「謀反の疑い」— episode 5 —
ムージザにはもう一人、子がいた。
名をヤジートといい、ルチアの二つ年上の兄である。
幼少の頃からおとなしく、口数は少なく、聞き分けのある少年だった。周囲の者は—— 総督の聡明な跡取り——として、神童と褒めそやした。
しかし、エアレにはそうは思えなかった。
本来聞き分けのないのが子供である。親の言い付けを守らず、日が暮れるまで遊ぶ。気心の知れた友と、森を駆けまわる。それが子供らしさというものだと思い、心配していた。その不安が、現実のものとなりつつあった。
・ ・
前族長ヨセフの葬儀。
ハサンの隣にキナミが腰を下ろした。
「ムージザはあれかい?」
「ああ。キナミ殿、彼を見てどう感じる」
ムージザの隣に彼が座っていた。
あの時の少年が、はや齢二十になっていた。
話によると、常日頃から無駄口は一切たたかず、勉学に励み、ハサン仕込みの剣技は非凡なものがあると——誰もがその将来に、心から期待していた。
だが何年かぶりにその彼を見たエアレに、戦慄が走った。じっと何かを見詰めるその顔に、ある相が浮かび上がっていた。
母キナミが言っていた、陰の相。その最たるもの。
終焉の兆し—— 破滅の相。
彼の顔には表情や感情といったものがない。陽射しの下だというのに、その細い目には光がない。虚無を見詰めるような目の奥……。そのさらに奥にある果てしのない闇に、エアレは魂を吸い込まれそうな感覚を覚えた。母の言葉が甦る。
“ いいかい?その相はたとえ産まれたての赤児だろうと、人知れず抹殺しなけりゃならない。でないといずれ、世界が滅びるほどの災厄を
葬儀が終わり、ハサンが見送りにやってきた。
「キナミ殿、何か感じとられましたな」
「ハサン。あの子から、決して目を離すんじゃないよ」
ハサンは黙ったまま頷いた。
・ ・
ヤジートの底知れぬ闇に気付いていたのは、エアレとハサンだけではなかった。
「ハサン。近頃、ヤジートの様子はどうだ?」
「特に変わった様子はないかと……」
「そうか」
「なにか、気になるようなことでも」
「いや、何もなければそれでよい」
自分を見つめる息子の目——なにか異質なものをムージザは感じていた。
あの若者はというと——。
すぐにナーゴ族の戦闘員として組み入れられた。
類まれな身体能力。格闘術。抜け落ちていた記憶は、己の名だけ。
軍の中ですぐに頭角を表した。そしてハサンから数々の暗殺術を仕込まれた。
数年後、ナーゴ族唯一人のラーウィー(伝承者)となった。西部連の特命を帯び、暗躍することになる。名もなき影として。東の奥深くまで潜り込み、諜報部隊長として様々な諜報・工作活動を担った。
その後。西部連特務機関統括となり、名をラウと名乗る。その全権を担った。他の三部族の諜報部隊と連携し、活動範囲を樹海の外にまで拡げていた。
・ ・
アウス族諜報部隊から密書が届いた。
その書簡の内容に、ラウは目を疑った。
——宰相ヤジート、謀反の疑いあり。——
その頃。ヤジートは西域北部にある新たなる拠点にいた。ワジール(宰相)として、遠く離れた地を治めていた。
ラウはヤジートと初めて出会った時から、ウマが合った。様々なことを話した。皆の前では総督の跡取りとして振る舞っていたが、ラウと二人きりのときは違った。冗談を言ってみたり、馬鹿話もする。そして二人で腹を抱えて笑い合う。そんな仲だった。ハサンの元で、共に厳しい訓練に耐え忍んだ。互いに切磋琢磨し、励まし合った。戦友でもあり兄弟のように、日々の生活を共に過ごした。
それだけに、直属の部下のその報をラウは信じられなかった。信じたくなかった。ハサンだけに報告した。
「この書簡の内容……ハサン殿は、どう思われる?」
