僕の叶わなかった願いのかたち
フジノハラ
第1話
ギラギラとした夜だった。
通り過ぎて行く車のテールランプが軌跡を伸ばし、消えていく。国道沿いの歩道橋を歩きながらぼんやりと、その綺麗な光の帯を見ていた僕は
どこに行くとも知れず、あてどもなく"あの場所ではない所へ"ただ、それだけを思って歩く
自らの意志で、出て行った筈なのに、瞳からは、涙があふれていた。
だって、捨てたのは僕の方だ。僕が、捨てたはずなのに・・・
それなのにどうして悲しくて仕方がないんだ
涙が止まらない・・・
何も求めてはくれない
何も与えてはくれない
僕を見てくれない家族
どんなに頑張ってもみてはくれなかった、父さん、母さん。
良い子供でいようとした。良い兄でいようとした。
それなのに、省みられる事もなく
だから僕は諦めた。諦めたくなんてなかった
だからこれは、決別なのだ。
・・・もう、僕の居場所はどこにもない
最初からなかった筈なのに、それでも、今までのあの場所は僕にとって大事な場所であったんだ。
そんな事認めない・・・。認めたくない。
・・・ただ、振り向いて欲しかっただけなのに・・・
だから、僕が捨てた。だから、悲しむのは僕ではないはずだろう?
涙を両袖で拭いながら、それを隠したくて、陸橋を抜け、脇道を降り川辺までフラフラと歩く。
夜だというのに全てが眩しかった。頭上にある外灯の光も、流れる川も、町の光を浴びてギラギラと輝いて
見上げた先には街の光りが強く、輝いて空を照らしていた。その周りを小さな星が街を引き立たせるようにして輝いている。
綺麗だと思った と、同時に 歪だと思った
不自然で、その不自然さをきっと僕らは不自然と思っていないから・・・
だから歪で綺麗なのだと、そう、思う
音を立てて街を吹く風は悲鳴をあげて、橋の下をくぐる。乾いた草が頭を垂れて、震えている。車が通る度に軋む橋、セピア色に照らし出される草むら、流れる川は光を吸いとりギラギラ輝いて
この場所はまるで、地獄の口みたいだ。人間の不和が一つの現象になって息をしている。生きているみたいに震えて叫び続ける街。此処に僕の仲間がいた。
ゆっくり閉じた瞳の奥は僕の感情とは裏腹に熱く、頬を伝う涙は激しい風にあてられて、とても冷たい・・・
一息吐くと青く冷たい空気が喉を通り少しだけホットする。ゆっくりと開く瞳に映る世界はやはり歪だ。涙で滲んだ瞳がチカチカとして、前が良く見えない、もう少し、もう少しだけ近くで見たいと、二歩三歩と前に出る。足元が見えなかった僕は、足を滑らせて体が傾ぎ暗闇に飲み込まれ、微かにジャブっという音が聞こえた。
あっというまに、僕は水に飲まれ
僕の涙は水に溶けて
川の流れは僕の悲しさをさらって往く
僕は何故か満ち足りた気持ちだった。
もう、悲しむ必要がないからかな?
ギラギラと光る明かりが、捨てたはずの大事だったものの象徴の様に輝いているのを
遠く眺めながら僕の意識は暗闇に溶けていく
その日、独りの少年が姿を消した。
周囲から騒がれたのは少しの間だけで、ほとぼりがさめ、何事もなかったように元の日常に戻るまで、時間はかからなかった。少年の両親も捜索続行の願いも、個人での捜索もせずにいたため。捜索が打ち切られると、波が退いていくように少年は忘れられ、歳月が流れていった。
行方不明者捜索のニュースは、上がっては消えていくのが殆どだが、身内が根気よく探し続けていれば、人々の頭の片隅に残ることができただろう。
でも、あの日、俺の兄である祐也(ゆうや)が姿を消したとき、両親は全くと言って良い程、動かなかったのだ。それが、何故なのか当時の俺には分からなくて、どうすることも出来ずに一人、取り残された。
取り残されたままの俺は中学を迎え、その頃には自分の両親がいかに無関心であるかが分かって仕舞っていた。
分かってはいても、納得は出来ない。
だって可笑しいだろう?
