21 ギブミー

 先日の一件以来、春夏冬と御縁の仲は、急速に深まった。


 毎日昼を共に過ごすだけではなく、週末は春夏冬の家で映画を見たようだ。たった一週間で気づけば互いのことを、名前で呼び合うような仲にまで至っていた。


 やはり同じ男に選ばれなかったもの同士、強いシンパシーの先に絆が結ばれたのだろう。


 御縁が学校内で親しい友人を得られたのはいいことだ。そして春夏冬が隣からチラチラ見てくる機会も、大幅に減った。ゼロとは言わないが、あれ以来病み堕ちは一度もなかった。


「おはよう」


「おう、瀬川」


「はよー」


「おっす」


 頑なに男子たちに毎日挨拶を続けてきたら、普通に返ってくるようになってきた。いくら目の敵にしているからとはいえ、なんともない顔で毎朝の挨拶を欠かさない相手に、意地を張りすぎるのがバカらしくなってきたのかもしれない。


 隣の席にはいつものように、親友と楽しそうにおしゃべりしている春夏冬が座っていた。


「おはよう、米国人、リンリン」


「はいはい、おはよう」


「おはよー、イッセーくん」


 機嫌がいいのか、今日は春夏冬からも挨拶が返ってきた。


 席に座ってもジロジロ見てくる気配はなく、むしろ真っ向から顔を向けてきた。


「それと、しょっちゅう呼び方変えるの止めなさいよね」


「ツッコむところそっちかよ」


 まさかの米国人をスルーされたことに、こっちが驚かされた。


 そんな俺の態度が嬉しかったのか、春夏冬はちょっと得意げな顔をする。


「どうせ『天梨か』からアメリカを連想して、米国人って呼んだんでしょ?」


「エスパーかよおまえ」


「どれだけ私が、子供の頃に名前でイジられてきたと思ってるのよ。髪の色もこれだから、『飽きないアメリカ人』って男子たちから散々言われてきたわよ。今更米国人呼ばわりくらいで、顔を真っ赤にしないわよ」


「無駄な苦労してんだな」


「無駄って言うな!」


 無駄扱いされるのは流石に遺憾らしい。


「最初は普通に春夏冬って呼んでたのに、なんで次々と呼び方変えるのよ」


「ほら、おまえの名字って季節だから。週ごとに移り変わっていたほうが飽きないかなって」


「はいはい、春夏冬だけにね。……まったく。ハルナから始まった思ったら、ハルカ、アッキー、アキト、カトーの次は米国人? 安易なネタに走るくらいなら、ネタ切れだって素直に諦めなさいよ」


「まだあるぞ。ナットー」


「絶対止めなさいよね! 米国人のほうが百倍マシよ!」


「いやー、米国人って一々呼ぶ方も大変なんだぞ?」


「なら素直に諦めるか、いっそ一巡しなさいよ……」


 呆れた春夏冬は疲れたように吐息を零した。机の中から紙箱を出すと、包装されたチョコレートをひとつ手にした。


「あ、一個頂戴」


「いいわよ、はい」


 小林に惜しむことなく春夏冬は分け与える。


 俺もひとつ貰おうと、春夏冬に頼むことにした。


「へい、ギブミーチョコレート!」


「誰が鬼畜米兵だ!」


 春夏冬は振りかぶってチョコレートを投げつけてきた。近距離から放たれたそれは額に当たって、包装されたチョコレートが割れる音がした。


 結構痛かったので、いててと額に手を当てる。


 鬼畜とまで付けていないのにこの仕打ち。おそらくそう言われた過去があるのかもしれない。


「まったくこの男は……隙あらばあの手この手で酷いことを言って」


 顔を真っ赤っ赤にした春夏冬は、鼻息を粗くしながら睨めつけてきた。


「あんたの親の顔、一度見てみたいわよ」


「なんだ、見たことないのか?」


「あるわけないでしょ」


「聞き方を変えよう。イツキに紹介してもらったことないのか?」


「うぅ……」


 見事にカウンターが決まり、春夏冬の勢いは見る見る内に萎んでいく。


 投げつけられたチョコレートの逆襲もある。この追撃を逃す俺ではなかった。


「もしかして……イツキの部屋に上げてもらったことも?」


 途端に悔しそうな歯ぎしりをする春夏冬。


「ちなみにイツキの部屋は、今は俺が使ってる。私物らしい私物を持ってきたわけでもないし、増やしてもない。家具の配置も変えてない」


「それってもしかして……」


「あいつが使っていたそのままに残ってる。見たいか?」


 足を組みながら、上から目線で問いかけた。


 ニヤニヤとしている俺が気に食わないのか、春夏冬はふんと顔を背けた。


「たかだか部屋くらい、興味ないわよ」


「そうか」


「ところで話は変わるけど、放課後あんたの家に行っていい?」


「見たいなら素直に見たいって言え」


「イッセーの部屋が見たいです……」


 顔を覆いながら、春夏冬は心からの望みを口にした。


 ちょろいというよりは、欲望に素直な女だ。


「タダでは見せられんな」


「どうしたら見せてくれるの?」


「人に物を頼むとき、相応しい姿があるだろ?」


 俺は床に指を向けた。


「土下座しろ。犬のように這いつくばれ」


「こらこらイッセーくん」


「って!」


 小林からポコンと、丸めたノートで頭を叩かれた。


「いくらなんでもやりすぎ」


「冗談だよ、冗談。ちょっとしたシャレなことくらいわかるだろ?」


「この子の場合、シャレにならないから止めなさいってことよ。ほら」


 小林が丸めたノートを向けた先を見る。そこには春夏冬が肩を震わせながら、深刻な表情で地面を見つめていた。


「見なさい、この葛藤した顔を」


「マジかよこの失恋モンスター。人としてのプライドを天秤にかけてやがる」


「このままだとやるわよ、絶対」


 これで土下座をされようものなら、完全に俺が悪者である。


「わかったわかった。見せてやるから、次の休み、家に来い」


 こうして俺の方から、春夏冬を家に呼ぶ形になった。

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