「とおり雨」— episode 10 —

 空は黒雲に覆われ、俄に降りだしてきた。

「先に行っててくれ」

 ウダはそう言って、キッチンで湯を沸かしはじめた。それを横目に階段をあがる。

 ノックもせずに扉を開けて入った。ナカシロは椅子に座り、眠っているようにみえた。昨晩座った椅子に腰掛ける。マッチで煙草に火を点けた。

「よく眠れたかね……」

 ナカシロはゆっくりと瞼をもたげた。

「起きてたのか。爺さんあんた、ナカシロって名らしいな。本名か?」

「ここで名を偽っても仕方なかろう」

 ウダが飲み物を持って入ってきた。あの甘くて苦いやつだった。雨の音にマッチを擦る音が重なる。ナカシロがパイプに火を点けた。テーブルの向かいにウダ が座った。

「もう話したのか?」

「いや」

 ウダはナカシロにゆっくりと向き直った。

「今しがたレイキが報告にきた。チャンが……自ら命を絶った」

 雨風で窓が激しい音をたてる。

 ナカシロは目を閉じ、しばしの沈黙。そして静かに口を開いた。

「そうか」

 煙草の火を灰皿に押し付けた。

「そうか……だと?」

 怒りがこみ上げてくる。

「真実を話せば、最悪こうなることぐらいわかってたはずだ」

 なんとか声を押し殺した。

「やめろ」

 ウダが俯いたまま言った。

「おれは言ったよな、おまえに。本当に大丈夫なのかと。しかも二度もだ」

 ナカシロは目を閉じ、押し黙っている。

「だったら、あんたならどうしたっていうんだ?真実を隠すってことは、あいつは意味もわからず鎖に繋がれて。理由も知らされずに、この村から追放されるってことだ。そんなことはできん」

「死んだら元も子もないだろうが」

「そう言うあんたは、もう少しで撃ち殺すところだった」

 互いに疲れきった力ない目。古びた床を、ただ見つめていた。

「ふたりともやめんか」

 地の奥底深くから響いてくるような声。

「生きる道はいくらでもあった。それを示したうえで、あの若者が自ら選んだ道だ。我々はできうる限りの手は尽くした。誰の責任でもない」

 窓の外が一瞬光った。遅れて、遠くから雷鳴が届く。

「チャンも……あの母親も、おれのせいで死んだ」

「そんなこと誰もおもっていない」

 ウダは落ち着いた声でしずかに言った。ナカシロは黙ったままゆっくりと立ち上がる。暖炉に火を起こし始めた。

「地下牢でのことを聞かせてくれんか」

         ・     ・

 地下牢での一部始終。

 二人で話し合った見解とを、ウダは一つの抜けもなく話した。補足することは何もなかった。

 ナカシロはパイプを燻らせ、黙って聞いていた。

 話し終えても、しばらく何か考えていた。次に口を開くそのときを、おれたち二人はじっと待った。

「葬儀が終わり次第、オキの元へ赴き今後の指示を仰げ。ひと足先に書簡を届けておく。チャンの亡骸については、追って指示する」

 ウダは黙って頷いた。

「もうそろそろ火葬の準備が始まる。先に行っててくれんか。わたしはこの男と後から向かう。マハルは、どうしておる?」

「ニエの婆さんが付き添ってる」

「そうか。ハウロにあとで話があると、伝えておいてくれ」

 ウダは黙って頷くと立ち上がり、部屋から出て行った。

 雨はいつの間にかあがり、日が差していた。さっきまでの様子が嘘のようだった。

「聞きたいことがあるなら聞くといい。葬儀まで、まだ少し時間がある」

 そう言って、ナカシロは窓の外を眺めた。

「マハルってのは、残された娘の名か?」

「そうだ。母親には会ったのか?」

「ああ。若くて、気立てのよさそうな女だった」

 ナカシロはじっとおれを見詰めてきた。

「その様子だと、彼女について何も聞いとらんようだな」

「なにをだ?」

 ナカシロは目を細め、煙をゆっくりと吐き出しながら言った。

「ミサは……彼女はウダの姉だ」

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