マナミ 2

 私を見上げるコウスケの目はうつろだった。もう一度名前を呼ぶと、すうっと目の焦点が合ってようやく私のことを認識してくれた。

「あ、気づいたね。よかった」

「あ、えっと、どうしたんだ?」

「どうしたんだじゃないよ。まばたきもしないでどっか遠くの方を見てるし、いくら声かけても反応しないし、顔色悪いし。どうかなっちゃったのかと思ってめっちゃ心配したんだからね。ほんとにもう、激おこぷんぷん丸だよ」

 わざとらしく頬を膨らませて、おどけた感じで怒ってみせた。コウスケは硬い表情のまま、「ごめん」と素直に謝った。

 なにそれ、ここはふざけて返すところでしょうに。

 朝からもやもやと胸の底の方にあった不安が一気に広がった。

 もしかして――

 いや、とにかく、もうちょっと様子を見てみよう。

 私はパスタセットを載せたトレイをテーブルに置き、コウスケの隣に腰を下ろした。

「いただきまーす」

 胸の前で小さく手を合わせ、ちらりと横目でコウスケを見た。

 半分残したカレーには、もう手をつけようという気はないみたいで、視線を正面に向けたままぼんやりと座っている。いかにも心ここにあらずという感じ。

 やっぱり変だ。

 私は今朝、サユリに告げられた言葉を思い出して息苦しくなった。

 三日前からシンジくんと連絡が取れなくなっていること、その前の日にシンジくんと話をしたこと、その内容が意味ありげで気になること、コウスケがシンジくんのことになにも触れないのが不自然だということ。

 ずっと胸の中に溜まっていた不安の数々を、とうとう我慢ができなくなってサユリに全部打ち明けたのが昨夜遅くのことだった。

 深夜のファミレスで、サユリは真剣に話を聞いてくれた。私の説明が進むにつれてその表情が硬くなっていくのが怖かった。

「そんなことがあったんだ。そうか、そりゃ心配だよね。わかった。私にまかしときな。シンジくんのことも合わせてちょっと調べてみるよ」

 そして今朝になり、第一講義室前の廊下で声をかけられた。

「あれからいろいろ考えたんだけどね、私もコウスケくんの様子を直接確認してみようと思うんだ」

「うん、お願い」

「でね、今日のランチはコウスケくんを誘って学食で食べてほしいんだ。マナミが選ぶメニューは一番人気があってたくさん人が並んでるやつにしてくれるかな。私は君たち二人より先に学食で食べてるから、コウスケくんには私の近くに席を取るように言ってくれる? もちろん私のことは内緒だよ。まずは一人でいるときのコウスケくんをこっそり観察したいんだ。私なりに考えたやり方でね」

「わかった」

「良い子だ」

 サユリは私の頭をポンポンと二回たたいて白い歯を見せた。

「ただね、私はふだんのコウスケくんをよく知っているわけではないから、様子がおかしいかどうかの最終的な判断はマナミにしてもらうことになるよ」

「うん」

「マナミが自分のメニューを持って席について、そのときのコウスケくんの様子があきらかにおかしかったら――」

「おかしかったら?」

 いつの間にかサユリの顔から笑みは消え、真剣な表情に変わっていた。

「マナミもうすうす感じているとは思うけど、かなりまずいことになっているかもしれないね」

 やっぱり、サユリもそう思うんだ。

 私はサユリの目を見ていられなくなって顔を伏せた。サユリがそっと息を吸う音が聞こえた。

 そしてサユリは、私の不安をはっきりと言葉にした。

「最悪の場合、警察に通報することも考えておいた方がいいかもしれないよ」


 トントンと肩が叩かれた。

 見ればコウスケが私の方を向いてちょっと困ったような顔をしている。

 私はフォークをそっとおき、小さく深呼吸をした。

「どうしたの」

「あのさ」

「うん」

「急なバイトが入っちゃって、マナミが観たいって言ってた今日の映画、行けなくなったんだ」

 なんだ、そんなことか。

 拍子抜けして、思わずため息が出た。

「映画、楽しみにしてたのに、ごめんな」

「ううん、それは全然。それよりもさ」

「なに」

「今日のコウスケなんだか顔色悪いよ。バイトは断れないんだろうけど、できるだけ早く帰って体を休めた方がいいんじゃない」

「そうだな。うん、そうするよ」

 コウスケはほんの一瞬弱々しい笑みを浮かべると、すぐにぼんやりとした表情に戻ってしまった。

 私はなぜだか涙が出そうになり、あわてて、「これ、食べちゃうね」と言ってフォークに巻きつけたパスタを口に運んだ。

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