34 入れ替わり作戦

 通学路を歩みながら、一生は懐かしさに浸っていた。


 三ヶ月ぶりとなる、一年も往復していた通学路。この制服に身を包みながら、またこうして歩く日が来るなど考えもしなかった。


 一成の前では、あれだけ不安そうな顔を見せていたが、内心では面白そうだとワクワクしていた。


 先生方に迷惑をかけるような真似を自発的に行う。一生の性格では本来考えられないことなのに、浮足立ってすらいる。バレたら迷惑をかけるかもしれないが、誰かを傷つけることだけはないと、確信しているからだ。


 怒られたらごめんなさいと、素直に謝ればいい。


 学園側からの罰則はあったとしても、それはすべて兄が被るだろうものだから。このような真似を提案したのは一成なのだから、そこは甘えさせてもらおう。


 甘える。そんな感覚があったのは、一生のために入れ替わりをやろう、と一成が思いついたのだろうと感じたからだ。


 喜んで白雪のもとへ発ったとはいえ、将継学園には友人たちがいる。新しい学校でも沢山の友人ができたとはいえ、将継の友人たちが大切なことには変わりない。


 久しぶりに会えることが、とても楽しみだった。


 果たして自分のことを気づいてくれるのか。騙し通したいという悪戯心と同時に、気づいてくれたら嬉しいという気持ちもあった。


 学園の最寄り駅で降りたところで、一成に成り切らんとする気持ちを引き締め、学園までの道を歩んでいた。


「よう、イッセー」


 校門まであと少しというところで、二股が後ろから肩を回してきた。


 自分を一成と認識しているだろうに、その親しげな様子は前とまるで変わりない。そのことに、友人を奪われたような嫉妬などは、一生は抱くことはなかった。親友と呼べる相手と、兄は本当に親しくやっているんだと安心した。


 むしろ自分が一生だと見抜けるのか、ワクワクすらしていた。


「おう、二股。おはよう」


「おはようさん」


 回してきた肩を離しながら、二股は挨拶に応えた。


 違和感を覚えている様子はなく、いいスタートを切れたと一生は心の中でガッツポーズをした。


「これ、土産だ」


「土産?」


 包装された一口大のバームクーヘンを受け取りながら、一生は首を捻った。


「ほら、昨日俺、休んでただろ?」


「そうなのか。俺も昨日休んだから知らなかったわ」


「なんだ、風邪でも引いたのか?」


「有給を取っただけだ」


「有給?」


「見なきゃいけない映画が溜まっててな。二股は?」


「だったら俺も有給だ。三連休を作って、ちょっと彼女と温泉旅行にな」


「へー、温泉旅行か。いいな」


 面食らいそうになった一生は、なんとか堪えた。


 学校をサボって旅行に行ったこと自体は、別段驚くことはなかった。ただ、彼女とふたりでということには驚いた。


 二股の彼女といえば、ひとつ上の先輩だ。気立てのよい美人であり、本人の前で自慢の彼女と呼ぶくらいにはラブラブだった。


 ただ彼女の両親は厳格な人だ。友達の家でお泊りを許さないとは言わないが、さすがに彼氏相手とは許さない。それが学校をサボっての旅行ならなおさらだ。その彼女から直接、二股と外泊できない愚痴を聞かされたこともあった。


 バームクーヘンを早速食べて、考える時間を稼ぐ一生に、二股はスマホを見せてきた。


「ほら、こうして部屋に温泉が付いててさ。気兼ねなく仲良く入れるんだ」


「外の眺めもいいな」


「だから身も心も開放的になるというわけだ」


 楽しい時間だったのか、二股は乙女がため息をつくような微笑みを浮かべた。その頭の中では、いやらしい時間を過ごした回想がされているとは、誰も思いはしないだろう。


 旅の思い出が詰まった写真を、二股はスライドさせた。


「……ん?」


 その写真に一生は目を凝らした。


 浴衣姿のカップルが、仲良く身を寄せながら映っている。男はもちろん二股だが、一緒に映る女性は自分が想像していた相手ではなかった。


「彼女、でいいんだよな?」


「もちろん、自慢の彼女だ」


「……先輩とは別れたのか?」


「なに縁起悪いこと言ってるんだ。別れるわけないだろ」


「え?」


「え?」


 しばらくお互い顔を見合った後、同じ方向に首を捻った。


「おはよー、卓」


 後ろからかけられる声に、二股は慌てながらも自然な態度でスマホをしまった。


「イッセーくんもおはよー」


 二股の腕に絡みついた一生のよく知る先輩は、ひらひらと手を振りながら、無邪気な笑顔を向けてきた。


 さすがにこの状況で、写真の女性について一生は追求できず。


 もやもやとした思いを残しながら、


(まさか卓……二股してるのか?)


