コウスケ 2

 月曜日の学食はいつも混んでいる。特にランチの時間は激混みだ。行列が苦手なオレは、大学の近くにあるカフェにでも行こうよと提案したのだけれど、マナミは「学食で『本日のパスタセット』が食べたい」と言って譲らなかった。

「ほら、あそこが空いてる。席のキープ、よろしくね」

 マナミはパスタセットの長い行列の最後尾につくと、早さだけが取り柄のカレーライスをゲットしていたオレにニッコリと笑ってみせた。

「カレー冷めちゃうから先に食べてていいよ」

 これじゃあ学食で一緒に食べようってことにした意味がないではないか、と思ったが、機嫌を損ねると面倒なので、黙って指示されたテーブルへと向かった。窓側の椅子にショルダーバッグを置いてマナミの席を確保し、オレはその隣に腰を下ろした。

 学生たちが思い思いに交わす会話が重なり合い、学食全体がわーんと唸るような喧騒に満ちている。オレはしばらくぼんやりとしていたが、鼻先に漂ってきたカレーの匂いに誘われてスプーンを手にとった。

 背後のテーブルで食事をしていた女子グループが席を立ち、入れ替わりに数人の男子学生が席に着いた。なにやらひそひそと話す声が聞こえてくる。オレは皿の隅によけてあった福神漬けをスプーンの先でもてあそびながら彼らの会話に聞き耳を立てた。

「そういやあいつ、ここんとこ見かけないな」

「就活が大変なんじゃないか。まだ内定ゼロだってうわさだからな」

 なんだ、ただのうわさ話か。オレは即座に興味を失った。

「ここ、いいか?」「ああ、ちょっと待ってくれ、カバンよけるよ」「すまんな」

 どうやら仲間がもう一人やってきたらしい。ガタガタと椅子を動かす音に続いて、そいつがどすんと腰を下ろした振動がオレの背中にまで伝わってきた。

「で、最近見かけないって誰の話よ」

「お前は知らないんじゃないかな。今村研究室の問題児、シンジくんだよ」

 シンジ?

 まさかの名前にオレは固まった。

「シンジなら知ってるぜ。あの陰気で目つきの悪い兄さんだろ」

「そうそう」

「最近見ないってどういうこと?」

「必須の単位がまだいくつか取れてないらしくてさ、後期は毎日のように大学に出てきて研究室にも顔を出してたんだけどね。今週になってからパタッと姿を見かけなくなったのさ。電話も通じなくて今村先生がちょっと気にされてるんだ。彼、病気なのかなって」

 オレはいつしか全身を耳にして背後で交わされる会話に聞き入っていた。

「病気な。たしかに最近やつれた感じはあったなあ」

「ずっと部屋で寝込んでるとか」

「それはないぞ」

 さっきオレの真後ろに座ったやつがもぐもぐとなにかを頬張りながら口を挟んだ。

「ないって、なにが」

「あいつ、大学には顔を出してないかもしれんがな、寝込んでるってことはないわ」

「どういうことだよ」

「おとといの夜な、実験終わるのが遅くなって、さあ帰ろうと思ったら最終のバスにぎりぎりであせったさ。ダッシュでなんとか間に合ったけどな。で、そのバスが桜木町の国道を走ってたときに、歩道を歩いてるシンジを見たんだ。あれはたぶん十一時過ぎってとこだな」

 シンジを見たって?

 ありえない。それは見間違いだ。

 オレは胸にそっと手を当て、小さく深呼吸をし、続く会話に耳を傾けた。

「国道って、どの辺の?」

「桜木町にさ、県道十二号線と国道が交差してるとこがあるだろ、去年倒産したスーパーがそのまま残ってるとこ。あの交差点から市内方向にちょっと行ったあたりだったな」

「ああ、大体わかる。でも夜の十一時ってか。そんな時間に、あんな辺ぴなとこ歩いてるやつなんてまずいないぞ」

「だから、あれっと思ったんじゃないか。いったいどんなやつだよって。で、追い越しざまに顔を見たらシンジだったんだよ」

「ふうん」

 違う。いくら顔が似ていてもシンジじゃない。

 それは、ありえないのだ。

 いや、まてよ。彼らが話題にしているシンジっていう人物は、オレの思っているシンジとは同名の別人ではないのか。そうだ、それならなんの問題もない。オレには関係のない話だ。

「なんだよ、その『ふうん』って。信じてないだろ。たしかに暗かったし走ってるバスから一瞬見ただけってのはあるけどな。でも見たのは顔だけじゃないぞ。後ろ姿とか歩き方もシンジだったんだよ。ほら、お前らだってわかるだろ。両手をポケットに突っ込んでさ、そんであいつ左足がちょっと不自由でさ、歩くときつま先を引きずる感じになるだろ。そういうのも全部合わせて言ってんの。あれは、シンジだったって」

 周囲からいっさいの音が消えた。

 そして、男子学生の説明した情景が頭の中にはっきりと浮かんだ。

 両手をポケットに突っ込み、左足のつま先を引きずって歩く後ろ姿――

 それは、シンジだ。

 別人なんかじゃない、シンジそのものだ。

 でもそれはありえない。

 シンジは死んだのだ。

 四日前の夜、展望台から三メートル下の遊歩道に落ちて首が折れ、鼻から血を流し、目を見開いたまま動かなくなった。

 そんな人間が夜中に国道沿いの歩道を歩いているはずはないのである。

「ねえ、どうしたの」

 ん?

「ちょっと、大丈夫? コウスケってば、聞こえてる?」

 名前を呼ばれ、はっとして顔を上げればすぐ横にマナミが立っていた。

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