●35・ご飯を食べよう

●35・ご飯を食べよう


 こうしてアルトは、ヘクターの取り計らいで、ロナと夕食をともにすることになった。

 彼は貴族の平服で、待ち合わせ場所であるレンガ広場の英雄像にたたずんでいる。

 空は暗くも鮮烈でもあり、その境界線は判然としない。夕暮れの橙色が、夜の闇に抗っているわずかな時間。月はまだ見えず、太陽は山の影にまだ沈みきってはいない。

 儚い。夕陽にそんな感想を抱くのは、筋違いのようにも思えるが、実際アルトには強くそう感じられた。

 少し前は、もう陽が完全に沈んでいただろう。少し昼は長くなってきたようだ。

 ふと見やると、人々が言葉少なに広場を行き交っている。

 直感で、それが帰宅に向けた歩みであると分かった。

 世界は動いているのだ。そんな当たり前の感想を、しかし再発見の驚きとともに、彼は心に強く思い抱いた。

 そこへ今度は見慣れた人影。

「お、お待たせ」

 ロナが夜会のドレス姿でやってきた。

「んんー、似合わないな」

「第一声がそれとか馬鹿にして!」

 彼女は淑女の格好に似合わず、地団駄を踏む。

「そういうところだよ。いい服を着ているんだし、素材は悪くないんだから、ちゃんとしていればきれいだよ、たぶん」

「いい加減なお世辞……」

 彼女は多少のふくれ面。

「そもそも、行くのは『鋼鉄の孔雀』亭だろう、そんなにおめかししていくところかな、会うのも貴賓とかじゃなくて僕だし」

「んんーもう、アルトはそういうところ全然分かってないよね!」

「いや、実際浮くと思うんだけど」

「もう! さっさと行くよ!」

 彼女は強引に彼を押した。


 いつもの店主に声をかける。

「今日は二人です」

「アルト様とロナ様か、ヘクターがいつもお世話になっているみたいだな!」

「私もヘクター君には助けられてばかりです」

 これは本音だった。

 思えば、先日のソフィアへの計略だけでなく、大森林の冒険でも一団を支えていたし、そもそもアルトが風紀委員としていまここにあるのも、ヘクターの後押しがあってのことだった。

「で、お二人は逢い引きで?」

「え、いえ違いますけども」

「……もう!」

 ロナがアルトを蹴飛ばす。

「痛い!」

「ハハ、これはいい嫁さんになりそうだな」

「ええ……?」

「こっちはアルトの反応に『ええ……?』だよ、なんでそれでこんななの!」

「どういうこと?」

「もう知らない、たらふく食べるよ!」

「ドレスを着た淑女が?」

「そうだよ!」

 いつもの漫才だった。


 しかし、ロナとの夕食はいつもの感覚ではなかったようだ。

 主にロナが。

「うぅ……まさか二人きりで……」

「え、だって二人でご飯食べる提案をしたのはロナじゃ、痛!」

「淑女にこんなことをさせるなんて!」

「まあ服装で浮いてるしね。ここ、決して大衆酒場ではないけど、そんな格式ばったお店でもないからねえ」

「誰と、どういうときに来るかが大事なんだよ……」

「へえ、そうか」

 沈黙。

 今日のロナはいつもの彼女ではない。

「調子狂うなあ」

「ボクのほうが、うう」

「ほら、肉だぞ、食べて大きくなるんだ」

 それを耳にしたロナ、何かを思いついたようで。

「もう大きいもん」

「どこが? 小柄だしちんちくりんじゃないか」

「む、胸がだよアルト!」

 ロナはつい大きな声を出し、視線を集めて「すみません……」と縮こまった。

「全部アルトのせいだ」

「えぇ僕?」

 困惑しつつ、とりあえず食事をモグモグ。

「うまい。いつもおいしいね、ここ」

「落ち着きすぎ……」

「ただの夕食じゃないか。晩さん会でもないし貴賓もいない。見知った仲の僕たちだけだ。他のお客さんもいて盛況だけど、それはそれだし」

 彼はいたって、冷たいまでに冷静だった。

「おいしい、おいしい」

「くうぅー!」

「これに懲りたら、場所に合った服装でご飯を食べよう、ね?」

「アルトは何も分かってないし、ほらおっぱいおっぱい!」

「いきなりどうしたんだ」

「ううぅうー!」

 やけ気味に、肉にかぶりつくロナだった。


 学園の前期には行事が多い。

 それは入学前から知られていた、もっぱらの噂であり、同時に事実でもあるようだ。

 ある日、アルトが家でゆっくりしていると、神通信。

◆ミッション・学園の行事『大規模演習』で自分の組を勝利させろ◆

 大規模演習。長期実習と並んで、学園の名物行事の一つ。

◆ミッションですか◆

◆そうだ。定期試験が終わってからすぐで、すまない。ただ、準備期間とかこちらの手続とか、色々あって、この時機にこのミッションを下すのが最善と判断したんだ◆

 確かに、大規模演習の性質上、本番直前にいきなり出されても大いに困るところではあった。

◆大規模演習、詳しいところは分かるかな?◆

◆はい◆

 各々の学年が二手、西組と東組に分かれ、同じ学年同士で戦闘演習をする。

 特徴的なのは、生徒一人につき五〇の兵士が割り振られる。つまり軍団戦である。

 総大将、本営付、隊長など役目を決め、例の仮想空間を用いて戦争を行うのだ。

 生徒は一学年およそ二〇〇人。それが二手に分かれ、兵五〇をそれぞれ率いる。つまり、およそ五〇〇〇の軍勢同士が、軍学の限りを尽くして激突する。

 仮想空間のこととはいえ、壮大な見世物であり演習である。

 そう、これは見世物でもある。観客たちは板のような魔道具を通じて、その様子を見物し、大いに酒などの肴とする。

 長期実習よりはずっと、一般に開放されている催し物である。貴族として、その子女として、恥をさらすことはできない。

◆……というところですね◆

◆分かっているじゃないか。まあ、学園の生徒なら当然かもしれないけどね◆

◆まあ、そうですね。興味もありましたし◆

 アルトは頭をボリボリかく。

◆まあいい。……けれども、誰がどのように配置されるかは神の力をもってしても分からない。これ以上の助言は、いまのところまだ何もできないんだ。すまない◆

 神が頭を下げているのが見えるようである。

◆分かりました。僕も準備……準備、何をすればいいんでしょうかね……せいぜい強そうな生徒の情報を得るとか、軍学の勉強をするぐらいしか◆

◆そうだね。後者はアルト君もいつもやっていることだし◆

 神は淡々と。

◆いやしかし……◆

◆私もこのことはよく分からない。何度も言うようだけど、いつにもまして助言しがたいんだよ◆

◆そうですね。まあ状況を見守りつつ、必要な準備をしますよ◆

 アルトは、へらっと笑った。


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