「聖戦」— episode 6 —
その日。どす黒い雲が明け方から空一面を覆い、瞬く間に地上を翳らせた。
遠くの方で雷鳴が轟いている。まだ雨季ではない。
エアレはモリモの社にいた。
祖先の霊に、一人祈りを捧げていた。
昨夜から胸騒ぎが鎮まらない。風が暴さけている。変事の前触れ。
—— なにも、なければいいがね……。
黒い風の中、その不吉な空を見上げた。
・ ・
同じ刻。リクアラ河上流付近。
古から東西の決戦の場であるマラジョ島。その手前の平野にて、東域の一大勢力であるゴーン族の部隊が突如として出現した。
西武連はその動きを事前に捉え、明方から密かに陣を敷いていた。
西武連本陣の天幕——ナーゴ族からはラウ。アウス族、クライシュ族からはモフタールとチュンディーの族長代理二人。三人が向かい合い、樹海全域の地図を見下ろしている。
「我々が得ている情報によれば、族長のモジェスは自らカリフを名乗っている。正当化するために、その支持者らによってハディース(第二の啓典)が捏造されたという話だ」
あきれたようにモフタールが言う。
「あの男には信仰もなにもありはしない。己の覇権を維持するのに、セム的一神教を利用しているだけの男だ」
チュンディーもモジェスに関して情報を得ているらしかった。
「なるほどな。だが単なる野心だけでは、人々を惹きつけることはできまい。人の心情を捉える思想の力も、決して軽視できぬ」
ラウはそう言って、ハムル(葡萄酒)をあおった。
・ ・
モジェスを総統とした、東域連合部隊。その数およそ一万。西側はすでにその情報を得て、動きを察知していた。
その動きを見てとると、血の気の多いハズラジュ族前衛部隊がマラジョ島に上陸。それを囲むように西部連各部隊が配置につき、一斉に陣を構えた。その数およそ三万。
その圧倒的な兵力差に、東側がどうでるのか。
斥候が戻ってきた
「敵方、未だ動きはみられませぬ」
「怖気付いたのか?」
チュンディーが鼻で笑う。
「東側では敵前逃亡する者が相次いでいるとのこと」
ラウが頷く。
「さがってよい。しばらく身体を休めよ」
斥候が頭を下げ、天幕を出る。
「ラウ殿、どう思われる……」
合点がいかないといったふうに、モフタールが訊ねる。
「まだわからぬ」
モジェスは一向に動く気配がない。戦わずして兵を引き上げるとおもいきや、その気配すらない。ラウは思ったという。
—— なにかが、おかしい……。
・ ・
次第に霧雨がかかり、向こう岸が霞んで見える。
隣の中央部隊から総指揮官であるハサンが、側近と共にやってきた。
「なにかあるぞ……。油断するな」
そのときだった。
アウス族の部隊から早馬の伝令がやってきた。その兵が口早に告げた。
「総督と護衛部隊五百!!アウス族集落付近この先三里の間道にて、何者かに奇襲を受け現在戦闘中!!」
「敵の数は!?」
ハサンが叫ぶように訊いた。
「およそ千五百!!我が部隊二千が急ぎ向かっております!!」
ラウは飛び乗るように馬に跨り、一騎疾風の如く駆けた。
・ ・
カーディー・アル=クダー(大法官)たちとの昨日からの会合を無事に終え、総督とその護衛部隊は帰路の道中であった。
アウス族集落の手前三里付近に差し掛かっていた。両側を山に挟まれた南へと抜ける山間の間道。
俄に、激しい雷雨に見舞われた。稲光と共に突如、両側の斜面からアブー・バクルの兵士達が躍り出た。そして一斉に護衛部隊本体に襲いかかった。
「敵襲!!敵襲!!」
「皆の者!!総督に指一本触れさせるでないぞ!!」
指揮官が叫ぶ。凄まじい豪雨の中。刃が入り乱れ、火花が散る。血飛沫が舞う。西武連精鋭の護衛部隊といえど、敵の数と予測不能の事態 —— 歴戦の猛者たちが次々と倒れていく。現場は凄惨を極めた。誰一人として、生きている者はなかった。
激しい雷雨の中、血と泥にまみれた数多の屍。
その中にたった一体、見るも無残な死体があった。頭部がなく、全身が切り刻まれていた。ムージザは捕らえられ、その場で首を刎ねられた。
護衛部隊全滅。総督ムージザ討死——その凶報がマラジョ島にいたハサンの部隊に届く少し前。東軍は突如陣を払い、撤退していた。ハサンは悟った。—— アブー・バクルとゴーン族が、通じている。
・ ・
アブー・バクルはこの機会を待っていた。
彼等にとってこの戦いは、いわばジハード(聖戦)。無念の死を遂げた指導者、マナールを弔うための戦いだった。
別ルートからの過激派主力部隊一万と、ムージザを殺害したアブー・バクル別働隊が合流した。そのままマラジョ島で東軍と共に、西軍を前後から挟撃する策略だった。
ところが彼等の予想を裏切る事態が起きた。
東軍が突如撤退したのだ。その事を知ると急遽反転した。ハサンはクライシュ族部隊一万を残し、追撃を開始。敵は二手に分かれ逃走する。そのうち二千の敵部隊と、ラウが率いるアウス族部隊三千がぶつかった。さらにそこへ追撃してきたハサン率いる騎馬部隊、およそ二千がたたみかける。
その日、西側は数えきれぬほどの死傷者がでた。
西武連の珠玉ともいえる戦士達を、大勢失った。
武装勢力アブー・バクル、過激派組織はこの血戦により、半数以上の兵士を失った。
ムージザが殺害されたであろうその刻——。
エアレの左手首にあった翡翠の数珠。
キナミの形見であるそれが音をたてて切れ、床に散らばったという。
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