40 イッセーでいいよ
八月の上旬に、祖父母の家に親戚一同が集まる。それが春夏冬家の恒例行事だ。
天梨にとって、この行事は憂鬱だった。
祖父母が嫌いなわけではない。むしろ大好きなくらいだ。ただその集まりは、天梨にとって退屈なものになることが問題だった。
夕方頃に食事会が始まるのだが、一体感があるのは最初だけ。一時間もしたら、大人たちは男と女でハッキリ分かれ、酒を飲みながら遅くまでダラダラと宴会が続く。
満腹になった子供たちにとって、大人たちの宴会はあまりにも退屈すぎた。だから子どもたちは二階に上がり、ゲームなどで遊ぶのが通例となっている。
この流れ自体は、子どもたちにとって不満などなかった。従兄弟たちと遊べるのは、子供にとってそれだけで楽しみなイベントだ。友達たちと遊ぶのとはまた違う、特別な時間である。
そんな子供たちの中で退屈な思いをするのは、天梨だけだった。
従兄弟たちは、自分以外全員男。歳が近い従兄弟でふたつも上なのだ。わかりやすい年頃の女の子と男の子では、趣味嗜好が違いすぎた。除け者にされているわけではないが、いつもみんながゲームをしているのを、眺めるだけになるのだ。
当時小学四年生であった天梨は、スマホだって持っていない。ただただこの恒例行事は、天梨にとって退屈な時間なのだ。
その退屈が少しはマシになるのが、お祭りだった。
この集まりの日は必ず、近所の夏祭りと重なる。少し日が暮れてから、子供たち全員でお祭りに行くのが恒例だ。
でもその年は、いつもと違った。ゲームに熱が入った従兄弟たちは、いつまで経っても祭りに行く様子がない。痺れを切らした天梨はそれとなくお祭りの話を切り出した。
結果、今年はいいや、と従兄弟たちの意見は一致した。
この退屈な時間が、後何時間も続くかと思うだけで、天梨は耐えきれなかった。
従兄弟たちにはなにも言わず、天梨は母親のもとへ行き、「お祭りに行ってくる」と告げたのだ。てっきり例年通り、子どもたちみんなで行くものと考えた母親は、いってらっしゃいと送り出した。
その夏祭りは、河川敷沿いの運動公園で開催されている。客層はほとんど地元住民だけで、賑わってこそいるが混雑と呼べるほどのものではない。
地元のお祭りらしく、子供たちだけのグループがどこを見渡しても目に入る。
従兄弟たちに相手をしてもらえず、たったひとりでこんな場所に訪れたことが、天梨は惨めに思えてきた。
みんなで笑って、楽しそうにしているのに、自分だけがひとりぼっち。
いくら家は退屈だとはいえ、ひとりで賑やかな場所に来ても、楽しめるわけがない。
会場に来て五分。虚しさのあまり足を止めた天梨は、つい泣き出しそうになってしまった。
顔を俯かせ、肩を震わせながら、せめて泣くことだけはしまいと堪えていると、
「ひとりでどうしたん……の?」
変な日本語がかけられた。
顔を上げると、同じ年の頃の少年がいた。
少年を一言で表すなら、クラスの男子。どこにでもいる特徴らしい特徴を見つけられない、日本人的顔立ちだった。そこにいるだけで目を引く天梨とは対極的である。
「もしかして迷子かい?」
「だ、誰が迷子よ!」
少年の物言いに、天梨は反発するように言い返した。
男子は嫌いだ。いつも天梨の見た目と名前を持ち出してからかってくるだけの、嫌な奴らだから。めそめそしても相手を助長させるのがわかっているから、天梨は必ず言い返してきた。
「いや……こんなところでひとりだったからさ」
「そっちだってひとりじゃない! あんたこそ迷子なんじゃないの!?」
こうして攻撃的に反応してしまったのは、その防衛本能だった。
少年は困ったように眉尻を下げた。
「僕の場合は迷子じゃなくて……ただ、歓迎されなかったんだ」
「……え」
天梨はきょとんと目を丸くした。
歓迎されなかった。その意味は詳しく聞かずとも、天梨はすぐに理解した。だから困惑してしまったのは、そのことを素直に告げたことだ。
