42 全然わかってない

 真っ先に向かったのは、下駄箱だった。


 春夏冬の下駄箱を確認したら、外靴は残ったまま。上靴のまま帰るなんてことはないだろうと、校外に出た可能性は除外した。


 では春夏冬はどこへ行ったのか。


 今の春夏冬は、ひとりになりたいはずだ。


 部活などで残っている生徒たちと鉢合わせない、人気のない場所。数カ所思い浮かべると、第一候補に向かった。


 階段を上り、その扉を開くと、春夏冬の背中が見つかった。


「屋上とは……またベタな場所でたそがれてるな」


 フェンスに両手をかけている春夏冬に近づこうとすると、


「来ないで」


 くぐもってこそいるが、ハッキリとした拒絶の声が上がった。


 嗚咽こそ聞こえてこないが、それが漏れてしまうのも時間の問題だろう。小さく震えた肩から、必死に我慢しているのが伝わってきた。


「なにも言わないで」


 俺が口を開こうとした気配を察したように、春夏冬は制してきた。


「今、酷いこと言われたら、絶対死にたくなるから……」


「なんで俺が酷いこと言う前提なんだ」


「だってあんた、私には酷いことしか言わないもん」


「全部話したのに思いだして貰えないとかマジウケるな、ってか? さすがの俺も、そんな追い打ちかけるほど鬼じゃないぞ」


「だったら、なにしに来たのよ」


 どうやら春夏冬は、俺が慰めに来てくれたなんて微塵も考えていないようだ。


 たしかに慰めに来たわけではない。かといって、追い打ちをかけに来たわけでもない。


「意地を張ってきた思い出の中身が、ただの勘違いだったとかマジウケるな」


「……っ!」


 フェンスが軋む音がした。それから遅れて、春夏冬は喉を唸らせた。抑え込もうとした感情が、微かに溢れてきたのだ。


 言い返したい気持ちはあるだろう。でも声を出すと、我慢していたものがすべて溢れるのがわかっているから、春夏冬は堪えたのだ。


 小馬鹿にされたと信じている春夏冬なりの、酷い男への抵抗である。


「小四の夏祭りだろ。あの日のことは、よく覚えてるぞ」


 それをわかっていながら、あえて春夏冬に近づいた。


「イツキが前日の昼くらいから体調を崩してな。それ自体はいつものことだから騒ぐことじゃないし、案の定朝にはマシになってた。ただ祭りに行けるかどうかは、安静にしながら様子見だった」


 春夏冬の隣に並ぶと、フェンスに背中を預けた。


 そしてあの日のことを、鮮明に思い出しながら語った。




 イツキが体調を崩しているから、遊び相手がいない。だからイツキの容態を見ながら、朝からずっとゲームをするくらいしかやることがなかった。


 お昼くらいの時間に、ゲームを止めた俺は庭に出た。身体を動かしたくなったから、今度はサッカーボールで一人遊びを初めたのだ。婆ちゃんには庭でボール遊びは止めろと昨日言われたばかりだが、軽い気持ちで約束を破った。


 ずっとリフティングをしていたら、その日は新記録を叩き出し、俺は浮かれてしまった。これ以上続かないと思った瞬間、ボールをブロック塀に向かって蹴ったのだ。


 跳ね返ったボールはあらぬ方向に飛んで、家の窓を割ってしまった。


 その結果、カンカンになった婆ちゃんに怒られた俺は、罰としてお祭りに行くのを禁じられてしまった。


 折角楽しみにしていたのに、とふてくされたのも最初だけ。一時間もすれば、あっさりと諦めがついた。


 子供ながらに、これくらいの罰で済んでよかったと思ったのではない。イツキの様子を見る限り、これは一緒に行けないなと思ったからだ。


 三時過ぎくらいに目覚めたイツキに、昼間の失敗を話して、お祭りに行けなくなったと苦笑した。


 兄さんは仕方ないなとイツキは笑うと、こんな提案をしたのだ。




「『だったら、僕のふりをして行ってきなよ』ってさ」


「……え」


 ずっと伏せていた春夏冬の顔が、初めてこちらを向いた。


「どうせ自分は行ける調子じゃない。不貞寝している兄さんのふりしておくから、体調がよくなった僕のふりをすればいい。そうやって、たまには兄さんの役に立ちたいって、あいつは言ってくれたんだ」


 目端に雫を溜めたまま、春夏冬はマジマジと俺を見つめてくる。


「イツキを置いてまで行きたい、なんて楽しみでもなかったけどさ。そんな弟の心意気を、ありがたく受け取ったんだ」


 そうして俺たちは、双子の入れ替わりを初めてやったのだ。




 折角ならどこまで騙しきれるか。しっかりお互いのふりをしてやってみようと悪戯心が働いた。


 イツキの場合は、俺のふりをする前から婆ちゃんにバレてしまった。


 一方俺は、イツキのふりをして、一度は婆ちゃんを騙して家を抜け出した。


 婆ちゃんの家の近くに住んでいるわけではないから、近隣に学校の友人はいない。でも遊びにくる内に仲良くなった、近所の子たちは数人いた。待ち合わせ場所にイツキのフリして行ったはいいが、


「なんだ、イッセー来ないのかよ」


 まるで俺のおまけだけが来ても、と言わんばかりな空気が伝わってきた。


 それが面白くなかった。そんな奴らはこちらからごめんだと、俺は身を引いたのだ。


 折角楽しい場所に来たはずなのに、嫌な気持ちで雑踏の中を歩いていた。


 露店の美味しそうな食べ物や、楽しそうな遊びにも惹かれない。


 このままひとりで回っても、虚しくなるのは明らかだった。


 でもここですぐ帰ると、なんですぐ帰ってきたのかという話になる。なによりイツキの心意気を無駄にしたくなかった。楽しいことなんてひとつもなくても、せめてイツキには俺を送り出せてよかったと思わせてやりたかった。


 時間を潰すようにウロウロしていると、ふと惹かれるようにそれが目に入った。


 金色の髪を持つ、同じ年頃の女の子。


 白いワンピースを身にまとう様は、まるで天使のようだった。幼心にそう思ってしまうくらいに、少女が可愛かったのだ。


 その女の子は雑踏の中、ひとりポツンと俯いていた。我慢するようなその顔は、今にも泣き出しそうに見えたのだ。


 なんとかしてあげたい。


 自然とそう思ってしまったときには、とっくに心を奪われていたのだろう。


 いわゆる一目惚れだ。


「ひとりでどうしたん……の?」


 どこで誰が見ているかわからないから、イツキのフリをしたまま、初恋となった女の子に話しかけたのだ。




 あのときの裏を、今更詳しく語る必要なんてない。


 イツキの心意気を受け取った。


 今更それ以上のこと、春夏冬に伝える意味なんてものはないから。それだけで十分だった。


「なにが……一目でわかるんだけどな、よ」


 悔しそうに口を結んだ春夏冬は、肩をぷるぷると震わせた。


「全然わかってないじゃない!」


「意外とわからんもんだな」


 俺は悪びれもせずに笑った。

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