41 勘違い
バイバイともさよならとも言わなかったのは、その言葉が淋しく感じたから。かといって、またねと言うのも違う気がして、感謝を別れの言葉にしたのだ。
初めて、また会いたいと思える男子ができた。
この感情は恋とは違うけれども、天梨にとっては初めて一緒にいて、楽しい男の子だったから。彼と比べればクラスの男子がガキ臭く見えて、相手するのもバカらしくなってきた。
以来、からかってくる男子たちは無視するようにした。しつこい奴は先生に言えばいい。先生に頼るのは男子に負けたような気がしたが、結局それもただの見栄だった。
一生と出会ったことで、見栄を張るのはくだらないと感じたのだ。
一回り成長した天梨は、男子を一括りにして遠ざけるのを止めた。結局、自分をからかってくるのは一部の男子だけ。男子にも気のいい相手は沢山いることに気づいたからだ。
天梨にとって学校は、今まで以上に楽しい場所になった。自然体に振る舞っているだけで、いつの間にかクラスの中心、人気者として扱われるようになっていた。
それもこれも、見栄を張るのを止めたからだ。嫌なことをされたのなら、それは嫌だと訴えればいい。訴える先さえ間違わなければ、それは必ず止まるものだから。
一生がいたから今の自分がある。
また会えたのなら、その感謝を伝えたかった。
そうして時間は流れ、中学生となった。
出席番号順で行われる自己紹介。
一番目の大役を終えた天梨が、聞く側に回ってしばらくした後、
「――小の、瀬川一生です」
聞き覚えのある名前にびくんと肩が跳ねた。
他の自己紹介を聞き流していたわけではないが、マジマジとその顔を見直しながら、耳を傾けた。
「周りからはイッセーって呼ばれてました」
あの日会ったイッセーだと、天梨は確信した。
また会いたいとは思っていたが、こんな形で再会するとは。運命を感じたとまでは言わないが、心から嬉しかった。
その後の自己紹介は、もう耳には届いていなかった。
イッセーは自分のことに、気づいてくれるだろうか。たしかに名前は教えていないが、髪の色は日本人離れしているし、髪型だって変えていない。『こんな可愛い子、生まれて始めて見た』とまで言ってくれたくらいだし、覚えてくれている自信はあった。
一目で気づいてくれとは言わないが、こちらから話しかけたら『あ、あのときの!』くらいの反応は期待していた。むしろそうなることを疑いもしなかった。
だから休み時間に入ると、逸る心を落ち着かせ、ゆっくりとした足取りでイッセーのもとへ向かった。
「久しぶりね、イッセー」
とだけ、天梨は告げた。
イッセーはキョトンとした顔で瞬きをすると、
「えっと……ごめん、どこで会った子だっけ?」
思い至る様子もなく首を傾げたのだ。
◆
人生をたった一日で変えたとも言える相手が、自分のことをまるで覚えていない。
なんだかそれが悔しくて、天梨は意地になって教えることはなかった。
それが今、四年越しに明かされて、あのときのように一生は瞬きをした。
「あー……なるほど」
顎を触りながら、得心したような表情を浮かべていた。
やっと思い出してくれたかと安堵した天梨だったが、
「やっぱり、僕らが初めて会ったのは中学校だ。天梨は相手を勘違いしてるよ」
思い出は否定するようにばっさりと切り捨てられた。
教室がしんとした。
天梨だけではなく、凛子と二股も声を失っていた。
「は、はは……」
その静寂を打ち破ったのは、天梨の乾いた笑い声だった。
「鈍いのは知ってたけどさ……普通、ここまで話を聞かされて、思い出せないとかってある?」
「いや、思い出せないんじゃないよ。天梨の勘違いだって、ハッキリ――」
「イッセーのバーカバーカ!」
それ以上は聞きたくないと、天梨は叫んだ。
弾けるように席を立った天梨は、逃げ出すように教室から飛び出した。
「うおっ!」
廊下から、驚いた男の声が教室に届いた。
しばらくして、声の主は教室に入ってきた。
「おいおい」
一成は肩越しに廊下を振り返りながら尋ねた。
「春夏冬の奴、一体どうしたんだ?」
「あ、兄さん」
家で待っているはずの兄が現れ、ホッとしたように一生は息をついた。
難しい表情を浮かべながら、凛子が口を開いた。
「天梨がね、イッセーくんに出会ったときの思い出を話したのよ」
「あのひとりだけ思い出してもらえない、ちょっとウケる話か。まさかそれでも思い出して貰えなかった……とは言わないよな?」
「そのまさかよ」
「マジかよおまえ」
肩を落とす凛子の側で、一成が呆れた眼差しを弟へ向けた。
一生はそれを慌てて否定する。
「思い出せないんじゃないよ。天梨と初めて会ったのは、中学だってハッキリしたんだ」
「おまえなー……思い出せないって言われるより、そっちのほうが傷つくぞ」
事態の深刻さがわかった一成は眉根を寄せた。
一成はその場で腕組みをしながら言った。
「春夏冬が会ったことがあるって言うんなら、勘違いってことはないだろ」
「その勘違いだったんだよ」
「そもそも春夏冬が出会ったっていうのは、いつの話なんだ? 離婚前の話なら、俺も心当たりがあるかもしれん。一緒に思い出してやるから話してみろ」
「小四の夏休みにさ、婆ちゃんの家で兄さんがやらかした日のこと覚えてる?」
「ああ。婆ちゃんカンカンだったからな」
「あの日に僕と会ったって、天梨は勘違いしてるんだ」
「あー……そういうことだったのか」
「そういうことだったらしい」
肩の荷が降りたように一生は口端を上げた。
バツの悪そうな顔で、一成は後頭部を掻いた。
「ちょっと待ってろ」
それだけを言い残し、一成は教室を出ていった。
その背中を見送った後、二股はおずおずと声を上げた。
「結局、どういうことなんだ?」
「何度も言ってるだろ。ただの勘違いって話だよ」
苦笑した一生は、ふたりに勘違いの意味を語った。
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