自分達の子供が姿を消したのに、次の日にはいつも通りの日常がそこにはあったんだ。
兄が、祐也がいなくなって初めて気がついた。まるで、テレビ画面の向こう側を見ている様に、母は機械的に朝食を作り、父はいつものようにリビングで新聞に目を落とし集中している。そのため、起きて来ていた俺に、二人とも気に留める様子はなく、いつも通りの朝の景色がそこにはあった。虚しいほど、テレビや料理をするコンロとフライパンが擦れる音が響いている。それが、もっとも家庭的な音であるはずなのに、逆に薄ら寒い。
もしかしたら、両親から見たら俺も壁の向こう側の人間なのかもしれないけれど。
その時、俺は金槌で頭を打ち抜かれた様な衝撃と様々な感情が体中を駆け巡り、何も考えられず。何を考えているのかすら分からないでいて、ドクドクと耳の裏を早鐘の様に警報が鳴るばかり、その音は今まで祐也が守ってくれていたフィルターが壊れる音
ただ、俺の中で何かが壊れ、そして、繋がったんだ。
いつも祐也がいたから気付かなかった両親の本当の姿に・・・
納得出来ない俺は中学生に上がってからしばらくして、小学校のときとは違う自由さが心地よくて夜まで出歩く事が増え、ガラは悪いが気の良い仲間や先輩ができた。家にいても息が詰まるだけでどうする事も出来ない俺は、居心地の良い仲間との他愛ないやり取りやちょっとした悪さをして憂さを晴らしていくうちに、仲間に自分の親の事を話していた。俺が自分の家庭環境を口にしたのを皮切りに仲間も口々に自分達の家の事を話して俺の事を気遣ってくれたんだ。本当に良い奴らだと思う。
親身になって聞いてくれた仲間の一人、長瀬亨志(ながせりょうじ)が俺の家の事に話を戻し始めた。
「なあ、なんで祐二(ゆうじ)は自分の親にこうやって話さないんだ?したら、お前のこと見てくれたかもだろ?」
「あっ、だよな、まあ俺んとこの親なんて煩いだけでやんなるけどな」
「だなっ」「ははっだよなあ~」
「で?どうなんよ祐二?」
亨志に同調して俺を問いただすのは楠木充(くすぎみつる)、目の前の充から順に目を向けて「・・・わ、笑うなよ?」と念を押す俺に彼奴等は自信満々に「おうっ」と口角を上げる。それが妙に暖かくて、むず痒くて、彼奴等を真面に見る事が出来ず膝に視線を落とし、手のひらを組んだり離したりしてしまう。
その間、俺が喋るのを静かに待ってくれている仲間に苦笑を漏らし、下を向いたまま話し始める。今の俺自身の顔はきっと酷い顔をしているだろうから。
「…俺さ、もう、会えないと思うんだけどさ、兄ちゃんがいたんだ。でも、俺が小学校に上がる前に失踪したんだよ。兄ちゃんが居なくなって初めてうちの家族が何か違うって気づいた。叫びそうだったよ。でも、兄ちゃんは一度も叫ばなかったんだ。泣かなかったんだ。多分、だから居なくなった…だから、言えなかった。言っても無関心のままだったらって思うと、怖かった。そうなったら兄ちゃんも居ない今、俺もあの家に居られないって・・・」
(変わって欲しいと思っても、子供が居なくなっても変わらなかった親が、どうしたって変わるとは思えない。その決定打をうって仕舞ったら形さえも帰る場所を無くしそうで・・・ただ、諦める事も出来なかった。いっそ、嫌いになれればよかったんだ・・・でも、何かされたのではなく、何もされなかった。だから、嫌いにも好きにもなれないまま、俺の家族は宙ぶらりんだ。)
俺の話を聞いて仲間は静かに黙りだし、沈黙が重く、たまり場になっているこの廃墟を抜ける埃臭い渇いた風の音がいやに響いて耳に届く。
汚れたコンクリートの上を細かく歩く蟻の姿が目につく。
「・・・はぁ、ダメだわ!俺、頭悪いしさっ、なあ、俺らがいんじゃんっ、別に親がどうでも良くね?俺は、親に理解してくれなんてはなから諦めてるけど、此処に居る奴等が俺をお前を理解してくれてんだぜ。それじゃ、ダメなのか?」
