—— Prologue ——

——「馬鹿な男どもは、戦場を修羅場だとか云って息巻いちゃいるがね。あたしに言わせりゃあんなもんは、ただの気違いどもの所業さね。あの晩、マヌエルの陣痛が始まって…あの子を取り上げるその瞬間まで……。あの場に居合わせた誰しもがおもっただろうよ。あれこそがまさに、この世の修羅場さね」——

                         キナミ

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 「茶をかえようかね」

 外ではいつもと変わらぬ、子供達の笑い声。森で冷やされた心地よい風。会話をしているかのような、鳥のさえずり。いつもと変わらない昼下がり——。

 いつもとちがうのは——ウダが連れてきた、かの領域から来たという男が目の前に座っている。

 オキからの書簡にあったように、若かりし頃のナカシロに似ている。私の言葉で涙を流したこの男は、私の知らない領域でこれまでどのような人生を歩んできたのか。自分の名も思い出せずにいるその男が、おもむろに口を開いた。

「婆さんのいうこの世の闇ってのは、いったいなんだ?」

 その目は、己の中にある何かと照らし合わせようとしている。

「難しい質問だね。私の拙い言葉で話すなら、それは己の意思ではどうすることのできない力だね。あんたたちだけじゃないよ。この領域にも無数にいる。抗うしかないんだよ。それが生きるってことさね」

 男は静かに耳を傾けている。

「よくないのはその力に飲み込まれ、自ら命を絶つことさね。オキの所へ行ったのなら、話は聞いただろう?」

 おれは黙って頷いた。

「あんたたちの人生は、苦難の連続さね。それは前世の行いの業か……わたしにはわからない。だけどね、だからこそあんたたちにしかわからないことがあるんだよ。誇りにおもいな」

「誇りにおもいなったって、どうすりゃいいんだ」

「これまでと同じさ。全てを受け入れて、どんなことがあっても生き延びることさね」

「それだけか?」

「あんたらは気付いていないだけで、その方法を知ってるはずだよ。今生きているのが何よりの証さね。これまでの人生を、ようく思い出してみな」

 それから二人に、長々とナーゴ族や樹海の歴史を語った。ふと窓を見やる。だいぶ日が傾いてきていた。

「これからラウのところへ向かうんだろ?ぼちぼち出ないと日が暮れちまうね」

 男は腕時計を見るとウダと顔を見合わせ、ゆっくりと立ち上がった。

     ・      ・

 門の前にはいつものように、村中の者が見送りに集まっている。

「ラウによろしく言っといとくれ」

 ウダは黙って頷いた。私をじっと見つめる、その男の手をとった。

「またおいで。この村の伝統料理をつくってあげるよ」

「また来る」

「きっとだよ」

「ああ。なあ、婆さん」

「なんだい?」

「“ありがとう”は、なんて言うんだ?」

「メレシ・ミンギ」

 そう言うと男は、後ろにいる村の皆にモソンボの入った袋をかかげ、「メレシ・ミンギ!」と叫んだ。村の皆もそれに応える。

 二人は馬に揺られながら、森の中へと去っていく。その姿が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。母の言葉が甦る。

——「 闇に生きる者。その定めに生まれし者。その生涯は幸福も不幸もなく、愛など存在せず、人の道も、倫理も求めずともよい。命尽きるまでただひたすらに、己の闇の奥深くにある、更なる闇を滅せよ。その生涯はそれ以上でも、それ以下でもない」——

      ・     ・

 家の中へと戻り、祭壇の前に腰をおろす。

 背後に身に覚えのある気配を感じた。

「……誰だい」

「久しぶりだな、婆さん」

「フタマルだね。なんの用だい?」

 黒い影が床を這って、右の壁へと上がってくる。

「どうやらまたしても、ナカシロを止められそうにない」

「わたしにとっちゃこれが初めてだよ。まったく、あんたも業が深いね。いったいどうするんだい?」

「まだわからんがな。今のところまたあの二人にかけるしかないが……ウダにはナカシロは殺せん」

「そうだろうとも」

「奴等が動き出したらすぐに知らせる。チャンドラの村に身を寄せろ」

「皆はそうさせるつもりだよ。私はここから動くつもりはないよ」

「好きにすればいい。また来る」

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