第2話
バザル大国の中心に鎮座する、聖中央大霊都市、そこにある全酒場ギルドの本家、M×Mに長い金髪を一つに纏めた大柄な女が座っていた。ジョッキを片手に欠伸を漏らす。彼女の傍らには鎖で繋がれた大きな斧があり、よく見ると細かい傷や赤いシミがあった。
「ガナルさあん、また朝から呑んでるんですかあ?」
喧しい程の声量で話しかけてきたのは、M×Mの若き女マスター。背中の蝶のような羽を軽く動かし、むうっと頬を膨らませた。女、ガナルは左眼だけで彼女を一瞥した。
「別にいいだろう。あたしの勝手だ」
少し掠れた声で無感情に返すとジョッキをあおった。ごくごくと筋肉質な首筋が動く。はあっと息をついてタトゥーだらけの右腕で拭った。
「……もう、冒険はしないんですか」
トーンを落として問いかけた。すぐに返答はない。早朝に鳴く小鳥達の声がよく聞こえてくる。
「しない」
俯き、マスターからは口元だけが見えた。きゅっと結ばれたそれにややあって腰から手を離し、立ち去りながら投げかけた。
「またガナルさん指定で依頼が入ってますんで、お昼になるまでに済ませてくださいねえ」
うちの信用問題に関わる、と何か苛立つ事でもあるのかぷんぷんと言いながら奥に消えて行った。まだVIPルームの連中は起きてきていない、ここにいるのはガナルだけだ。
空になったジョッキの底は湿っており、影もあって余計に黒く見えた。右手で眼帯を触る。分厚い革製のもので、製作者のサインと型番が小さく掘られてあった。
「冒険か……」
すっと手を離し、掌を見た。深い青色の手袋からでも分かるぐらいには厚く、男のようにごつごつとしていた。軽く握ってから溜息を吐く。ややあって立ち上がり傍にある斧の柄を掴んだ。
大霊都市の外れまで来ると人が殆ど居なくなる。そもそも六角形型になっているこの都市は外に向かえば向かう程、所得の少ない者達の住処が増えていく。壁に囲まれている為、普段は空しか見えない。その上空も魔法障壁で囲まれているから、僅かにシャボン玉の油のようなものが見える。
「相変わらず、最悪な景色だな」
軽く立ち止まって上を見上げた。一番外側の道だからか、左半分は無骨な石の壁が覆っていた。乾いた風が金髪と腰にある先のちぎれた布を撫でた。
じゃらじゃらと鎖が鳴るなか、ガナルは一軒の家の前まで来ると、ズボンと腰の隙間から紙を取り出して広げた。扉には小さく看板があり、紙にはマスターが描いたのだろう絵があった。
「ここか」
鉛筆でさっと描いたものだが的確に特徴を掴んでいた。ガナルは裏に走り書きされた依頼内容を確認し、また隙間に入れ込む。扉を軽くノックした。
ややあってきいっと音が鳴り、一人の人間が顔を出した。自分よりもかなり小さい人間、ガナルは少し驚いた。出迎えてくれたのは十にも満たない少女だった。
「古道具店、なのか。ここは」
質素な室内。出されたマグカップは柄が一部剥げており、何が描かれていたのか分からない箇所もあった。ガナルは大きな手には似合わないそれを掴み、啜った。
染み渡る丁度いい温度、素朴だがしつこくない甘さは不思議と懐かしく感じた。とてもこの少女が出せる味ではない、身体を大きく見せないように背を丸めながら、眼前の彼女を見た。
「はい。今は訳あって休業中ですが」
淡々と喋る様子に、どことなく違和感を覚えた。ガナルはそっとカップを置いて問いかけた。
「名前は」
少女はマグカップを両手で包んだまま答えた。
「シェン。です」
表情が大人びているというか、もはや悟っているようにも見える。「ガナルだ」そう名乗りながら握手を交わした。
「一応依頼内容は確認して来たんだが、細かい事までは伝わっていない。ゆっくりでいいから話してくれないか」
大柄で粗雑に見える彼女は依頼主を無駄に感情的にさせないよう、ある程度自身でマニュアルを設けている。ただ元々寡黙で表情も乏しい為、大抵の人には事務的な言葉に聞こえた。
シェンは共鳴するように、ガナルと同じ調子で話し始めた。淡々とした空気、人によっては茶々を入れたくなる程に無感情だった。
「……シェン」
然し話の途中でガナルは掌を見せて制した。音を失った口が少し開いて、一つおいて眼が合った。
「なんですか」
人形のような垂れ眼には光がない。軽く眉根を寄せながら手をさげた。
「それはあたしのような討伐者がやる仕事じゃない。シャーマンやパラディンなんかの聖職者が請け負うものだ」
少し感情が乗る。だがシェンは微動だにしない、眉のひとつも動きやしない。
「報酬に古道具のうちの一つを差し上げます」
