「自死」— episode 9 —

 物音で目が覚めた。

 意識が朦朧としている。

 —— ここは……どこだ…?

 音がする方を見た。女がキッチンで朝食を作っている。

 —— なんだ……家か。アコのやつ帰ってきたのか?リクもいるのか……。昨日のこと…謝らないとな。

 身体がいうことをきかない。再び深い眠りへと落ちていった 。

「起きろ」

 ウダの声で目を覚ました。窓からの日差しに目が眩む。

 そうだった。おれは今、このわけのわからないところに……。頭痛がした。

「はやく食べてしまえ。出かけるぞ」

 テーブルの上にはパンとコーヒーが置かれていた。ソファから起き上がる。

「もっとマシなものはないのか?」

 聞こえたのかいないのか。ウダはなにも言わず外へ出て行った。

 パンをかじりながら、さっきの夢を思い出した。

 十年も前のことを今と勘違いするなど、あきれすぎて笑うこともできなかった。

 十年ほど前——。 

 地元で知り合った女と一緒になり、名古屋で暮らしていた。子供は作らなかった。一年半で離婚した。女は飼っていた犬を連れて、地元の佐賀県唐津市へと帰った。その後、おれも地元の福井県に帰った。

 あれがそもそもの間違いだったのかもしれない。あの辺りから、何かが狂い始めた。いや。思い返せば物心ついた頃から、おれの人生は狂い始めていたのかもしれない。

 ”少しでも寝ておけ”

 昨夜ウダはそう言って、奥の自分の部屋へと入っていった。

 考えることが多すぎて眠れるわけがない。そうおもったが、身体は想像以上に疲弊していた。いつの間にか眠りに落ちていた 。

 コーヒーを啜りながら煙草を喫う。ウダが戻ってきた。じっとおれを見てくる。

「マイペースな男だな。あんた」

 そう言ってキッチンへと入っていく。

「おまえ、英語もわかるのか?」

「ああ」

「この村の言葉は何語だ?」

「タガログ語だ」

「……タガログ語?」

「あんたの領域の言語だろう。爺さんが昔そう言っていた」

「どこの国だ?」

 嫌な予感がした。

「たしか、フィリピンと言っていた。この村の先祖はおそらくあんたが元いた領域。その国から、大昔にやってきた者達だろうとも言っていた」

 なんてことだ。おそらくこれから先、幾度となく驚かされることだろう。慣れる気が全くしない。

 ウダはコーヒーを啜りながら、黙っておれを見ていた。おれは目頭を押さえながら言った。

「ようするに、この領域に来たよそ者はおれと爺さんだけじゃないってことか」

「そういうことだ。しかも過去に何人もだ。安心したか?」

 安心どころか、絶望にちかい。

 言ってしまえば。みな元の領域に戻る術が見つからず、ここで永住する覚悟を決めたということだ。

 また頭痛がぶり返してくる。こめかみを押さえた。

「頭が痛いのか?」

 キッチンから小さな布袋を持ってきた。

「これを噛め。痛み止めになる」

「なんだこれは?」

 受け取りながら訊いた。

「コカの葉だ」

「コカだって!?冗談だろ……。これも、あの爺さんか?」

「これはこの村の付近の山に原生している」

 なるほど。ここに永住すると決めた人間がいたわけが、これでわかった。

「おまえもこれをやるのか?」

 ウダは煙草に火を点け、壁に寄りかかった。

「おれはそれは好かん。痛み止めに使うくらいだ。そろそろ出るぞ」

 コーヒーを飲み干す。煙草を木箱から三本つまみあげた。

 風が吹き、ひと雨きそうな雲行きだった。目の前に広がる緑の草原。風に揺れている。草の匂いが微かに流れてくる。頭痛はすぐに止んだ。コカの効力。効きすぎる前に吐き出した。

 次第に風が強くなってくる。昨夜往復した階段を再び登っていく。暗闇で感じなかったが、かなりの距離。黙々と上がっていく。

 もうあと少しで上りきる手前。一人の男が下から駆け上がってくるのが見えた。大声でなにかを叫んでいる。が、よく聞こえない。凄まじい速さで上がってきた。昨夜、地下牢にいた若い男の内のひとりだった。息を切らしながら、途切れ途切れウダに話しだす。男の顔が青ざめている。ただ事じゃない。話が済むと男はすぐに下っていった。

「どうした……なにがあった?」

 遠くで雷鳴が響いている。

「チャンが……自ら、命を絶った」

 両手両足は枷がはめられ、そこから壁に鎖が繋がれていたはずだ。

「いったい、どうやって……」

 雨が一粒。また一粒と落ちてくる。石の階段が黒く染まっていく。

「舌を…噛み切ったらしい」

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