男子というのは、とにかく見栄の塊である。それを人前で、特に女子の前で突かれようものなら、烈火のごとく怒りだす。恥ずべきものは積極的に潜めることが、男子たちの習性である。
なのに目の前の少年は、あっさりと男子たちが忌避する恥を曝け出した。天梨にとってそれは、未知なる生物との遭遇だった。
「本当は兄さんと来るはずだったんだけどさ。昼にやらかして、一緒に来れなくなったんだ」
「やらかした?」
「ばあちゃん
「それは自業自得ね」
「そう、自業自得なんだ」
天梨に同意した少年は、苦笑いを浮かべた。
「だからひとりで来たんだけど、約束してた子たちは兄さんを待ってたから」
「歓迎されなかったっていうのは、その……」
「それならひとりで回ったほうが、マシだって思っただけだよ」
なんともない風に語る少年だったが、眉根をかすかに寄せていた。
少年には、憤りこそあったかもしれない。でもそれを自分に対して話すことは、恥だと考えていないようだった。
クラスの男子たちとはまるで違う。彼をクラスの男子と一括りにしてしまったことが、途端に恥ずかしくなった。彼が声をかけてくれたのは、天梨の身を案じてのものだとわかったからだ。
「その……ごめんなさい」
「え、なにが?」
いきなり殊勝な態度で謝ってきた天梨に、少年は戸惑った。
「気にかけて声をかけてくれたのに、カッとなって返しちゃって」
「あー、そのことか」
そんなことかと少年は頬を綻ばせた。
「こっちこそごめん。迷子じゃないのに、いきなり迷子呼ばわりはムカつくよね」
「そういう風に気に食わなかったわけじゃないんだけど……」
「そうなの? もしかして僕、無意識で気に障るようなこと言ってたかな」
「違うの、あなたが悪いわけじゃない。ただ……クラスの男子って、ガキばっかだから。男子相手に隙を見せるわけにはいかなかったっていうか」
天梨は肩にかかった髪を指先で摘んだ。
「髪の色がこれだからさ……」
「あー、バカな奴らから的にされてるから、つけあがらせたくないんだな」
「そうなの! こっちが弱気だと、バカがつけあがるから嫌なのよ!」
ここぞとばかりに憤ってみせたが、天梨に不快さはなく心地よさすら感じていた。初めて自分の苦労をわかってくれる男子に出会えたのが嬉しかったのだ。
「ほんとバカだよな、そいつらも」
少年は顔を伏せると、天梨のつま先から頭頂部までゆっくりと眺めて口にした。
「わざわざ可愛い子から、自分から嫌われるような真似をするなんて」
「え……」
面食らった天梨は、その言葉の意味をすぐに理解できなかった。
可愛いなんて言葉は、耳にタコができるくらいに言われてきた。でもそれは、いつだって大人か女子からだけだ。男子から言われたことなんて一度もなかった。
それがいきなり、空が青いというというように、可愛いだなんて評されたのだ。
「か、可愛いって……私が?」
「うん。こんな可愛い子、生まれて始めて見た」
「お、大げさね……」
恥じらいもなくそう口にされるものだから、天梨のほうが照れてしまった。
自分を可愛いと言ってくれる男子に出会ったのは、生まれて初めてだ。従兄弟たちからも言われたことがない。
胸がキュンとする、なんてことはなかったが、世の中嫌な男子ばかりじゃないんだな、と天梨は嬉しくなった。
「そんな子が、道の真ん中でひとり佇んでるからさ。友達とはぐれたのかなって、思っただけなんだけど……」
こちらの様子を伺うように少年は言った。
歓迎されなかった、と見栄を張らずにありのままの境遇を話してくれた。だから今度は、自分の番だと天梨は考えた。
「別に迷子じゃないわ。私もひとりで来ただけだから」
「そうなのか?」
「うん。私、この辺りに住んでるわけじゃないから。親戚の集まりで、お爺ちゃんの家に来たの」
そうして天梨は、男の従兄弟しかいない肩身の狭さを、うんざりしたように語った。
「あー、たしかにそれはつまらんな。その場から抜け出したくなる気持ち、よくわかるよ」
お祭りにひとりで来た理由を知って、少年は納得したような面持ちだ。
