●24・深部へ
●24・深部へ
風が少し生温くなり、その境目を超えたことを肌に伝える。
秩序の及ばない、混沌の気配が濃くなる。
「この辺から深部……のような気がする」
うっそうと茂る草木を払いながら、アルトは言った。
「なんか分かるよ、だって不気味な感じがするもん!」
「そうだな。私も、なんというか人を拒む空気を感じる」
ロナとカトリーナが、口々に様子が変わったことを伝える。
「これぐらい、なんともないわ。呪われた書を開いたときのほうが、よほど」
ソフィアは平然としている。強がりを言っているようにも見えず、かといって鈍感すぎて変化を感じ取ることができない、というわけでもなさそうだ。
「呪われた書……呪いか、何か使用者を害する魔道具かな」
水を向けるアルト。一団のやや沈んだ空気を、少しでも元に戻すため、あえて雑談をそこそこに盛り上げているのだ。
「結論からいえばそうだった。まともに浴びていたら一ヶ月は寝込んでいたわね。けど、対策として呪い除けの魔道具をたくさん起動していたから、一日風邪気味になる程度だった」
「なるほど。ソフィア嬢は身体があまり強くなさそうだからね。それでその程度で済んだということは、きっときみも効率的に呪い除けを制御していたんだろう」
「褒めても何も出ないわよ」
他愛無い会話。
しかし、アルトは何かを発見した。
「……おっと、少し止まろうか」
「どうした?」
言って、ヘクターもアルトの目線を追い、足元を見た。
「……おっと、これは」
「索敵器は……あっちか」
獣の足跡と血痕が見つかったのだ。おそらく、かなり大型の獣が獲物を捕らえ、息の根を止めた上でどこかへ持っていったのだろう。
「幸いにも獣は、いまは離れているみたいだ」
「素早く通り過ぎる、か?」
獣の行き先は、進路とは別の方向のようだ。いまなら、おそらくだが獣がまた来る前にすぐ通り過ぎていけるはず。
それに、戦うには少しばかり骨が折れるだろう。その足跡は、獣の巨大さを伝える。
「戦うなんて考えず、さっさと通過しよう。獣とは道が違うから逃げきれる」
最も戦意があるであろうカトリーナは。
「そうだな。私は強いものに挑戦すべき戦士ではあるが、ここは班長の判断に従おう」
意外にもすんなり聞き入れてくれた。
「ロナは?」
「意地悪で聞いてるでしょ。私はこんなデカい生き物と戦うなんてまっぴらだよ!」
ソフィアもうなずき、全員おおよそ一致した。
「よし、警戒しつつ急ごう。急ぐとはいっても警戒と、ある程度の隠密は維持すること」
アルトは指示を飛ばし、足早にその場を過ぎていった。
皆、自然驚異の恐ろしさを直に目にして、アルトの基本方針「戦闘を優先しない」の正しさが少しは分かってきたようだった。
さらに深い部分で、今度は悲しいものを発見した。
「道具袋か」
かつてここまでたどり着いた冒険者が、それでも一歩力及ばず倒れたのだろう。その証拠である道具袋が落ちていた。
「魔道具みたいだね、容量は見た目よりはるかに大きいから」
「いわゆる『魔法の道具袋』ね」
いまさらではあるが、主に冒険者がする道具の携帯方法は大きく分けて二つ。
一つは携帯するもの自体が、魔道具であり、小さくたたまれたり空間を節約するという方法。アルトたちの道具のうち、例えば野営用具は主にこの方法で所持している。
もう一つは、この道具袋のように、収納空間を魔道具としての力で拡張する方法。いまのところアルトたちは、こういった魔法の道具袋を持っていない。高価すぎるからだ。
しかし、落ちていたものは落ちていたもの。
「この道具袋を、元の所有者の冥福を祈りつつ拝借しよう。中身もまだあるようだし」
一同は緊張した面持ちでありつつも、アルトに同意する。
「ここでは不謹慎とか言っていられないな。面目も潰れはすまい」
「俺もアルトに賛成だ。アルトが代表して持つといい。どうせ使いどころを一番弁えているのはお前だろうしな」
「こわいね……」
「ロナ」
彼は彼女を見る。少し震えていたようだ。
「ロナ、僕の見立てでは、あとわずかで最深部だ。そこに勇者の剣があるはず。怖いのは分かるけども、頑張って最後まで行こう。あと少しだ」
言いながら、索敵器に目をやる。いまのところ敵はいないようだ。
「……うん、がんばろう。行こう、アルト」
彼女は顔を上げた。震えはまだ止まらないようだが、これはたぶんロナ以外が冷静すぎるのだろう。普通の人間は怖がって当然である。
――いや、僕も普通の人じゃないのかい?
アルトは自分に問いをぶつけたが、その答えは知らない。
見やると、やはりヘクター、カトリーナ、ソフィアはほとんど動じていなかった。姫騎士と賢者はその自らの実力により、ヘクターは生来の怖いもの知らずの性格により、恐怖に抗っているのだろう。
フレデリカも至って冷静そうだが、こちらはどうなのだろうか?
「アルト様さえいらっしゃれば、わたくしは勇気が無限に湧きますわ。ああ太陽よ!」
よく分からない。が、ともあれ心配する状態ではないようだ。
「よし、あと少しだ、気張っていこうじゃないか」
彼らは歩みを再開した。
もう少し。もう少しだった。
「いるな……」
勇者の剣のほこらを目前に、索敵器に気配。それもかなり大きな野生動物である。
「どうする、ここまで来たんだから、逃げるって選択肢はねえよな」
「僕は逃げても構わない。この長期実習の趣旨として、どこであろうと人死にを出すべきではないからね。ただ……」
彼は考える。
「限界まで頑張ってみるのは悪くはないはずだよ」
「そうだな」
周囲を見ると、ふと崖が目に留まる。
「この崖、登れば少し高いところに出られそうだね」
「え、ああ、そうだな」
「で、確か道具袋に小型狙撃杖があるはずだね。さっき魔法のあれに移したけど」
「あったな。……つまり高台から狙撃か」
「ご名答!」
アルトは大きくうなずいた。
「崖登りの道具もあったはずだ。僕が狙撃杖を持って崖を登り、敵の間合いの外から、奴に必殺の一撃を浴びせる。よく狙って一発で仕留める、それなら危険はないだろう?」
「まあ、そうだな。俺たちは守備を固めていればいいか?」
「そうだね。築城論でやったように、簡単な土塁や空堀をやってもいいかもしれない。万一外した場合でも、やってくるのは相手のほうだからね」
「防御陣地の築造か。やりすぎな気もするが、安全策だな、アルトらしいぜ」
アルトは索敵器の示す方角を見つめつつ。
「さて、崖登りをするか。登山具を持ってきていてよかった」
彼は道具を取り出すと、登山の杖をざっくりと崖に突き刺した。
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