33 だーれだ?

 二日前に起きたテロリスト事件。


 多くの命を救い、立役者となったイツキだが、その活躍が公表にされることはない。どうあれ高校生がテロリストに立ち向かい、奪った銃で撃ち返したり、爆弾を解体したりしたのは表沙汰にはできないからだ。


 もしなにがあったか赤裸々に語ろうものなら、英雄視されて持て囃される以上に、高校生が危険なことを犯したと批判されて、沢山の人間がイツキを攻撃するだろう。悪い意味で世界中から注目を集めてしまう。


 平穏を望むイツキは、守ってくれる大人に後は任せて、事件の熱が冷めるまで学院を離れることにしたらしい。まずは心配したであろう家族や友人に顔を見せるため、こちらに帰ってきたのだ。


 イツキの帰省を知っているのは俺だけ。なぜならその方が、色々と面白いことができるからだ。


 今日は体調不良を理由に、学校を休んでイツキを駅で出迎えた。だからノエルにすら、イツキの帰省は知らしていない。


「一応、この話をできるのは兄さんだけだからさ。周りには、内緒にしておいてよ」


「たしかに、自分から命を危険に晒してるからな」


「白雪のためだったとはいえ、心配はかけたくないんだ」


「俺にかけるのはいいのかよ」


「兄さんはほら、命を張ったのは、大切な人のためだってわかってくれるから」


「まあ、それもそうだが」


 イツキの場合は、人生の作風を変えてしまったゆえの運命力。その巻き込まれ体質を改善しろとは、さすがに言えなかった。


「ただいまー」


 そんな話をしていると、ノエルが帰ってきた。


 イツキと顔を見合わせると、頷き合ってすぐに配置についた。




「よう、おかえり」


 ソファーでふんぞり返っている同居人が、ノエルを一瞥もせずスマホを見ている。


 朝と変わらぬ元気な姿に、ノエルは損したようなため息をついた。


「聞いたよ。一成くん、体調不良で学校休んだんたって?」


「まあな」


「家を出るときは、そんな様子一切なかったからさ。心配したんだけど……その様子だと、ただのサボりみたいだね」


「サボりじゃない。ただの有給だ」


「そんな制度、うちの学校にはないよ」


「学校を休まずに通うのが美徳とか、ほんとおかしな風潮だよな。気分で休んだって、別に構わんだろ」


「それで授業についていけなくなったらどうするのさ。そんな自分勝手な生徒を、先生たちは助けてくれないよ」


「ついていけないもなにも、高校で習う範囲なんてとっくに終わらせてる」


「え、嘘でしょ?」


「なにせ優秀な家庭教師がつきっきりだったからな。今は受験対策しながら、取りこぼしがないか復習の段階だ」


「一成くん、ほんと口だけじゃないんだね」


「なんだよ、そのトゲがある言い方は」


「別に、いつも偉そうだなー、なんて思ってないから」


 細めた目を向けられたノエルは、いたずらっぽく微笑んだ。


 それを見た一成が、突然ニヤッと口端を上げた。それに気づくや否や、ノエルは暗闇に包まれた。


 目の周りが生暖かい感触で包まれた。それが人の手によるものだと認識する前に、


「だーれだ?」


 耳元で優しげな声がした。


「え……嘘」


 声の主に検討がついたノエルは狼狽えた。


 答えを発したも同然な反応に、視界が開かれた。


 慌てて振り返ると、そこにはソファーに座っている一成と同じ顔があった。


「お兄――」


 そこまで発したノエルは、口をつぐんだ。


 にっこりと微笑んでいるその顔を、改めてソファーの主と見比べた。


「ちゃんじゃないね。こっちが一成くんでしょ」


 恨みがましく睨んでくるノエルに、一生のふりを止めた一成は顔をしかめた。


「なんでわかったんだよ」


「勘っていうか、なんっていうか……一成くんみたいなオーラがあったから」


「どんなオーラだよ」


「平然と人を小馬鹿にしそうな、みたいな?」


「俺をなんだよ思ってやがる」


「今日まで天梨たちにしてきたこと、思い出してみれば?」


 一成はそれに言い返せず、言葉を詰まらせた。


 満足したようにノエルは、一成を演じていたソファーの主に顔を向けた。


「おかえり、お兄ちゃん」


「うん、ただいまノエル」


 久しぶりにそんな言葉で兄を出迎えたノエルは、喜びの笑みを浮かべた。


 着替える時間を惜しむように、ノエルはすぐに兄とテーブルを囲った。


「なにも言わずに返ってきてるんだもん。驚いたよ」


「文句は兄さんに言ってくれ。こっそり帰ってこいって、最初に企んだのは兄さんだから」