かぶりを振った。背中の上で髪が動く。
「物で釣ったって意味ないぞ。あたしはスレイヤーとしての依頼しか受けない」
全く、どうしてマスターは当たり前に受けたのだろう……説明して他の者にやらせればいいのに、そう思いながら椅子に背を預けた。ぎしっと僅かに鳴る。
少しのあいだ沈黙が流れ、少女は不意に立ち上がった。何を言われても何をされてもお互いに退く気はない、ガナルは溜息を吐き、右手を机に置いたまま項垂れた。
だがややあってごとりと重たい音が鳴り、顔をあげた。
「それっ」
がたっと立ち上がる。その勢いで椅子が倒れた。シェンは我が子のように品物を撫でながら、ガナルの震える左眼を見つめた。
「十年前、貴方がまだ二十五歳だった頃に私のもとにやって来た品物です」
触りたがっている、欲しがっている、シェンは彼女の様子をしっかり観察してから品物を持ち上げた。
「なぜここにあるのか、これが本物なのかは依頼を完遂してからお伝えします」
少女のやり方にガナルはややあって肩を落とした。内容自体は簡単なものだ、軽く眼を伏せた。
「分かった。邪魔だから斧は置いていく」
机から手を離した。然し「ダメです」とはっきり聞こえた。視線を戻す。シェンは品物を抱えたまま柄を一瞥した。
「持って行った方がいいです」
それに眉根を寄せたが、余計に反抗すると報酬が減ってしまうかも知れない。ガナルは諦めて斧を手に古道具店を後にした。
依頼内容は大霊都市の南側に位置する無垢の砂漠から、ラクダの肉を十キログラム程買って持ってこいというものだった。マスターから渡された紙には【肉 十キログラム 入手】としか書かれておらず、魔物や魔獣の類だと思っていた。
然しラクダの肉は砂漠内にある小さな街から買う事が出来る。そんなお使い事は聖職者の役目だ。
「まいど」
朗らかな老人から肉を受け取り、その塊を肩に担いだ。納得いかない表情のまま街を出る。真っ直ぐ来た道を引き返す。はずだった。
どんっと足元に振動が伝わった瞬間、右足の下にあった砂が崩れた。驚き顔をそちらに向ける。ラクダの肉は右肩に担いでいた。
一瞬にして太陽を遮ったのは巨大なミミズのような何か。その丸く開かれた口には喉の奥までかえしのついた牙があり、触れるだけで溶けていく強酸性のヨダレがまとわりついていた。
「チッ、肉に釣られたか」
坂になった砂をつま先で蹴り、背中を向けて走り出した。砂漠地帯に必ずいる魔獣、サンドワームが甲高い悲鳴をあげながら追いかけてくる。
走る度に背中にある斧と鎖が金属音を奏でる。左眼で相手を見たあと、各地に散らばっている古代遺跡の一つに足を踏み入れた。奴らは砂のなかを移動出来るし、砂上でもスピードは速い。然しそれ以外の場所では途端に動きが遅くなる。
ラクダの肉を遺跡の中央部分に置き、柄を掴んだ。それにより、必ず武器類に付与されている装備魔法が一時的に解除される。背中から離れ、その揺れで鎖が鳴った。
両手に支えられ、緩く湾曲した片刃の先が遺跡の石を削った。サンドワームがそのまま口を開けて突撃してくる。だがその前に、ざっと脚を開くと左手を柄から離した。同時に右腕を動かす。
地面に落ちる前に鎖に引っ張られた左側の斧が空気を切り裂き、砂埃をあげて一際大きく口を開いたサンドワームに当たった。切れ味の鋭いそれは遠心力も加わって軟骨まで両断した。
ガナルが力に振り回されず、刃に当たる事もなく器用に柄を掴み直したあと、ずりっと口の辺りが横にずれた。鮮血が吹き出し、強酸性のヨダレも撒き散らされる。すぐに飛び退くと、先程までいた箇所が溶かされはじめていた。
「さっさと帰った方がいいな」
崩れるように倒れる様を見ながら斧を背中に戻す。柄から手を離すと装備魔法が再度発動し、また鎖が揺れた。
ラクダの肉を拾い上げ、遺跡を辿って戻るルートを頭のなかで構築した。三十五年、十代の頃からスレイヤーをやっている彼女にとって、バザル大国の殆どは庭と同じだった。然し。
強烈な殺意を感じて振り向いた。時には既に遅く、巨大な平手打ちを全身に食らった。遺跡の柱をぶち壊し、何十メートルも吹き飛ぶ。砂漠の東側にある壮大な地層の山の一つに当たり、窪みが出来た。
ぱらぱらと赤色の破片と共に崩れ落ちる。だが地面にそのまま当たる前に正気を取り戻し、受け身を取った。砂埃と土埃が舞うなか、力強い手足の踏ん張りによって、彼女の周りから埃が逃げていった。
立ち上がる。額から軽く血が流れ、口からはヨダレ混じりの血を吐き出した。
「土の幻獣……」
ちゃりっと鎖が鳴る。左側の刃にはサンドワームの体液が僅かに残っていた。
