15 好事家の早口

「それで、なんであんなクソ小説なんて勧めたんだ?」


「一応、賞は取ってますし、語り継がれてますし、ネットのお勧めには必ずあがりますし」


「聞き方を変えよう。御縁はあれを、本気で人に勧めていい名作だと思ってるのか?」


「……ごめんなさい」


 しょぼんと肩をすくめながら、御縁は非を認めた。


「たしかにな、後半まではよかったんだ。次々と起こる不吉な展開に、主人公たちがじわじわじめじめと追い詰められていく精神描写。霊的な力で廃ビルに閉じ込められたときは、ここまで広げた風呂敷が、どう畳まれるのかワクワクした」


「はい、そこまでは面白かったですよね……」


「出られるとは思わなかった屋上から、たまたま見回りに来ていたお巡りさんに助けを求めたら、なにが起きたか覚えているか?」


「……突如発生したブラックホールみたいなものに飲まれたお廻りさんが、サッカーボール大の肉塊になりました」


「ハムスターの突然死から始まって、ずっと付きまとう気配、入ろうとした風呂が赤く濁る、クラスメイトが教室で自分の目を突いての自殺。そしてついに、霊的な力で廃ビルに閉じ込められてしまった。ここまで理不尽さを振りかざして、正体不明の幽霊は主人公たちを追い詰めてきてさ。本当にゾクゾクしたよな」


「ゾクゾク、しましたね」


「で、次に幽霊が起こした怪現象がブラックホール? いくらなんでもありだからとはいえ、こんな理不尽、許していいのか? じとじとジメッと背筋が凍るようなホラーから、一気にSFになったぞ」


「……なりましたね」


「だろ? しかもなんで電気が通ってない廃ビルで、ケータイの充電ができるんだよ」


「そこは幽霊さんが気を利かせてくれたのかなって……」


「最後まで幽霊の正体も背景も主人公を狙った理由もわからないまま、バッドエンド。ホラーなんだし後味が悪いのは構わんけど、曖昧なものを曖昧なままにして全部投げやがってよ。あんまりにもムカついたんで、そのままゴミ箱に投げたぞ。図書館で借りた本でよかったと、心底思ったわ」


「借りた本は捨てちゃダメだと思います」


 内容は一切擁護できないが、借りた本は大切にしなければいけないと御縁は説いた。


「それで、なんでこんなクソ小説を勧めたんだ」


「イッセーくんがどんな反応するかなって」


「で、どうだった?」


「イッセーくんは優しいですから。勧めた本を、悪くは言いません」


 嬉しそうにしながらも、どこか苦いものを口にしたような口ぶりだった。


 イツキの読書記録は、本人が書いたものではない。御縁がイツキの感想を残したものだ。心に残った言葉、物語の見どころをどのように感じたかなどを、一ページ丸々使って書き込んでいる。


 たしかにその読書記録は、すべて肯定的な言葉だけが残されていた。


 ブラックホールやケータイの充電については、一切言及されていない。イツキがそこには触れなかったということだ。


「酷いものはちゃんと酷い言うべきなのにな。俺なんてこいつをキッカケに、いくら勧められてもホラーを読むのは止めたからな」


「え、そうなんですか? その前はなにを読んできましたか?」


「えーと、たしかタイトルは――」


 二冊ほどタイトルを上げると、御縁は難しそうな顔をした。


「それらは名作ではあるんですけど……そういうのは、好きな人にはたまらない類のものですから。ホラーを読んでこなかった人には、わたしだったらおすすめしませんね」


「やっぱりか。どおりで肌に合わなかったわけだ」


「導入として、選ぶ本を間違えましたね。それでホラーを読まなくなったのは、凄くもったいないです」


「ちなみに御縁だったら、どういう本を勧めてきた?」


「こういうのは語られ続ける有名どころを――勧められたのが最後の本でしたね」


「『ホラー おすすめ』で調べたら、当たり前のように名前を連ねてるからびっくりした。見えない地雷は勘弁してほしい」


「わたしだったらやっぱり、定番の『黒い家』とか『残穢』をお勧めします。個人的には『天使の囀り』を読んでもらいたいところですけど、館シリーズを通読してるなら『殺人鬼』が取っつきやすいかもしれませんね」


