●16・戦いの気配

●16・戦いの気配


 アルトが周囲を見渡すと、どうやら山や谷の多い地形らしい。

 そして教官の言っていたとおり、非常に広い。起伏により見渡しは悪いが、それは調べればよいだけのこと。

「さあ、よく来た諸君、ここがいわば本当の戦術演習室だ」

 もはや部屋ではない、という言葉を呑み込んで、アルトは辺りを見る。

「さて。君たちには、これから最長で一時間の偵察時間と馬、そして一時間の作戦会議の時間が与えられる。その後は作戦会議でまとまった編制通りに、兵や軍需品を生成することになる。地図は一応ここにあるが、現地を見ないと分からないこともあろう」

 教官は地図を示す。確かに大雑把な記載にとどまり、これだけで分かった気になることはできないようだ。

「さて、これで必要なことはあらかた伝えた。あちらからの合図があり次第、偵察の時間に入りたいと思うが、よいかな」

 アルト以外の全員がうなずいた。

 アルトは少しでも時間を活用しようと、持参していた小型望遠鏡でひたすら周辺を観ていたが、教官に「アルト君、それはまだ待とうか」とやんわり制止された。


 その後、狼煙による合図があり、偵察が行われた。

 野戦部の面々とアルト、ロナは手分けして周囲の把握に努め、時には馬で、時には自分の足や崖登りなどで、動き回った。

「ふぅう」

 アルトは下に馬を残しつつ、ひときわ高い崖を登り、高みに着く。

 望遠鏡で辺りを見回す。

 仮に軽騎兵を準備し、その機動力で一気に距離を詰めるとするならば、峡谷を抜け、川の手前にたどり着いたところで接敵するだろう。観察するに、川はそれなりに深く、これを乗り越えて向こう岸で接敵するのは難しそうだ。

 戦術研究部がそれを見越していれば、起こるのは何か。

 野戦部側の軽騎兵が、川の向こうから雨あられの射撃を受け、一番槍をつける前に全滅する。

 想像に難くない。そして想像したくもない結末。

 では峡谷の中で、重歩兵や射撃兵中心に防御設備を築き、待ちの戦法を採るか?

 おそらくそれも不可能だろう。戦術研究部も兵法家の端くれ、むやみに守勢の相手に突撃することがどれだけ無謀か、きっと分かっているはず。

 難儀である。しかし嘆いていても仕方がない。

 彼は改めて望遠鏡で周囲を見回す。と、遠くに野生の動物、おそらくは鹿を見つけた。

 野生生物まで再現しているのか。この演習設備は予想以上だな。

 彼は「アスレディア立志伝」だけでは分からなかったものに感心しつつも、拡大鏡を用いつつその動物を愛で、しかしながら気を引き締めて鹿の向かう先を見た。


 一通り戦場を偵察し、本陣を立てる予定の場所に戻ってきたアルトは、作戦会議開始の合図としての狼煙を見た。

「さて、話を始めるか」

 流れとして総大将になった野戦部部長が仕切る。

「教官のお話にもあったとおり、まずは編制からだな。……まあ編制と作戦は今回の場合、一体化しているようなものだから、私たちは両輪のように同時並行で考えなければならない」

 正論だった。そしてアルトの腹の中では、彼の思い描く戦況の推移と、事前の編制は渾然一体としている。

「アルト君、きみは何か意見を持っていそうだな」

「はい。しかし……正規の部員様方のご意見を先にお聞きにならなくてよいのですか?」

 言うと、部長はふっと笑う。

「正論ではある。だが、資源の節約、なるべく身内の頭を休ませるのも戦術のうちだ。そうは思わないかい?」

「そうですかね……?」

 なんとなく違うような気がする。しかし部長たちが楽をしたいのは本当だろうし、もしかしたら功を立てる機会を与えてくれたのかもしれない。

 というわけで、アルトは口を開く。


 仮に、軽騎兵中心の編制で機動力の戦いを仕掛ける場合、おそらく敵は、地図のそこの辺り、川の向こう側で待ち構えていることと思います。

 さらに仮定の話として、先手必勝、敵に陣地構築の暇を与えなかったとしても、なお、この作戦では全滅が目に見えます。

「川、決して浅くはないからね」

 おっしゃるとおりです。機動力と突破力を旨とする騎兵は、射撃兵の格好の的となって屍をさらすことになろうかと思います。

「とすると、こちらも待ち構えるしかないのか?」

 それも相手は想定していると思います。仮に峡谷の一番狭まった、防御に適しているところに、射撃兵と防御設備中心の守勢を整えたところで、相手がむやみに突っ込んでくるとは思えません。

「むむ、これは難しい」

 難しいですね。

 ところで、私は先ほど野生動物がこの空間にいることを偶然発見しました。

「ほう」

 鹿と思われます。やはり動物はいいですね。可愛いですし、無邪気で単純だ。愚かなものほど可愛いというのは一面の真理であります。

 ところでロナは可愛いね。

「ぶぅ! 露骨な揶揄、馬鹿にしてるでしょ!」

 鹿だけにね、ハハハ痛っ!

