20 べー
「いい機会だから、一冊くらいなんか読んでみたらどうだ。小説からしか得られない感動っていうのは、やっぱりあるからな。イツキだって好んで読んでたくらいだ。おまえも読んでたら、話の輪も広がっていただろうな」
イツキの名を出したら、春夏冬は惜しそうにした。
もう一押しだ。
「ちなみに俺のお勧めは、『連続殺人鬼カエル男』だ」
「え、なんでいきなりB級ホラー映画の話になったの?」
「バカいえ。立派な名作ミステリだ」
「えぇー、本当……?」
信じきれない春夏冬は、御縁に目を向けた。
「間違いありません。あれは名作です」
「御縁さんがそういうなら、本当なのかな……」
「あ、ホラーが大丈夫でしたら、『かにみそ』とかお勧めですよ」
「ふたり揃って、私のこと担いでないよね?」
そんな春夏冬の態度に、御縁はおかしそうにした。担ぐというほどではないが、御縁なりの悪ノリだったのだろう。
「でもやっぱり、ミステリ小説の初めての一冊にお勧めしたいのは、あれですね」
「まあ、あれだな」
「あれ?」
首を傾げる春夏冬に向かって、
「「十館角の殺人」」
俺たちは声をハモらせた。
「あれを読んどきゃ間違いない。俺は十角館がキッカケで、小説を読み漁るようになったからな」
「この作品は是非、ネタバレをされる前に読んで欲しい人生の一冊です」
渋い表情を浮かべながら、春夏冬はやっとのことで言葉を絞り出す。
「……まあ、そこまで言うなら、機会があったら見てみるわ」
「ダメだなこりゃ。見ねー奴の典型的な反応だ」
「うっ……」
自覚があるからこそ、後ろめたさがそのまま露わになっていた。
「しょうがないな」
こうなったら奥の手を出すことにした。
机にかけていた紙袋から本を五冊取り出した。
「この際漫画でいいから読んでおけ。マジで名作だぞ」
「なんだ。漫画があるなら、最初からそっちを出してよね」
差し出された本を喜々として春夏冬は受け取った。
「これが主人公で、こっちがヒロインかな? へー、面白そう」
春夏冬は机に並べた五冊の本に目を落としながら、期待に胸を膨らませる。
俺と御縁は一度だけ顔を見合わせる。
「面白いぞ」
「面白いですよ」
「そこまで言うなら、読んでみようかな」
紙袋を渡すと春夏冬は漫画をしまっていく。
「あ、ちなみにそれ、御縁のだから大事に扱えよ」
「だったら勝手に貸しちゃダメでしょ!」
春夏冬は非難するように喚き出した。
こればかりは春夏冬が正しいが、俺は自分の非を認めるどころか問題ないと胸を張る。
「いいんです」
この通り御縁がそれを許すとわかりきっていた。
「本当は小説で読んでもらいたいですけど、無理にとは言えませんから。漫画でもいいので、春夏冬さんには是非読んでもらいたいです」
「いいの? それだったら貸してもらうけど」
「その代わり……とは言いませんけど、是非感想を聞かせてください」
御縁は勇気を振り絞るように求めた。
春夏冬は薄く笑って応えた。
「うん。でも、大したこと言えないかもしれないから、あんまり期待しないでね」
「心配するな。おまえは必ず、感想どころか絶対語りたがる。俺にその相手を求めんなよ」
「そうだったとしても、あんたなんかには絶対求めないわよ」
自信たっぷりに、そうならないと春夏冬は宣言した。
次の日、登校し教室に入るなり、
「あ!」
俺が席へ着くのを待てない春夏冬は近寄ってきた。まるで飼い主を待ちわびた忠犬のようだ。
「十角館、全部見たわよ! すっごい面白かった。ふたりがあれだけ勧めた意味がわかったわ。犯人が明らかになるシーンの、あの――」
「教室でネタバレを叫ぼうとするな」
口の形がネタバレ一歩手前の形を作っていたから、アイアンクローの要領で塞いだ。
「このポンコツめ。昨日、自分なに言ったのかも覚えてないのか」
「どぅあうえ」
だってー、っと春夏冬は言っているのだろう。
「いくらでも御縁が相手してくれるから、語りたいなら昼休みまで我慢しろ」
そうして昼休みになった途端、春夏冬は五秒で教室からいなくなった。
