43 大事なのは
そんな俺の態度がまた、春夏冬の気に障ったようだ。
「バカ、バカ、バカ、バーカバーカ!」
「いてっ」
春夏冬の叩く振りかざされた握りこぶしが、俺の肩に落ちてきた。それから何度も、バカの言葉に合せて叩いてくる。
一発は許してやれるが、それ以上はやりすぎである。
振り下ろされる拳を押さえると、春夏冬はもう片手で叩こうとしてくる。それも押さえ込むと、恨みがましく睨めつけてきた。
「バカバカバカバカバーカバーカ!」
「あーあ。あの天使のような女の子が、今となってはこの有り様か」
「キィー! ほんとこの男は……! あんた、ちゃんとわかってるの!?」
「なにがだよ」
「今まであんたは、初恋の女に散々酷いこと言ってバカにしてきたのよ!」
「ちょっとウケるな」
「ウケるな!」
「ま、いいじゃねーか。初恋の男にコケにされてきたわけじゃないんだから」
「……あ」
顔が真っ赤になるほどの憤りが、スッと熱が引くように収まった。
たしかに俺の初恋は、小四の夏休みに済ませた。
でも同じ思い出を共有する春夏冬にとって、あれは初恋の思い出なんかではない。
「関わるキッカケになった思い出かもしれんけどさ、それで好きになったわけじゃないんだろ?」
「……うん」
「他にイツキと、なにか特別なことでもあったのか?」
「ううん。だからあれが、一番特別な思い出だったの」
春夏冬はゆっくりとかぶりを振った。
好きになったからこそ、かつての思い出が特別に輝いてしまったのだ。ようは後付けである。
だからその輝きが失われようとも、春夏冬は落ち込むようなことはしない。むしろ、ずっと思い出してもらえなかった歯がゆさに、ようやく納得したようにスッキリとしていた。
「特別なことがないなら、なんで好きになったんだ?」
「優しいところ」
「もうちょっと具体的に」
「体調悪いときとか、さりげなく気遣ってくれるところ」
「他には」
「困ってるとき、一緒に悩んでくれるところ」
「他には」
「素直に褒めてくれるところ」
「他には」
「自分にはわからないことでも、否定せずに理解しようとしてくれるところ」
「他には」
「人の喜びを、自分のことのように喜んでくれるところ」
「他には」
「私だけじゃなくて、みんなにそうやって接してるところ」
春夏冬はふと、顔を伏せた。
「下心があるわけでもない。八方美人ってわけでもない。ただのイエスマンでもない。駄目なことは駄目って言うし、譲れないものは譲らない。周りにとっては些細なことでも、その人にとって大切なことなら、その気持ちに寄り添ってくれる。相手の大事なものを、ちゃんと大事にしてくれる。相手の幸せを心から願えるところが……そんな人の特別になりたいって、気づけば好きになってた」
春夏冬は握りこぶしを作ると、肩を震わせた。
「こんなに好きなのに……なんで私、それを伝えなかったんだろ。ねえ、教えてよ」
「俺にそれを聞いたところで、慢心みたいな言葉しか出てこないぞ」
「……うん。当たり前のようにいつか好きになってもらえるって、慢心してた」
「ま、終わったことをいつまでも後悔しても仕方ないがな」
「終わった……ことなのかな」
「ああ、終わったことだ。待ってたところでチャンスはもう回ってこない。イツキは絶対に、惚れた女を手放さない。他の女に目もくれず、一途に尽くして愛し続ける。そんな男だからこそ、おまえは好きになったんだろ?」
喉を鳴らしながら、春夏冬は力強く頷いた。
「ならいい加減、イツキへの恋を終わったものにして、前に進まないとな」
「……それが簡単じゃないから、困ってるんじゃない」
「だったら、どうしたら終わらせられる? せめて好きだったって気持ちだけでも、最後に伝えたいか?」
「そんなことできるわけないじゃない! イッセーを……困らせたくない」
「御縁は伝えたぞ」
「え……」
春夏冬は驚いた顔を上げた。
「イツキの奴、五時間目サボったろ。そのときにふたりになれたから、最後に気持ちを伝えたらしい。最後まで笑って送り出せた。これでやっと前を向けるってさ」
六時間目の中頃に、そんな電話が御縁からかかってきた。
嗚咽混じりであったが、晴れ晴れとした御縁の泣き顔が脳裏に浮かんだ。
「華香が……」
「そりゃ、二番目でもいいからって泣いて縋られたら困るだろうけど。前へ進むために伝えた気持ちを、受け止めてやれないほどうちの弟はヤワじゃない」
考え込むように春夏冬は目を伏せた。
御縁の性格上、考えられない思い切った行動。どれほどの覚悟を持って想いを告げたのか。それを計り知れず、春夏冬は悩んでいる。
「でもな、ノエルはその反対の道を選んだ」
「反対?」
「一生気持ちを伝えないまま、前に進もうって決めた。その覚悟を決めて、俺をあの家に呼んだんだ。だからどっちが正解ってわけじゃない。大事なのは、おまえがどうしたいか。その気持ちだ」
「私が……どうしたいか」
どうしたら自分が前を向けるか。
その思索に耽った春夏冬は、答えを求めるように空を見上げた。
茜色に染まった入道雲から求めているものが落ちてくるわけはない。
「嫌だ……」
答えが零れ落ちてきたのは、自分の心からだ。
「気持ちを伝えられないまま、終わらせるなんて嫌だ。せめてあなたのことが好きだって、気持ちだけでも伝えたい」
自分の素直な気持ちに気付いた春夏冬は、薄く笑った。
「最後くらい、イッセーの優しさに甘えてもいいわよね」
「ああ。記念受験のつもりで告ってこい」
「言い方!」
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