魔物、魔獣を総称して魔族と呼び、それよりも上位のものとして中立的なドラゴン族が存在する。然しその更に上、神に近いものがいる。それが幻獣と呼ばれるものであり、彼らの出現はランダムだ。
ランダムかつ無差別。そこにヒューマンやエルフなどの人族、魔族、ドラゴン族の区別はない。生きる自然災害であり、バザル大国での災害の殆どは幻獣によるものだ。
然し彼らは討伐が出来る。幻獣討伐、それがガナル達スレイヤーの目指すべき地点。
「巨人型か」
六本の腕と大きな人間の姿。身体中には葉のような模様があった。今回現れたのは幻獣のなかでもレベルが低い、人間の姿をした個体、ガナルはふわりと膝を曲げた。
彼女の動きは軽装系の職業と同格か、それ以上だった。一瞬で距離を詰めてきたガナルに幾つもの拳が振り下ろされる、だが数ミリ、数センチの隙間をあけ、最小限の動きだけで避ける。
それだけならまだ小賢しいだけだろう。彼女は違った。
じゃらっと鎖が鳴った時、振り下ろされた拳と手首がずれ、前のめりに倒れた。埃が舞い上がる。斧の刃には既に血がついていた。
然し幻獣もレベルが低いとは言え生きる自然災害だ、拳一つ斬ったところで油断は出来ない。瞬時に起き上がり飛び上がる。一番下の両手を合わせ振り下ろしてきた。
幻獣は見た目に縛られない。ガナルと同じく、重量級に見えてとてつもないスピードを出す。ふわりと横に避ける。だが衝撃が凄まじく、砂が舞い上がって視界を奪った。
「くそ、最悪だ!」
上から降り注いでくる砂漠の粒子達。キメ細やかなそれらは光を反射するため、煙幕や眼潰しなどにも利用される。それが自然に、しかも大きく発生した。
左眼を細め、口を閉じる。かなり細かいので簡単に器官に入る事もある。とは言え吹き飛ばされた際にそれなりに吸い込んでいるはずだ。
軽く咳き込み、気配を探る。刹那、背後から殺意を感じ取った。振り向くより先に身体が動く。上に跳び上がると巨木のような腕が現れた。
ガナルは宙で身体を逸らして足先から腕の上に着地する。と同時に左の刃を突き刺し、そのまま肩に向かって走り出した。
ペーパーナイフで手紙を開封する時のように、魚をおろす際に包丁を差し込む時のように、一気に斬りあげた。大量の血が砂埃と混じる。
肩まで来ると左の斧を握り直し、そのまま二本とも刃を自分の後ろに引いた。幻獣特有の仮面のような顔と眼が合う、何本かの手が彼女を掴もうと伸びてくる。
だがその前に、太い首に向かって二本の斧を振り下ろした。一気に滑り込み、がんっと止まる。
幻獣の心臓とも言える一本の太い骨、それが刃を堰き止めていた。ぎちぎちとせめぎ合うなかでも手は伸びてくる。それでもガナルは一切退く姿勢を見せず、首筋に血管を浮き上がらせた。
あともう少し、あと少しで握り潰される。瞬間、僅かに斧が揺れて鎖が鳴った。それを合図に歯を食いしばり、舌を巻きながら斬った。
横に伸びた二本の斧、一拍おいて傾く頭、ぎりぎりのところで停止する手、幻獣の身体は膝から崩れ、その振動と共にガナルは跳び去った。とんとんっと砂の上に着地する。
うつ伏せに力を無くした幻獣が倒れ、風圧に巻き込まれた砂が襲ってきた。軽く眼を細める。視線を逸らす事はしなかった。
ややあって幻獣の身体から蛍のようなものが抜けていく。それを確認するとふっと息を吐いた。
「流石」
ぱちぱちぱち、背後から拍手の音が聞こえ、反射的に振り向いた。眼をかっぴらく。全く気配を感じ取れなかった。
「シェン……?」
そこにいたのはあの少女だった。だがよく見ると背中に大きな蝶の羽があった。クロアゲハのような形と色、僅かに青いそれにはっと息を吸った。
シェンは手をおろすと「報酬の事もある、M×Mで待ってる」と無感情に言うとその場から消えた。残されたガナルは暫く立ち尽くしたままだった。
「あの羽……」
フェアリーの特徴でもある羽、あれは大霊都市の主でありバザル大国の国王であるリ・ジェンリー国王の側近、ルーラ魔法隊長のものだ。なぜ隊長が羽を消してまで依頼を寄越してきたのか、そしてなぜこのタイミングで幻獣が現れたのか……。
ガナルは斧を背中に戻しながら呆れたように笑って、小さくかぶりを振った。
「はめられたな、これは」
ルーラ魔法隊長はバザル大国でも有数のサマナーであり、“幻獣を召喚出来る人物である。”ガナルは軽く肩を揺らしたあと、忌々しげに舌打ちをした。
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