ハサンの邸宅。蝋燭の灯が、隙間風で揺らめいている。
「アウス族諜報部からか……。極めて信憑性が高いな」
「俄には、信じられませぬ」
「私情を挟むでない。何もなければ何もない。だが事実ならば、何かしら手を打たねばならん」
母屋の方から、ハサンの幼い息子達の賑やかな声。
「貴様も耳にしているかもしれぬが …… 」
総督は一人娘のルチアをラウに娶らせ、後継者にと考えているという。根も葉もない噂 —— 。
「総督からそのような話、一言も聞いてはおりませぬ。ただの噂では。ハサン殿は、なにか聞いておられるのか?」
「総督はそのようにお考えのようだ。その内、直々に話があろう」
「そのようなこと、許されるはずが……」
「なぜだ。ルチアを娶れば必然的に、そなたが後継者となる」
そのことが何らかの形で、息子である彼の耳に入ったのかもしれない。まちがいない。
「ムージザがいるではないか。なぜ私のような者に……」
「あの男は危険だ。エアレもとうに感じとっている。むろん、総督もな」
「いったい、何を根拠にそのよ—— 」
「破滅の相がでておる。貴様も耳にしたことはあろう」
ハサンは声を押し殺して言った。ラウも声を落とす。
「そのようなもの……ウッチュシュマ遺跡近辺の集落だけにある、ただの古い言い伝えではありませぬか」
「それがそうとも言い切れん。貴様はキナミを知らぬからな」
「エアレから…話だけは聞いております」
「まあいい。もし奴が謀反を企てておるのであれば、直に明るみになるであろう。我々は事が起こる前に、情報を得る。事実ならば先手を打ち、奴を潰さねばならん。意味はわかるな」
「 ……… 。」
幼い頃から己が我が一族のラシード(正統者)で、次の総督の座に相応しい者であると。カリフ=ハリーファ(代理人・後継者)なのだと、信じて疑わなかったであろう。ヤジートだけではない。西域側の全ての民が、そう思っていたにちがいなかった。
・ ・
当時、アフガニスタン中部では激しい紛争が起こっていた。
スンニ派の一つ——ワッハーブ派。そのいきすぎた政策のサラザール政権に対し、現体制を反イスラームと断定。クーデターを起こし、武装闘争を仕掛けた。
その祖国解放戦争を決起したシーア派のイマーム(導師)がムスタファ師である。
その反政府軍に加担する武装勢力があった。過激なシーア派の一つ。イスマーイール派の武装組織。—— アブー・バクル。
彼等はイスラーム民主主義を掲げ、イスラーム改革派として参戦した。その過激派組織の中心的人物とヤジートが密会していたという。
場所は西域北部と国境を接する街—— ベレン。
アウス族諜報部がその情報を元に、密かに内偵を続けた。そしてその男の潜伏先を特定した。
ラウは自身が創設し、育て上げた子飼いの暗殺特殊部隊——ネグロ・バラに突入指示を出した。
たった九人の小隊で闇夜に紛れ、そのアジトに侵入。男を捕らえた。情報を聞き出そうとするも、口を割らないと判断した指揮官のファン。その中心的人物、マナールを殺害した。
・ ・
反体制派指導者、マナール。
彼は広く、民衆に愛されていた。
その名の通り、灯台のように一筋の光で道を照らすべく立ち上がった。
イスラームの原理に立脚しつつ、民意を汲み取って行っていく政治原理を打ち立てたいと彼は願った。
その道半ばで、無残な死を遂げた突然の訃報。
民衆は怒り、哀しみ、絶望に打ちひしがれた。
彼等にとってのこの悲劇が。後に西域全土を揺るがす、更なる悲劇を生みだすことになろうとは。このときはまだ誰一人として、知る由はなかった。
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