共感してくれたことが嬉しくて、
「だけどさ、ひとりで来てもなんにも面白くなくて。あんな従兄弟たちでも、一緒に回れる相手がいたほうがいいんだなって、思ってたところなの」
「その気持ち、よくわかる。ひとりじゃつまんないもんな」
そうやってお互い見合い、苦笑いを浮かべた。
すると少年は、閃いたように手を叩いた。
「だったらさ、ふたりで回らないか?」
「え?」
突然の提案に、天梨は目を点にした。
「ほら、このままひとりじゃつまらないって帰ったら、なんだか癪だからさ」
「それは……そうかも」
男子によって獲得せざるえなかった負けん気を、天梨は発揮させた。
従兄弟たちのせいで、一度は惨めな気持ちすら覚えたのだ。彼の言うように、なにも楽しめないまま帰るのは癪だった。
天梨はマジマジと少年と目を合わせる。
男子という存在は、自分にとって嫌な思いをさせてくるだけの生き物だった。だけど目の前の少年は、今までの男子とはまるで違う。天梨をからかうことも軽んじることなく、見栄を張らずに接してくれる。
初めて男子から対等に扱われたのが、天梨にとって新鮮だった。
「だったらふたりで、周りましょっか」
「ああ」
提案を受け入れた天梨に、少年は満面の笑みを浮かべていた。見ているこちらが嬉しくてたまらなくなるような、そんな笑顔だった。
「そうだ、お――」
そう切り出して早々、少年の口が止まった。なにかを思い出したかのように、大口を開けた。
そんな不思議な様に、天梨は小首を傾げた。
「お?」
「じゃなくて。僕は瀬川一生。イッセーでいいよ。学校じゃ皆から、そう呼ばれてるから」
「わかった。イッセーね」
特に訝ることなく、天梨は頷いた。
そのまま十秒ほど、変な間が開いた。
なにかを求めてくる眼差しの少年に、天梨は自分の番であることに気づいた。
名乗られたのだから、名乗り返すのが礼儀である。
「私は……」
それがわかっているけれども、なんとなく名乗るのは気が重かった。
「君のままでいいわ」
「え、なんで?」
肩透かしを食らったように一生は声を上ずらせた。
一生には非があるわけではない。こればかりは自分の問題だ。
もし彼の口から、春夏冬は飽きないとか、髪と関連付けてアメリカ人が出てきたら、すべてが台無しになるような気がしたから。
「今まで散々、名前でもからかわれてきたから……」
たとえ悪気がなく、思いつきのような軽口であっても、彼の口からは絶対に聞きたくはなかった。
おまえがからかうかもしれないから、みたいな言い方になってしまったことに天梨は後ろめたさを覚えた。
「そっか。今まで、大変だったんだね」
でも一生は、天梨に理解を示し、責めることなく納得した。
一生がそうやって慮ってくれたことが、天梨はとても嬉しかった。
こうして初めて出会ったふたりは、まるで昔からの仲のように打ち解けて、お祭りを巡った。
特別なことなんて、なにも起こらなかった。
クラスの友達と楽しむように、露店を巡っただけだ。
ただそれだけで、今日という日が特別になった。
楽しい時間というものは、得てしてあっという間に流れるものだ。
「あ、やば。お母さんだ」
その終わりは、雑踏の中に母親の顔を見つけたことでもたらされた。
「私を探しに来たんだと思う」
「そういえば、こっそり抜け出して来たんだっけ?」
「こっそりじゃないわ。お祭りに行ってくるって、ちゃんと言ってから抜け出してきたわよ」
「でもひとりでとは言ってないんだろ?」
図星を突かれ、天梨はバツの悪い顔をする。
そんな天梨をおかしそうに一生は笑った。
「じゃあ、今日はここまでだね」
「うん。そうみたい」
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「私も楽しかったわ。ありがとう」
それ以上は言葉を重ねず、あっさりとふたりは別れた。
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