第9話:領主

天文17年1月17日:三河吉良大浜城:前田慶次15歳視点


「働け、死にたくなければ手を抜くな。

 壕と土塁が有るか無いかで生死が分かれるぞ!」


 俺が大浜城代となってひと月半の時が過ぎた。

 恐れていた松平家からの反撃はなかった。

 

 松平竹千代、後の徳川家康を織田信秀が人質とした。

 今川義元との約束、三河を両家で分ける話が反故になってしまった。


 織田信秀は本当に惚けてしまったのかもしれない。

 これまでは戦略的に有利な状況を大切にしてきたのに、真逆の失策を重ねる。


 最前線の城を任された者から見ると、惚けた主君など早く死んでもらいたい!

 良い主君がいるなら、織田家からその家に寝返る方が良い。


 寝返るとしたら、真っ先に人質になっている妻を取り返すのだが、残念な事に命を

預けられるような相手がいない。


 今川義元が酷薄で信用できないのは史実で知っている。

 義祖父からも色々と聞かされている。


 織田信秀が惚けてしまって、安心して仕えられなくても、せっかく手に入れた城代の地位と預かり地は手放したくない。


 大浜城の城代職には、碧海郡の高浜村、志貴庄、大浜村の代官職もついている。

 何貫の価値があるのかはまだ分からないが、信長が約束通り支援してくれている。


 30人組の長柄足軽を5組も送ってくれた。

 足軽の質は最低だが、それは俺が叩き直せばいい事だ。


 甲賀から集めた徒士武者を十三人も寄こしてくれた。

 騎馬武者もいれば良かったのだが、馬が自前という条件が厳しかったのだろう、一人もいなかった

 何より、織田信長に仕えようという甲賀衆に優秀な者はいない。

 ある程度以上の実力がある者だと、六角家に仕えられるからだ。


 名門で力もある六角家に仕えられる者が、織田弾正忠家を選ぶわけがない。

 それでも、二流三流でも、甲賀衆の方が足軽よりは何十倍も役に立つ。


「若、高浜村の壕と土塁も大切ですが、吉良家側も警戒しましょう」


 荒子の義祖父が新たに送ってくれた、村井又兵衛が言う

 俺が大浜城代になったのがよほどうれしかったのだろう。

 荒子前田家の譜代家臣や選り抜きの百姓兵を送ってくれた。


 奥村次右衛門、吉田長蔵、村井又兵衛、山森吉兵衛、姉崎勘右衛門、山森久次、金岩与次、三輪青馬の八人が俺の側を守ってくれている。


「そうか、領民に賦役を命じるのか?」


「あまり無理をさせたくはありませんが、しかたありません。

 領民も城主が変わったのは分かっています、ある程度は諦めるでしょう」


「秋の収穫が減るほど無理はさせたくない」


「分かっております、田畑の様子を見ながらやらせます」


「油ケ淵の土塁は又兵衛に任せる」


「はい、お任せください!」


「若、領民が夜ケ浦で漁をしたいと言っております」


 奥村次右衛門が大浜村の代表と共にやって来て言う。

 これまでの大浜城は、夜ケ浦の対岸にある成岩城の榎本了圓、長尾城の岩田仲秋、半田城の榊原佐内、飯森城と有脇城の水野信元、亀崎城の稲生政勝と争っていた。


 漁の邪魔をする程度では済まず、領民同士が殺し合っていた。

 生きる為、少しでも多くの魚を得るために殺し合っていた。

 だが今では、同じ織田弾正忠に仕える領民となった。


 これまでなら単純に弱肉強食の関係ですんでいた。

 強ければ相手から奪い殺せばよかったし、弱ければ奪われ殺されてお終いだった。

 だが今では、織田弾正忠家の序列によってやれることが限られてしまう。


「三郎様を通じて話は通してある。

 俺も直接挨拶に行って筋は通してある、好きなだけ魚を獲れ」


 信長の城代に過ぎない俺は、信秀の直臣である城主よりも格下だ。

 本当なら領民が漁をする場合でも、不利な条件でやらなければいけない。

 だが大浜城一帯は松平広忠から奪ったばかりで、敵が奪い返しに来る確率が高い。


 近隣の国人地侍には、援軍を出すように信長が命令している。

 この状態で兵糧を集める漁の邪魔をする事は、敵に利を与える裏切りだ。

 密かに内通しているなら別だが、普通は明白な邪魔などしない。


 敵ではなくても、信長と反目している林秀貞と仲が良い場合も邪魔するだろうが、荒子の義祖父の話では心配いらないと言う事だった。


 信長の評判が高まっているそうだ。

 普段の言動は大うつけだが、いざ戦になればとても頼りになる。

 譜代の重臣が相手でも引かず、家臣に公平に接すると評判になっているそうだ。


 後は新参の俺に対する譜代衆の敵対心だが、荒子の黒鬼とまで評判が高くなっている俺が、頭を下げて援助を求めたので溜飲が下がっているはずだ。


 内心は頭を下げたくなかったが、義祖父に強く言われたらしかたがない。

 自分の手勢が弱くなるのに、多くの譜代や屈強な百姓兵を送ってくれた義祖父。

 その恩と期待を裏切る訳にはいかないので、下げたくない頭を下げた。


 大浜城一帯は思っていた以上に豊かだ。

 細長い半島の両側が浦と淵になっていて、魚だけでなく貝もたくさん獲れる。

 山国では考えられないくらい大きな海老や蟹が獲れる。


 そんな魚介類を味噌で煮た汁の美味しさは、言葉にできない。

 那古野城の屋敷に残っている妻にも食べさせてやりたいと、心から思う。


「若、船が手に入れば、少数ですが水軍を作れます。

 海賊は難しくても、交易で利を得られるかもしれません。

 荒子にも材木を頼みますが、甲賀の実家にも頼んでもらえませんか?」


 奥村次右衛門の献策はもっともだ。

 船、水軍を持っているのと持っていないのとでは、収入が大きく違ってくる。

 だが、荒子ならなんとかなるが、甲賀は遠すぎる。


「甲賀から材木を運ぶのは無理だ、川が通じていれば別だが、ここと甲賀は川で結ばれていないから、馬で運ばなければいけなくなる」


「そうですか、甲賀の川上から伊勢に流せれば良いと思ったのですが」


「残念だが、甲賀から運ばせるよりこの辺りで買った方が安く済む。

 買うよりも、森の木を切るか敵の家を壊して材木を奪った方がいい」


「このまま順調に兵が増えるのでしたら、福釜城か寺津城を焼き討ちしますか?」


「ああ、その方が俺らしい。

 下げたくもない頭を下げた憂さ晴らしは戦しかない!」


「敵襲、吉良が油ケ淵を渡ってきます!」

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