いきなり立ち上がり、タックルでもかましそうな勢いで俺の肩を抱き、その肩をバシバシ音を立てて叩きながらまくし立てる。充につられ他の奴等も俺を小突き出す。頭を掻き回され、二の腕に半ば本気のパンチをくらい、段々とエスカレートしていく悪ふざけは、間接技を決め始めてきた辺りから耐えられず俺がギブアップの合図を出すも、こいつらはなかなか離さないものだから、思わず笑って仕舞う。眼尻に滲んだ涙は可笑しくて仕方ないからだ。
クサいセリフを平然と言ってのける彼奴等、叩かれた腕がジンジンと熱いし、押しつぶされた背中も、叩きすぎだと、憎まれ口の一つでも言ってやりたいけれど。俺は、本当は人の温もりが堪らなく欲しかったから、胸が堪らなく熱くて、何も言えない。
幼かった頃、親に連れられて公園に来ていた同じくらいの子がブランコに乗っていた。母親が子供の背中に暖かそうな手を添えてブランコに乗る子供を支えていたのを俺は羨ましく眺め、自分には手に入らないものだと、目を背けた。
それでも、羨ましくて、公園ではブランコに良く乗って、空を眺めた。
もしかしたら、親が来てくれるかもしれない
もしかしたら、一緒にブランコを漕いでくれるかもしれない・・・
たったそれだけのために、家と目と鼻の先の公園に日が沈むまで居座り続けた。少しずつ帰ってしまう友達に俺だけが一人最後までいて、夕暮れの空がターコイズブルーの空と合わさって夜に変わっていく色を眺め、更には瑠璃の空を堪能した。
帰りたくないけれど、あの家にしか戻れない。それが悔しくて、情けなくて
いつから諦めたのかも憶えていない・・・
錆びれた公園に取り残され、一人きりだった俺の背中に
願った相手では、ないけれど、
暖かな掌の温もりが伝う
馬鹿馬鹿しくて、それがどうしようもないくらい面白く、嬉しい。こいつらと一緒に居られる、そのことが嬉しくて堪らないのに、両親に俺を意識して欲しいなんて、欲張りだったのかもしれない・・・。
「はははっ、あ~っもうっ、ホントお前ら面白いなっ、なあ、外行こうぜ、外、亨志スクーター乗せてくれよ。後ろでもいいからさっ、今日はお前らとハッチャケたい気分だ。」
「おっ、良いな!それ」
「いつまでも篭もってっから、ぐだぐだ考えちまうんだっ。」
「そうと決まればさっさと行こうぜ」
ひとしきり笑った後で提案してみると皆ぞろぞろと外に向かい。俺は亨志のスクーターの後ろに、充が運転する方には菊池幸成(きくちゆきなり)が乗り。
夜の街にスクーターで繰り出した。建物や高層ビルの灯りで空なんて見えない。煌びやかな灯り、街行く人の波、それらを横目で見ながら、走るスクーター
ただただ可笑しかった。
それは、いつもの唐突に知る疎外感と孤独、何度だって感じる不安を知る度に、嘲りに限りなく近い笑いがこみ上げた。だが、この笑いはそれとは違う。
一人きりではないと知った喜び、誰かと繋がる歓喜だ。
街を走る車、建物の灯り、そこには人が絶えず行きかい交わり、離れ、繋がる。
自分達は街そのものだ。
俺たちが街を動かし、壊し、作り、細胞のようにして街を動かしているのだ。
俺達は絶えず繋がり、街を形成している。人と人は世界を造っている。そう、思うと、どうしたって面白くて可笑しい。俺達は一人ではなかったんだと今更ながらに気づく自分に笑っていた。
壊れたように笑い続ける俺と一緒になって彼奴等も笑っていた。スクーターのエンジン音もかき消して、俺達は笑い続ける。
その声は街の灯りの中でも懲りずに輝き続ける一等星にも負けない程、喧しかったことだろう。
僕の叶わなかった願いのかたち フジノハラ @sakutarou46
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