「奇跡の子」— episode 1 —

 ナーゴ族 —— 。

 リクアラ河をほぼ境界にして、樹海の西側一帯に多くの部族や支族を抱える。部族連合の旗頭。

 この広大なる樹海の全ての民は、元々は一つの部族であった。

 “ カビーラ ”と呼ばれ、“ 祖先を同じくする集団 ”として全体が民族的には一つであると——。それがいつしか東と西に分かれ、さらにその中で多数の集団に分かれていった。その集団が互いに連携したり分裂したりして、長きに渡り抗争を繰り返していた。

 約千年余りにも及ぶその根深き抗争に、ついに歯止めをかけた一人の男がいた。これまでの血で血を洗う激しい争いに、彼は一滴の血も流すことなく西側一帯を一つにまとめあげたという。

 中央の権威が存在しない部族社会である。国家はなく、全体の統治者もない。当然、政治的なルールもない。いったん抗争が始まると、集結させることは不可能にちかい。しかも武器も持たずたった一人で。二十代という若さで西側統一を成し遂げたというのだから、恐るべき人物である。

      ・        ・

 およそ六十年前——。

 東西は対立し、西側では終わりなき抗争が続いていた。

 そんな中、ナーゴ族に一人の男児が産まれた。

 ナーゴ族前々族長のヨセフと妻マヌエルとの間にようやくできた、待望の第一子であった。いずれ一族の長となる後継者が産まれたのである。

 その男児を産婆として取り上げたのがエアレの母、キナミである。当時カーヒン(巫女)でもありシャーマンでもあった彼女は、もう間もなく生まれるであろう報を受け、ボア村から駆けつけていた。

       ・       ・

 ハサンは篝火の中、回廊を早足で歩いていた。

 族長の書斎——襖の前に屈み、口早に告げる。

「申し上げます。もう間も無く、産まれるかとおもわれます」

「さようか。入れ」

 蝋燭の灯りの中、ヨセフが書簡に目を通していた。

「お急ぎ、向かわれますよう」

「わかっておる。キナミは向かっておるのか?」

「もう間も無く到着する頃かと…」

「いったい、何故に遅れておるのだ」

「キナミ殿も疫病の対処でお忙しい身。致し方ありませぬ。ヨセフ殿、申し上げておかなければならぬ事が……」

「言葉を濁すな。はっきり申せ。いかがした?」

「マヌエル様の苦しみ具合が、尋常ではござりませぬ」

「何故じゃと申しておる?」

「診ている産婆の者が申すには、おそらく逆子ではないかと。我では手に負えぬと申しております」

 部屋の外から足早な音。部屋の前で止まった。

「申し上げます。キナミ殿が到着なされました」

       ・      ・

「あんた達、湯が足りないよ!!これだけガン首揃えて、一体何やってたんだい!!」

 真夜中だというのに昼間のように明るい襖の奥から、キナミの怒鳴り声が聞こえる。ヨセフが襖を開けた。激しく苦しむマヌエルを女が三人がかりで押さえている。ただ事ではない。

「遅いぞキナミ!何をしておったのだ!」

「何言ってるんだい!!呼びに来るのが遅いんだよっ、馬鹿者どもが!!そこのあんた、何ぼさっとしてるんだい!もっと布を持っといで!」

「どんな具合じゃ…説明せい」

「ヨセフ、あんたさっきからうるさいね!ここは男共が来るとこじゃないよ!さっさと出ていっとくれ!」

 ナーゴ族族長といえど、キナミには頭があがらない。当然だった。

 彼女の治療で、この集落の何人もの命が救われている。ヨセフとハサンは襖の外で、事の成り行きを見守るしかなかった。

 産道に手を入れたキナミはおもった。

 —— なんてことだい……これは、まずいね。

 逆子である。しかも最悪なことに、臍の緒が首に巻きついている。

 母子ともにかなり危険な状態 —— 。

 マヌエルの凄まじい叫び声。真夜中の館中に響き渡る。それは時おり森の闇の中から聴こえる、獣の断末魔の叫び声のようであった。耐え難い痛みに暴れ出すマヌエル。いきなり襖が開いた。