「その企みにノリノリで乗った時点で、お兄ちゃんも同罪だよ」


「ノリノリって……そんなことないよ」


「あれだけ完成度の高いモノマネしておいて、よく言うよ」


「あ、そんなに上手かった、兄さんの真似?」


「違和感ゼロ。喋り方から雰囲気もそうだけど、全部一成くんが言いそうなことだから」


「ははっ。兄さんのモノマネなんて初めてだけど、僕も捨てたもんじゃないね」


「そんなものは捨てちゃってよ。一成くんもそうだけど、性格違うのによくそこまで、お互いのふりなんてできるね」


「なんだ、兄さんも僕のモノマネをしてるの?」


「してるしてる。主に天梨を小馬鹿にするために」


「兄さん、天梨になにしてるのさ」


 そう問いかけるも、一成の姿は見当たらない。キッチンから物音がするから、飲み物でも用意してくれているのだと一生は悟った。


 ノエルに顔を戻して、一生は気づいた。


「って……ノエル今、天梨って呼んだ?」


「うん。この前の土曜日、一成くんが天梨を家に呼んでね。天梨がそのときに華香を連れてきたから、仲良くなったんだ」


「天梨が華香を? ちょっと見ない間に、なにがあったのさ」


「色々だよ」


「その色々を聞きたいんだけど」


「それは乙女の秘密かな」


「だから男子禁制?」


「お兄ちゃんだけ禁制」


「僕がなにをしたって言うんだ」


「強いて言うなら、なにもしてないからかな」


「えー……」


 一生は顎に触れながら、必死にその理由を考えた。どれだけ考えても思い浮かばない様に、本当に自分たちの好意に気づいていないんだなと、ノエルは肩を竦めた。


「そうだ、お兄ちゃん! 学校で起きた事件、大丈夫だったの?」


「あー、大丈夫大丈夫。怪我ひとつしてないから」


「怪我してないならよかったけど……爆発したときは、本当に心配したんだから」


「ごめんね、心配かけて」


「帰ってきたのは、やっぱり事件のせい?」


「人質とはいえ当事者だからね。報道関連の人たちが押しかけてきてるから、落ち着くまではってさ」


「そっかー、お兄ちゃんも大変だね。でも元気な姿が見られてよかった」


「僕もだよ。ノエルが兄さんと上手くやれてる姿が見られて、安心したよ」


「うん、グチグチうるさいけど、上手くやれてるよ」


「誰がグチグチうるさいだ」


 お盆を持った一成が、いつの間にか後ろに立っていた。


 コーヒーの後に配膳されたケーキを見るなり、ノエルは目を見開いた。


「わ、どうしたのこのケーキ?」


「イツキが買ってきてくれたんだ」


 答えたのは一成だった。


 フルーツが色鮮やかに表面を覆っている、いかにも写真映えしそうなケーキ。その1カットを買うのに、1コインで利かないなとノエルは見た。


 イツキに顔を向けると、満足そうな笑みが浮かんでいる。


「乗り換えのときにね。折角だから、ノエルが好きそうなの選んできたよ」


「ありがとうお兄ちゃん」


 こんないいケーキのお土産が嬉しかったのではない。自分のことを考えてくれた、その心遣いが嬉しかった。


 いつだってそうだ。ただ、いい顔をするためではない。相手の喜ぶ顔が見たくて、その気持ちを考えてくれる。そんな当たり前のような優しさにこそ、ノエルは惹かれたのだ。


 久しぶりに会う兄にして、想い人。


 結ばれることを夢見てきたが、それは二度と叶わないものだと決定した。


 たとえ叶わなくても、心から一生の幸せを願えた。


 恋人になれることはないけれども、これからもずっと家族であることは変わらないから。たまにこうして、兄として帰ってきた一生と、家族の時間を過ごせるだけで幸せだった。


 この想いを生涯、明かすことはない。


 ずっと胸に秘め続けると決めたのだ。


 いつか失恋の痛みを乗り越え、新しい恋を見つけようと。


 だけどまだ、それは乗り越えられていないから。不意打ちのように帰ってきた兄との時間があまりにも幸せすぎて、込み上がってくるものがあった。


 話し込んでから一時間。


「そうだ。今日、わたしがご飯作るよ」


 それが溢れ出す前に、ノエルはそんな提案をした。


「この二ヶ月で、かなり腕を上げたんだよ」


「そのようだね。いつも写真、見てるよ」


 鈍感な兄は、嬉しそうに微笑んだ。


「兄さんにグチグチうるさく言われながらやってるんだろ?」


「グチグチうるさいなりに、一成くんは口だけじゃないからね」


「おまえら揃って、人をグチグチうるさいって言いやがって。俺はな――」


