第37話:遠江旗頭

天文18年8月6日:尾張那古野城:織田信長16歳視点


 黒鬼の武勇は天下無双、誰も比肩できる者がいない。

 少なくとも東海筋にはいないだろう。

 北条早雲に滅ぼされた三浦荒次郎は鬼のような大男だったというが……


 マムシの長男、新九郎も鬼のような大男だという。

 新九郎がマムシを殺してくれれば楽になるのだが……

 だめだな、他人をあてにしてどうする、自分の力でマムシを倒すのだ!


 黒鬼は遠江の半分を味方につけた。

 元々遠江には今川と敵対していた者がいたとはいえ、信じられない事だ。

 調略なんて黒鬼の性格や知恵では考えられないから、良い軍師ができたのだろう。


 黒鬼は最初に引間城の飯尾連龍を味方につけた。

 飯尾家は元々吉良家の浜松荘を預かる奉行だった。


 切り崩すにはもってこいの相手だった。

 だがこれまでの黒鬼なら、調略よりも城攻めを最初に考える。


 黒鬼は湊を手に入れてから、水軍を強化する事に力を入れていた。

 干鰯と鰯油の利に加え、塩田と鯨漁の利を考えれば、当然の事だろう。

 余も熱田や津島を拠点に水軍を整えたいが、直ぐには無理だ。


 次に黒鬼が切り崩したのは、伊豆で隠遁していた堀越民部少輔貞忠だった。

 堀越家は元々駿河今川家の分家で、遠江今川家の分家でもある。見

 附端城の城主で駿河今川家とは惣領家を争った事もある名門だった。


 駿河今川氏の家督相続争い、花倉の乱では、当時の堀越家当主の貞基と息子の氏延が、今川義元ではなく玄広恵探に味方してしまった。

 今川義元が家督争いに勝利した事で、酷い報復を受けて逼塞してしまった。


 堀越家は今川義元に復讐する機会を待っていた。

 今川義元と北条氏綱が争った河東の乱では、復権を目指して井伊氏、三河戸田氏、奥平氏と共に北条氏綱に味方して今川義元を挟撃しようとした。


 北条氏綱は河東一帯を手に入れたが、武田晴信が今川と北条の間に入って和睦を結ばせたので、堀越氏、井伊氏、三河戸田氏、奥平氏は見捨てられてしまった。


 今川義元の報復は苛烈だった。

 河東一帯を失った分を取り返す勢いで堀越氏、井伊氏、三河戸田氏、奥平氏の領地を奪ったため、堀越氏は没落して伊豆に逃げる事になった。


 黒鬼の軍師は、伊豆に逃げていた堀越左京大夫氏延の息子を探し出して担ぎ上げ、遠江侵攻の大義名分とした。


 堀越民部少輔に見附端城を与える事で、今川義元に圧迫されている遠江の国人地侍に希望を与え、寄り子が集まるようにした。

 

 次に黒鬼の軍師が切り崩したのが、二俣城の松井八郎宗恒だった。

 松井八郎の父親、松井左衛門佐宗信は、今川義元のために高師原の合戦で戦い、黒鬼の人質になっていた。


 それなのに今川義元は、身代金を集めるのに困る松井八郎の懇願を無視して、松井左衛門佐の身代金を立て替えなかった。


 二度目の大量人質に財政が苦しかったのだろうが、自分の為に命を賭けて戦ってくれた者に対して冷た過ぎた。


 それだけでも国人地侍の心を失うのに、松井八郎の弱年を理由に、自分に取り入る庶家の松井宗親と松井助近に惣領権を与えようとした。

 二俣城の城代に松井宗親と松井助近を任免するという暴挙にでた。


 黒鬼の軍師は、松井八郎を調略して今川義元に叛旗を翻させた。

 謀叛を起こさせてから、人質にしていた松井左衛門佐を無償で解放した。


 黒鬼に味方して今川義元に叛旗を翻したら、無償で人質を解放するという実例を作り、多くの国人地侍を寄り子同心に加えたのだ。


 その中に、佐野郡西郷荘の石谷城を治める西郷一族の、西郷孫太郎元正と西郷孫九郎清員の兄弟がいた。


 人質になった父親、西郷弾正左衛門正勝を無償で開放してもらうために、俺の家臣と成り黒鬼の寄り子となった。

 

 今川義元に近づき西郷荘を我が物としようする、西郷信房に対抗する意味もあったのだろうが、1番の理由は父親の命だろう。


 西郷家は堀越氏と並ぶ勢力を持っていた。

 遠江で一定以上の力を持っていた国人や土豪、遠江三十六人衆の1つだ。


 その西郷家が堀越氏の復活と共に余の家臣となった事は大きい。

 いや、正直に認めよう、黒鬼の寄り子になった事がとても大きい!


 次に黒鬼の軍師は天野氏を割った。

 天野氏の惣領家は安芸守系統の犬居城主、天野安芸守景泰だが、領内支配や惣領権を巡って宮内右衛門尉系統の篠ヶ嶺城主、天野藤秀に惣領権を奪われていた。


 今川義元は、惣領家を潰して分家を取立てる事で、天野氏全体の力を削ごうとしたのだろうが、そこを黒鬼の軍師に突かれた。


 黒鬼は天野安芸守に味方して、今川義元に味方する天野庶家を潰した。

 領地の半分は天野安芸守に与え、残る半分は自分の家臣に与えた。

 海沿いの湊がある領地以外は興味がないのだろう。


 勝手に領地の遣り取りをしたのなら叱責しなければいけないが、ちゃんと事前に許可を求めて来る。


 何の支援も無しに黒鬼が独力で切り取った領地だ。

 独占するのなら叱責できるが、余の家臣になる者に半分与えるのでは、叱責するどころか感状を出して褒めるしかない。


 次いで天野氏の寄り子だった奥山氏を切り崩した。

 奥山氏の惣領家は奥山大膳亮吉兼だったが、今川義元に取り入った、庶家の奥山定友と奥山友久の兄弟に惣領権を奪われそうになっていた。


 そこを黒鬼の軍師は上手く突いた。

 奥山大膳亮に味方して、今川義元派の庶家を潰した。

 余は奥山大膳亮を家臣に加え、黒鬼は今川義元派の領地を半分手に入れた。


「久助、黒鬼の軍師が誰なのか確かめよ!」

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