけで、ただ暗く、暗く、魔女は何も見えていないのだと、何も見たくないのだとわかりました。
「この世界はそうあるべきだと思ったの」
まるで子供のように邪気もなくそう語ります。
「だからそうしたの」
魔女の窪んだ穴から毒の呪いがあふれ出し、それは黒い涙のように見えました。ハナコ様が呪いの障壁ごと魔女の首を刎ねると涙は止まり、首を失った体は朽ち木のように倒れるとぼろぼろと崩れ、黒ずんだ砂だけが後に残りました。
「ねえ、知ってる?」
地面に転がった魔女の首が、虚空に向かって話していました。
「この世界は悪いことだけでできているのよ。だから、みんな──」
やがてその首もぼろぼろと崩れ、黒い砂に変わります。強い風が吹き、全ての黒い砂が飛ばされると、後に指輪が一つ残りました。
「ロイヤルリング……王族だけが持つマジックアイテムよ」
ハナコ様は指輪を拾うとそれを川に向かって投げ捨てました。指輪は弧を描いて飛んでいき、きらきらと光り、やがて見えなくなりました。
///
私達が王城に行ってから十日ほどが経ちました。
解放された奴隷達か組織の生き残りが漏らしたのか、第五王子が違法人身売買組織と繋がっていたことが広く知れ渡ってしまったため反王制派の勢いは増し、各地で反乱も起きているとのことです。
「元々国民の人気が高かった第一王女が追放されたことで王室への反感が高まっていたのよ。そこに第五王子の悪事が露見したから火に油が注がれて炎上したのね」
ハナコ様は城から帰ってから、王都を巡回しては治安の悪化に乗じて悪事を働こうとしている悪い人を見かけ次第首を刎ねる活動をしていましたが、めぼしい悪い人はみんな殺したので王都を発つことにしました。
宿の窓から眺める王都は物々しい空気に包まれ、幾つか火の手も上がっているようでした。
宿の女将さんからも反王制派が優勢だという話を聞いていたのでハナコ様に尋ねてみました。
「このまま王制は打倒されてしまうんでしょうか?」
「さあ? そういうのは興味ないんだよね」
ハナコ様は政治と宗教の話には興味がないと仰ったので私も興味を失いました。言われてみれば私はこの国に愛着も思い出もないのでどうでもいい話です。
王都を出発して街道を歩いていると道の先に横倒しになった馬車が見えました。貴族が使うような高級馬車だったので「王都から逃げ出した貴族かな」とハナコ様が呟きます。
「助けて!」
そう叫びながら貴族の女性が馬車の影から飛び出してきましたが、それを追うように飛び出してきた野盗風の男に斬りつけられました。
ハナコ様は剣を抜くと一息で距離を詰め、野盗風の男の首を刎ねました。私も倒れている貴族の女性に駆け寄りましたが、もう絶命していました。
馬車の周りには他にも貴族や従者、護衛の冒険者の死体が転がっていました。それをやったであろう十人ほどの野盗風の男達が私達を囲んでいます。
既に一人殺された野盗風の男達は殺気だった目で私達を見ていましたが、その中の一人が怯えた声で叫びました。
「や、やめろ! そいつに手を出しちゃ駄目だ!」
そう言い終えたときにはもう三人の首が落ちていました。続いて怒号を上げて斬りかかってきた二人の首を刎ね、混乱している四人の首を刎ね、腰を抜かして失禁している一人の首を刎ねると残ったのは最初に叫んだ一人だけになりました。
怯えた顔でハナコ様を見ているその残った一人は、違法人身売買組織で強面スキンヘッドのおじさんの首を持ってきた元奴隷の少年でした。
「教会に預けたはずなのになんでこんなことしてるの」
「……あんなところにいられるかよ!」
泣きそうな顔をしていた少年は、鬱屈とした想いを吐き出すようにそう叫びました。
「規則とか神の教えとか知らねえんだよ! 俺はもう奴隷じゃないんだ、自由なんだ! だから俺は俺のやりたいことをやりたいようにやる!」
「……そのやりたいことっていうのが追いはぎなの?」
少年は怒りに満ちた目で横たわる貴族の死体を指さし、言いました。
「こいつらは俺が奴隷として辛い目に遭っていたときも何不自由なく生きてた! 俺が飢えてたときも美味いものを食べて、凍えてたときも暖かい部屋でぬくぬくと過ごし、俺が不幸だったときもずっと幸せに過ごしてやがったんだ! だから俺にはこいつらから奪う権利がある! そうじゃないと不公平だ!」
「その理屈はよくわからないな」
ハナコ様が剣を構えると少年は怯えたように一歩下がり、怒りとか恐怖とか悲しみとか嘆きとか憎しみとかがない交ぜになったような顔で訴えました。
「……俺を殺すのか? あんたが俺を助けてくれたんじゃないか! 奴隷の身分から解放してくれて、あの惨めな日々を終わらせてくれた! それなのに俺を殺すって言うのか!?」
「助けたときの君は善い人だった」
ハナコ様が剣を振りかぶります。
「でも今の君は悪い人だ」
ハナコ様は少年の首を刎ねました。
血振りをして剣を収めるとハナコ様は珍しく嘆息しました。
「時間や環境が人を変えてしまうことがある。だから善い人が悪い人になってしまうこともあるんだけど……」
その続きは言葉にせず、ハナコ様はただ黙って地面に転がった少年の首を見ていました。
善い人が悪い人になってしまうことがあるのなら、悪い人が善い人になることもあるのでしょうか?
だとすると、ハナコ様が首を刎ねた人達の中にも善い人になったかもしれない人達がいたということでしょうか?
私はそう疑問に思いましたが口にはせず、黙って後ろを振り返ると遠く離れた王城から火の手が上がっているのが見えました。
(あの魔女さんが願っていたのって、こういうことだったのかな)
と、そう思いました。
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