「あの日の自分」— episode 4 —

 東西両軍がリクアラ河上流付近にて相対したのは、ムージザが西域統一を成し遂げてからおよそ三十年後のことである。

 その十年ほど前—— 。

 西域部族連合の総督として、また西域初代カリフ—— 国家元首と宗教共同体の長を兼ねるような立場で、立法・行政・司法の各機能の指揮者 ——としてムージザは多忙な日々を送っていた。

 父ヨセフから族長の座を受け継ぎ、八年が経とうとしていた。

 彼はヌンツィアとの間に二人の子をもうけた。

 その内の一人が、名をルチアという。母親に似て負けん気が強く、美しかった。齢十六というのに嫁にもいかず。村の不良達と共に狩りに行く始末で、ヌンツィアもほとほと困り果てていた。

      ・       ・

 ある日、ムージザがボア村に訪れた。

 ハサンと、珍しくルチアも一緒だった。母キナミと、幼くして死んだエアレの息子の墓。モリモの社へと、月に一度こうしてやってくる。その帰り際。

「あの若者は?」

 その視線の先。川の真ん中で小舟から投網をする、一人の若者がいた。

「ああ、あれかい?森の中でマラリアにかかって倒れてたんだよ。只飯は食えないといって、いつもああやって魚を村に配ってね。皆大助かりだよ」

「どこの者だ?」

「さてね。なんせ自分の名も思い出せない始末だよ」

「言葉は?」

「あんたの知らない言語だね。リンガラ語を教えてる最中さ。物覚えはいいんだよ。あんた……連れてくんじゃないよ」

 ムージザはハサンを呼んだ。

「おい、あの者にパーシャ(投げ縄を用いた殺人術)を教えろ」

 ハサンは頷くと、若者の方へ向かって歩いていく。

「あんた人の話聞いてないね。あの子を巻き込むんじゃないって言ってるんだよ」

 そう言うと、ムージザはエアレに目配せした——ルチアを見てみろ、と。

 夕日にきらめく水面。そこに浮かぶ小舟の上で一人佇むその若者に、彼女は見惚れていた。あの日—— 陽の光を浴びて、生きて戻って来た若者に見惚れていた自分のように。

—— なるほど……そういうことかい。

 エアレもヌンツィアから、いい人がいないかと相談を受けていた。

「まったく……どうしようもないね」

 川縁から、ハサンが大声で若者に叫んだ。

「ヤカ(こっちへ来い)」

 若者は慌てる様子もなく、陸へと上がった。

 極限まで鍛え抜かれた身体。ハサンは目をみはった。

 その身体中にあるおびただしい数の創傷—— 。先程まで見惚れていたルチアでさえ、引いている。

 目は鋭すぎず穏やかすぎず……。しかし、かげがあった。人を殺した人間だけが持つ、特有の翳が。

 ハサンは思った。

 ——いったいどれ程の修羅場をくぐれば、このようなことになるのか。さらにこの男、人を殺めている。それも一人や二人ではない。

 “どこの者か?”というハサンの問いに、

「ナヨキ・マラム・テ(よくわからん)」

 顔の前で手を振り、教わったリンガラ語で答えてきた。エアレが若者に対し、耳にしたことのない言語で事情を説明している。

 ようやく理解し納得したのか。服を着るとエアレに対し頭を下げた。若者が共に帰ると聞き、ルチアは目を輝かせていた。

 村人は皆、残念がった。子供達がなかなか離れようとしなかった。

 若者は皆に礼を言い、リンガラ語で“ また来る ”そう言って、共に村を後にした。

       ・      ・

 帰路の道中、ムージザはふと彼を見やった。

 若者は真っ直ぐ前を見据え、涙を流しながら歩いていた。

「オザリ・マラム(おまえはいいやつだ)」

 ハサンはリンガラ語でそう言うと、若者の肩にそっと手を置いた。

 その見た目とのあまりの差に、ムージザもルチアも驚いた。そして尚更、この若者に次第に惹かれていった。

      ・       ・

 その後、ボア村ではというと——。

 村人達がエアレに対し、なぜあの若者をナーゴ族に引き渡したんだという批判の嵐だった。

「うるさいね、あんたたち!あの子がどうするかは、あの子自身が決めるんだよ!そんなこともわからないのかい、まったく……」

 村人達にそう怒鳴って家の中に入る。

 また久しぶりに、一人で夕食を食べた。

 窓際にある、キナミがいつも座ってた椅子。そこに腰を下ろし、煙草に火を点ける。チャンドラの村から、ウダという少年が持って来てくれた。その少年もまた姉のミサと共に、アッシェンからナカシロに連れてこられた。

「まったく、どうしようもないね……」

 日本語でそう一人ごちて、ゆっくりと煙を吐き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る