 話を戻します。その鹿を望遠鏡越しに追っているうちに、僕はあるものを発見しました――


 一方、戦術研究部側の陣幕では。

「敵の採るであろう戦法は、大きく分けて二つ、推測される」

 軽騎兵で無理矢理突っ込むか、峡谷で守勢を保ち、こちらを迎え撃つか。

「しかし部長、軽騎兵で突撃する戦法は、こちらが適切に対処すれば撃ち潰せると思いますが」

「青ヒゲの言うとおりだ」

 部長は、青ヒゲと呼ばれたその部員に答える。

「戦場において、突撃馬鹿ほど扱いやすく撃破しやすいものはない。指揮官の士気ばかり上がっていても……というより、今回は騎兵の士気が高くても関係ない。川の手前から弓と弩で雨を降らせれば、すぐに壊滅する。ここは騎兵が活きる戦場ではない」

 しかし青ヒゲは腕を組む。

「ですけれど部長、もう一方の、峡谷で守勢を保つのはどうするのです、ひたすらお互いに待機する流れになるかと思いますけども」

「食糧は多めに調達する。規則上、資源は限られているし時間切れで引き分けのおそれもあるが、食糧が残っていれば、引き分け後の判定勝負で有利になれる」

「ああ、確か食糧は高得点を見積もられるとかいう……」

「その通りだ。それに今回は」

 部長の口が愉悦に歪む。

「親父が手を回している。引き分けの判定勝負には、『奮戦』という評価項目があるな」

「ああ、あれですか」

 判定勝負では、いくつもの観点から、残った人やものを数値化し、その合計点によって互いの勝敗を決する。

 ただし、判定勝負では「奮戦」という、よく分からない項目がある。

 これは実のところ、今回の戦術研究部部長のように、政治力、盤外戦で勝利をつかむための、不正に供する項目である。

 教官たちはこの規則について、演習の公平を害するものとして、長年にわたりたびたび、理事会に抗議してきた。しかし現時点ではこの項目は生きており、こうして不正の温床となっているというわけだ。

「しかし……それで本当にいいのですか?」

「青ヒゲ、これは戦術研究部の威信をかけた聖戦だ。野戦部は壁新聞部に情報を売り渡した外道の兵法家、鉄槌を下さねばならない。そのためにはなんでも使うべきだ」

「むむ」

「青ヒゲも覚えておくといい。戦争は、政治の延長にあるのだ」

 部長が言うと、青ヒゲも反論する気を失くした。


 とはいえ、青ヒゲは気がかりなことが一つ。

「なあ、ノッポ」

 ノッポとは青ヒゲと同格の部員の一人である。

「どうした青ヒゲ」

「おれ、どうしてもあのアルトとかいう生徒が気にかかっているんだけども」

 言うと、ノッポは茶化す。

「男色はいけませんなあ、全くけしからん」

「そういう意味ではないことは、お前も分かってるだろ?」

 ノッポは「ふむ」とうなずく。

「まあ……分からないでもない。アルトって一年生、十歳の頃には大猪をほぼ一人で倒したとか、他の一年生相手に決闘を挑んで圧勝したとか、まあ色々あるな」

「農業部絡みの害獣退治を忘れてるぞ。害獣の群れ相手の戦闘教義、あれはかなりの出来だ」

「まあそれもそうだな。で、どうしたんだ」

「俺たち……アルトへの警戒が足りないような気がする」

 青ヒゲの憂慮。

「おれたちに見えていないものを、彼が発見しているとしたら。あの底知れない軍学者が何かをたくらんでいるとしたら、おれたちはそれを見破れるのか」

 聞くと、ノッポは青ヒゲの背中をバンバン叩く。

「なんだなんだ、臆病風に吹かれたのか青ヒゲ、よろしくないな、始まる前から!」

「まあ、うん……だけども、おれたちは何か、アルトが見ているものを見逃していないか」

「なあ青ヒゲ。おまえが慎重な性格なのは分かる。だけどな」

 ノッポは真剣に告げる。

「戦いは否応なく始まるんだ。ここに至って戦わない選択肢はない。そのときに、指揮官がそうも臆していては、兵も不安がるぞ。ここは仮想空間とはいえ、兵には感情もある」

「そうだが、うむむ」

 この中では、青ヒゲだけが嫌な予感を覚えているようだった。


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