それを見送ると、二股もいないのでひとりで弁当を広げていた。
「全部計画通り?」
と思ったら、二股の椅子に座った小林がコンビニ袋を俺の卓上に置いた。
「まあな」
「あんな天梨、イッセーくんがいなくなってから、初めて見たわ。これで少しは、肩の荷が降りるかも」
「リンリンの負担が減ってなにより」
「ありがとね」
小林は満足そうに微笑んだ。
春夏冬が戻ってきたのは、予鈴が鳴ってからだった。俺が転校してきてから、一番ご機嫌な様子である。
放課後。今日は卵の特売だから、それを買って帰ろうと思いながら教室を出ると、
「あ、ちょっと待ちなさいよ」
「なんだ?」
春夏冬が呼び止めてきた。
通行の邪魔にならないよう廊下の端に寄ると、御縁がこちら目掛けて真っ直ぐとやってきた。
そうやってふたりが並ぶと、
「私たちこの後、お茶しに行くんだけどさ」
「その、一成さんも一緒にどうでしょうか?」
放課後のお誘いを受けた。
昨日まで付き合いがなかったふたりが、まるで昔からこういう仲だったかのように仲睦まじげだ。
少し考え、返答した。
「いや、俺はいいや」
「えー、なんでよ。付き合いなさいよ」
「用事でもあるんですか?」
「今日は卵の特売なんだ」
「私たちの優先度は卵の特売以下なの?」
恨めしげに睨めつけてくる春夏冬と、来て欲しそうにしている御縁。
さすがに卵の特売以下とは言わないが、俺にも一緒にいけない理由があった。
「選ばれなかった恋愛敗北者ふたりに挟まれると、オセロ的に俺まで黒になりそうで、ちょっとな」
「はぁー!? バーカバーカ!」
「一成さんなんて、第一被害者になっちゃえ」
知能指数を小学生にまで落とした春夏冬と、遠回しに死ねと言い切った御縁。
「もういいわこんな男! 行きましょう、御縁さん」
「おう、お仲間同士行け行け」
「ベーだ」
「幼稚園児かおまえは」
あっかんべーを残した春夏冬に、御縁は後ろ髪を引かれることなくついて行く。そんなふたりの背中が見えなくなってから、反対側の階段から、遠回りで帰路へついた。
「それで、なんで一緒について行ってあげなかったの?」
夕飯の支度をしている俺に、手伝う様子もなくノエルは尋ねてくる。
昼休みに春夏冬がクラスに襲来してきたと思ったら、あっという間に御縁を連れ去っていった。学校裏に連れて行かれたわけではなさそうだが、ふたりになにしたんだ、とノエルに説明を求められたのだ。
一通り説明した後、ノエルの新たな疑問がそれだった。
「ふたりに接点を持たせたかったのはわかったけど、だからこそ間を取り持つために、ついて行ってあげればよかったじゃん。春夏冬さんはともかく、御縁さんは性格的にふたりきりはきついんじゃない?」
「昼休みもふたりきりだったんだ。大丈夫だろ」
「でもさー」
「まあまあ、御縁側に立って考えている、おまえの言いたいことはわかる。でもな、御縁はあれで、好きな話になると早口になって、グイグイくるタイプだ。春夏冬は元々コミュ力高いんだし、一日くらいじゃ話題は尽きないと思うぞ。話すことなんていくらでもあるからな」
「本の話以外にも、話題があるってこと?」
「たとえば好きだった男の話とか」
「あー」
「後、ムカつく男の話とか」
「なるほどー。それは当人がいないほうが盛り上がるね」
「だろ?」
その当人がこうしているのがおかしいのか、ノエルはくつくつと笑った。
ふいに、俺のスマホが鳴った。調理の手を止め確認すると、相手は春夏冬だった。ラインで写真を送ってきたのだ。それを開いた瞬間、変な笑いを漏れてしまった。
「なにかあったの?」
「ほら、これ」
ノエルにそれを見せると、俺のような笑いを零した。
写真は、コーヒーショップで肩を並べたふたりが、あっかんべーをしている。春夏冬は学園で見たままの手慣れたように、御縁は不器用ながら頑張って作ったであろう姿だった。
「御縁さんも、こんな顔できるんだね」
俺の代わりにノエルが微笑ましそうにそう言った。
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