「はいはい、わかってますわかってます。わかってますから、買い物に行ってきてくれない?」


 一成の文句を、煩わしそうな口ぶりでノエルは遮る。


 一瞬、一成の瞳孔は開いた。


 この屋根の下でふたりきになってから、まだ三ヶ月も経っていない。でも予めそう取り決めていたかのように、ノエルの無言の頼みを一成は聞き届けた。


 一成は重い腰を上げるように立ち上がると、一生を向いた。


「わかった。よし、行くぞイツキ」


「え、僕も?」


「僕も、じゃねーよ。俺ひとりに買い物行かせて、自分は家でふんぞり返るつもりか」


「久しぶりに帰ってきたんだから、ゆっくりさせてよ」


「なーにお客様気分でいやがる。今日は卵の特売なんだ。おひとり様一個までだから、少しは家計に貢献しやがれ」


「わかったよ。兄さんは厳しいな」


 やれやれと肩をすくめながら、一生は立ち上がった。


 兄弟で買い物へ向かおうと動き出した途端、一成だけが足を止めた。


「そうだ、今日はなに作るんだ?」


「シチュー。ほら、素なしで作れるようになったからさ」


「てことはパンと牛乳がいるな。鶏肉はたしかあったはずだ」


「追加で欲しいものがあったらラインするから」


「了解だ。散歩気分でぶらぶらしてくるから。ゆっくり冷蔵庫を眺めてろ」


 そんな会話をしている内に、一生は先にリビングを出ていた。それを見届けていた一成は、ポンとノエルの肩を叩いた。


 ノエルにはそれが、偉いぞ、といつものように認めてくれた気がした。


 家から人の気配がなくなった後、ノエルは堪えていたものを解放した。


 膝上に置いている手が、くしゃっとスカートのシワを作る。その乾いたスカートに、ポタポタとこぼれ落ちた水滴が染み込んでいく。


「……まったく、心の準備くらいさせてよね」


 出ていったばかりの憎たらしい同居人に、ノエルは文句を言った。


 帰ってくるとわかっていれば、この痛みに耐える心構えができたのに。それをさせてくれない厳しさに、ノエルは一言言ってやりたくなった。


 でも、意味もなくこんな形で対面させたわけではないと、ノエルも承知していた。


 このくらいのことを耐えるのは、この先当たり前にしなければならない。一成が助け舟を出せる内に、考えてくれたのが今日である。


 ここぞっていうときに強がれる。その強さを持てれば、辛い時期は乗り越えられる。


 いつか言われた、一成の言葉を思い出した。


 その意味が、改めてわかった気がした。


 誰の前でも強がる必要はない。一生の前でだけ強がることができれば、いつかこの痛みは乗り越えられる。


 だからこうして泣くのは、一生がいない内だけ。


 ゆっくりしていろと一成に言われたから、気が済むまで泣く時間くらいはありそうだった。泣き腫らした跡については、たまねぎを切ったからとでも言えばいい。あの鈍感な兄は、きっとそれで納得するはずだから。




     ◆




「本当にやるの?」


 久しぶりに袖を通した、一年も着てきた制服。


 楽しそうな俺とは裏腹に、イツキは大丈夫なのかと不安そうな顔をする。


「そこまで着といて、なにビビってやがる」


「でもさ、バレたら問題にならない?」


「大丈夫だって。バレたところで、俺の出席日数が一日欠けるだけだ」


「先生たちの評価とかにも影響するんじゃない?」


「そんなもの端から気にしてねーよ。むしろバレたら、みんな久しぶり、って悪びれずに笑っとけ。きっと教室は大盛りあがりだ」


「そんな他人事みたいに言って……」


 仕方ない兄だと言うように、イツキは苦笑した。


 本気で嫌がっているわけではない。お利口ちゃんなりに、なんだかんだで面白そうだと思っているのだ。


「こうなったら腹を括ってやってくるけど……兄さん、白雪に変なことしないでよ?」


「俺からはしないから安心しろ。全部向こう次第だ。精々、手を繋ぐ前に気づいてくれることを祈るんだな」


「兄さん――」


「ほら、いいから行くぞ」


 恨みがましそうな目を向けるイツキに肩を回し、無理やり家から連れ出した。


 一度家を出たら最後、もう後戻りはできない。だから覚悟を決めろと。


 こうして俺たちの入れ替わり計画が始まったのだった。


---------------------------------------------------------------


イツキが戻ってくる理由付けのために、雑にテロリスト騒動が起きました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る