 親友の二股を疑ったのだ。


 平気でその写真を見せてくるということは、一成もその事実を知っているから。弱みを握られている様子でないからこそ、ただただ当惑した。


 カップルがふたりの世界に入っている横で、一生は兄へ連絡した。


『もしかして卓って、二股してるの?』


 そうメッセージを送ると、すぐに既読となり返信がきた。


『なに言ってんだ? 二股が二股なんてするわけないだろ』


 その返信に、庇っているのではないと一生は感じた。


 だったら彼女と言い切った、さっきの女性は? もしかして聞き間違えだったのか。


 などと悶々と考え混んでいる内に校門をくぐった。


「おはよー、イッセー」


「イッセーくん、おはよう」


「イッセーさん、おはようございます」


 顔見知りの女子たちから、好意的にかけられる挨拶。


「おう、おはよう」


 ひとまず二股の件は保留して、一成らしい挨拶を返した。


 二股とだけではなく、本当に一成は学校で上手くやっている。自慢の兄が当たり前のように認められていることが、一生はなんだか嬉しかった。


 でもその気持ちが続いたのは、教室に入るまでだった。


「おはよう」


「おう」


「はよー」


「おっす」


 男子たちから返ってきた挨拶に、思わず疑問を抱いた。


 たしかに挨拶こそ返ってきたが、それが義務感のような応答に感じたのだ。


 自分が通っていたときは、みんなからは気持ちのいい挨拶が返ってきた。一成が男子たちから受け入れられていないのではないかと、不安を覚えた。


 席は窓側の一番後ろ。その隣が天梨であり、その前が凛子の席だ。


 一成から聞かされていた通り、ふたりは既に席について、仲睦まじくおしゃべりをしていた。


 こちらに気づいたふたりにすかさず、一生は挨拶をした。


「おはよう、春夏冬、小林」


「はいはい、おは――え?」


「おは――え?」


 信じられないものを見せつけられたような表情が、揃ってこちらを向いた。


 マジマジとこちらの顔を伺う天梨と凛子。


 まさか見抜かれたのかと、一生は動揺を飲み込んだ。


「なんだよ、その顔は。なにか変なこと言ったか、俺?」


「いや……変なことは言ってないけどさ」


「変なこと言ってないのが変っていうか」


 気味悪そうに女子ふたりは、眉をひそめている。


 変なことを言ってないのが変。そんな凛子の返答に、一生は心の中で頭を抱えた。


(兄さん……普段ふたりに、どんな変なこと言ってるんだよ)


 一成とは入れ替わりの際に、綿密な情報共有はしていない。これまで交わしてきた近況報告の情報だけで、どこまでお互いのことを演じられるか。そういう遊びだからこそ、ふたりが呼ばれているあだ名を一生は知らなかったのだ。


 そのことを知らぬ一生には、ふたりの態度に検討がつかない。


「変な奴らだな」


 なんとかそう誤魔化しながら、一生は席についた。


 スマホを見ているふりをしながら、気味悪そうなふたりの視線をびしびしと感じている一生。


(そういえばノエルが、兄さんは天梨をからかってるとか言ってたっけ。天梨をからかうとか、また命知らずな真似をしてるな。天梨が男子たちの憧れなことくらい――ああ、そういうことか)


 一成への男子たちの態度に、一生は納得した。


 ポッと現れた男が、誰もが憧れる女子に無礼な真似を働いているのだ。目の敵にされても仕方ない。けど家に招かれるくらいなのだから、天梨が一成を嫌っているわけではなさそうだ。


 この前、『ヘイ、ギブミーチョコレート!』と言って、チョコレートも分けて貰ったみたいな話もしていたから、ふたりの仲はむしろ良好のはず。


 そう分析した一生は、チョコレートを取り出し、凛子に分けている天梨に向かって言った。


「ヘイ、ギブミーチョコレート!」


「誰が鬼畜米兵だ!」


「いった!」


 近距離から思い切り、顔面にチョコレートが投げつけられた。


「まったくこの男は、隙あらばそうやって……油断させたかったわけね」


 恨みがましくぶつぶつ呟く天梨を見ながら、一生はじんじんと痛む鼻頭を押さえた。


 天梨があれだけ声を張り上げたのに、誰も注目すらしていないことに一生は気づいた。こんなのが日常風景になっているほど、天梨とこんなやり取りをしている。


(兄さん……普段から天梨になにしてるんだよ……!)


 それで平気な顔をして、学校では上手くやっているというのだから、兄の規格外ぶりに愕然とした。


 そしてなにも知らぬ最愛の彼女のもとへ、自分のふりをした兄が向かった。その事実に不安と心配が心労となって、一生の心臓を鷲掴みにしたのだった。

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