「あんた達!!こっちへ来てマヌエルを押さえとくれ!!」

 部屋に入る瞬間、キナミがヨセフの耳元で囁いた。ハサンの耳にもその声が届いた。

 覚悟しておくんだよ——

 ヨセフとハサン。女三人が暴れるマヌエルを五人がかりで押さえつける。女達が泣きながら必死に押さえつけている。普段、戦場を駆け巡っている大の男二人。その顔からは血の気が引いている。心許ない面子と状況の中。キナミはなんとか無事、赤児を取り上げた。奇跡としかいいようがなかった。しかし、すでにマヌエルは息絶えてしまっていた。血を流しすぎたのだ。その血の海の中で抱き上げた赤児を見て、キナミは言った。

 この子は 、マフディー (救世主)だと——。

 血にまみれながら、泣き声一つあげることなく。驚くべきことに、寝息をたてていたという。

 名をムージザと名付けられた——“ 奇跡 ”の子、と。

       ・      ・

 ヨセフには側室がいた。だがその後、子はできなかった。

 ムージザは乳母に育てられた。その愛情を受け、すくすくと成長していった。

 彼は一度だけ、死にかけたことがあった。

 数え年にして六つの頃。突然の高熱。吐き気。悪寒。背中から腰にかけての激しい痛み——。

 当時のナーゴ族のシャーマンはそれを“マジュヌーン”と呼び、ジン(幽精)が取り憑たのだと言い張った。訳のわからない祈祷をするだけで、これまで同じ症状で何人もが命を落としていた。誰もが助からないと思っていた。だがキナミだけは違った。ボア村の彼女の元に、使者が助けを求めやって来た。

「エアレ殿、お久しゅうございます。いや、大きくなられた。ときに、キナミ殿はおられますかな」

「もうすぐモリモの社から戻って来るとおもうけれど……。急ぎの用件ですか?」

 使者は平静を装ってはいた。だが幼少といえどエアレにはわかった。ただ事ではない。キナミの娘なのだ。彼女の目は誤魔化せない。

 彼女は煮え切らない使者に対し詰めた。使者が言った。

 ——ムージザが死にかけている。

 シャーマンから大袈裟に伝えぬよう言われたという。キナミが帰ってきた。その使者に対しキナミは言った。

「それはマラリアだよ。何度言ったらわかるんだい、馬鹿者どもが……。あの子はマフディーだよ。こんなことで死ぬわけがないさね」

 まだ若かりし頃のエアレに、治療法を記した書物と薬草を持たせた。使者と共にムージザの元へ向かうようにと。エアレは道中、我が母親ながら思ったという。——なんて冷たい人なんだろう。

 その後エアレの献身的な治療と看護の甲斐あって、四日目の朝にようやく峠を越えた。なんとか一命を取り留めたのだ。村に帰ってきたエアレは、その吉報を母に伝えた。するとキナミは、表情ひとつ変えることなく言った。

「だから最初からそう言ってるじゃないか」

 エアレはあきれて、それ以上何も言わなかったという。

 キナミの葬儀の際。村人からこんな話がでた。

 —— あの晩。

 エアレが使者と共に村を出た後。キナミは一人、モリモの社へと向かった。それから三日三晩、飲まず食わずで祈り続けていたという。

 村人達が心配になって様子を見に行くと、彼女は気を失って倒れていた。これまで黙っていたのは、キナミから口止めされていたからだという。

 晩年。彼女の老後の楽しみというと、ナカシロから送られてくる煙草だった。窓辺に座り煙を燻らせ、エアレにこう語ったという。

「馬鹿な男どもは、戦場を修羅場といって息巻いちゃいるがね。あたしに言わせりゃあんなもんは、ただの気違い共の所業さね。あの晩、マヌエルの陣痛が始まって…あの子を取り上げるその瞬間まで……。

 あの場に居合わせた誰しもが思っただろうよ。あれこそがまさに、この世の修羅場さね」

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