「沈黙の布石」— episode 2 —
ムージザは幼年の頃、三年の幽閉生活を送っている。
族長であり、また父でもあるヨセフの下した命であった。
乳母だったフェデリカの必死の懇願も聞き入れられず、集落の外れにある狭くて暗い独房に幽閉された。
その日から八日前の真夜中—— 。
ムージザ少年はリクアラ河の船着場から、一人小舟へと乗り込んだところをヨセフの部下達に見つかった。近頃ムージザの様子がおかしいと感じたフェデリカが、父ヨセフに相談した。すぐに側近の部下数人に内偵させていた。問いただしたところ、部下達は驚愕した。この若君は何を思い立ったのか舟で一人リクアラ河を渡り、あろうことか東の領域へ踏み入るつもりだという。持っているのは小さな荷物だけ。武器一つ携えていない。
「東側とは膠着状態とはいえど、未だ対立している敵地の真っ只中でありますぞ。捕われれば確実に殺されまする。ムージザ殿なら解らない筈がございますまい」
「さよう。ナーゴ族族長の息子だとわかれば尚更ですぞ」
「何卒お戻り下さりますよう、お考えを改めてはくれまいか。若殿」
部下達は考え直すよう、少年に頭を下げた。
「致し方ない。戻るとしよう」
ムージザは諦め、黙って彼らに従った。判が下されたのは、その七日後であった。
罪状はこうである。
—— いずれ我が意思を受け継ぎ、一族の長として民を守り抜いていかねばならぬ身上にありながら。己の意思でもって、その責任と己の命を軽んずる所業はいかなる義ありしも。たとえ幼少といえども、断じて許し難し ——。
彼は父に対し、一切の弁解もしなかった。
「何故、東へ渡ろうとしたのか?」
という問いに対して、彼は黙秘を貫き通した。
父ヨセフは、これこそ“マジュヌーン”(狂気)なのではないかとさえ思った。しかし、彼は毅然としていた。禁錮三年という刑を言い渡された際も、父に対し正座し、ただ黙って頭を下げただけであった。
それが数え年にして十二の頃である。
・ ・
一命を取り留めたあの日から。
ムージザ少年は、エアレを姉のように慕っていた。彼女には何でも打ち明けた。幽閉されている間もエアレは幾度となく足を運んだ。
様々な世情を話して聞かせ、励まし続けた。幼い少年が命を賭してまで、敵地へ踏み入ろうとしたその心を。自分だけはわかっていると、エアレは思っていた。
彼は幼い頃から苦しんでいた。
同じ民族が互いに争うことに憂え。命を奪い合うことに憂え。一人、悶え苦しんでいた。
しかしだからといって、幼い少年が一人。たとえそれが西側で最も勢力のあるナーゴ族族長の息子であっても、捕われれば確実に殺される。
「今の貴女が行ったところで、残念だけど何も変わらないのよ」
エアレは少年に淡々と言い聞かせた。
だがすぐに自分は、この少年のことを何もわかっていなかったということを思い知らされた。
ムージザはこう言ったのだ。
「今、東へ入る気など毛頭ない。此度の行いは、来るべき日に皆の目をその方へ向けさせ欺くためだ。おれが行きたいのは逆さ。西の様々な部族の元だ。まずは西を一つにしなければ、何も始まらない」
“ おれはいずれここを出てゆく。失敗は許されない ”
この三年の投獄は、その来るべき日の為の布石なのだと—— 。
エアレは何も言えなかった。ただ頷くしかなかった。
成せるかどうかもわからないたった一日のために……。
この少年は若き日の貴重な年月を、自ら抛げうったのだ。
・ ・
ムージザは齢十七になった。
彼はどこか茫洋とした雰囲気を身に纏った青年に成長していた。
エアレが久しぶりに再会したときには、別人と思ったほどである。
それからほどなくして、ムージザが東へ渡ってしまったという報がボア村にも届いた。
エアレは黙っていた。誰にも、何も言わなかった。
しかし、その報を聞いたキナミは言った。
「心配いらないよ。あの思慮深い子が…今、東へ行くわけがないじゃないか。馬鹿な連中だね。そのうち、きっといい知らせを持って……フラっと帰ってくるさね」
この時はじめて、エアレは母の偉大さに気づいたという。
その日からというもの、キナミは毎日モリモの社へと向かった。
一日たりとも欠かすことなく、朝が夕な祖先の霊に祈り続けた。
彼女にとってムージザは、我が子同然なのだろうとエアレは思っていた。一度だけ母に、そう尋ねたことがある。キナミはこう答えたという。
「あたしが腹を痛めて産んだのは、あんただけさね。有り難くおもいな」
母キナミが世を去ったのは、この四年後。ムージザが吉報を携えナーゴ族集落に戻ってくる、その十日前であった。
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