 御縁は好事家特有の早口でまくし立てた。


「そのタイトルは知ってるけど、スプラッターホラーらしいから読んでないわ」


「それはもったい――待ってください、ホラーって理由で嫌厭してるってことは、もしかして……『Anotherあなざー』も読んでいないんですか?」


「ああ。カノンが仕切りに勧めてきたけど読んで――」


「それはいけません一成さん!」


 バン、と卓上に手をつけながら、御縁は勢いよく立ち上がった。こんな力強い動作が備わっているとは、夢にも思わなかった。


「一成さんだからこそ、Anotherは絶対に読むべきです。必ず最高の読書体験を得られますから」


 待っていてください、と言い残した御縁は、受付から出ると本棚の影に消えていった。


 一分も経たない内に戻ってきた御縁は、二冊のハードカバー本を抱えていた。


「ハードカバーで上下巻か?」


「いえ、片方は続編です。あ、カード持ってないですよね? すぐに作ります」


 自問自答を終えたように、御縁は受付内に戻って作業に取り掛かる。


 カード?


 御縁の勢いに飲まれ、それが図書カードであることが遅れてわかった。どうやら俺がAnotherを借りて読むことは、御縁の中では決定事項のようだ。


「実はもう一冊、新作の続編があるんですけど、うちの図書室には置いていなくて。明日、うちにあるのをお貸ししますね」


 作業しながら、生き生きと御縁は一冊追加してくる。


 さすがの俺もこれにはタジタジだ。


「いや、あのな御縁。まずは一冊だけで十分だ。面白かったら――」


「大丈夫です、絶対に面白いですから」


 自信満々な様子で、こちらに笑いかけてきた。顔を動かしたときに髪が掻き分けられ、露わになった右目はキラキラと輝いていた。


 好きなものを語る子どものようで、それが微笑ましく笑ってしまった。


 作業は五分と関わらず終わり、二冊の本を御縁は差し出してきた。


「イツキにもそうやって、本を勧めてきたのか?」


「あ……」


 自分の振る舞いを思い出したのか。まるで魔法が解けたかのように、御縁は恥ずかしそうに顔をうつむけた。


「ごめんなさい、わたしったら……」


「いいよ。そこまで自信もって勧めてくれるっていうなら読んでみるさ」


 本を引っ込めようとしたので、強引にそれを受け取った。


「でもな、俺は忖度なんてしないぞ。つまらんかったらつまらんって、ハッキリ言ってやる」


「大丈夫です。絶対面白いですから」


 自分にいくら自信を持てなくても、それだけは絶対的な自信を持っているというように、御縁は力強く頷いた。


 次の日、俺はまた図書室に訪れていた。


「ありがとな、御縁。マジで面白かったわ、これ」


「ですよねですよね!」


 御縁は差し出された本を、はしゃぐようにして受け取った。


 本を胸に抱えながら、御縁は含みを持たすように口角を上げた。


「なにせ漫画やアニメにもなってるくらいですから」


「は、え……いや、ダメだろ、そんなことしたら」


 俺が戸惑いの果てにそう口にすると、御縁はおかしそうにくすくすと笑った。


「ちなみにその漫画を担当した人は、十角館も描いてるんです」


「は!? いやいや……。それこそダメだろ」


「控えめに言って、最高の出来でした」


「マジかよ……御縁にそこまで言われたら、見たくなるな」


「お貸ししましょうか?」


「頼む。マジで見たい……でも、帰ったらエピソードSを見ないといけないし、その後は2001も控えてるからな。漫画読む前に、十角館も読み直したいから……今週は読まなきゃいけない本が多いな」


 贅沢な悩みに頭を痛めていると、御縁は尋ねてくる。


「一成さんは今まで読んできた中で、どんな作品が好きでしたか?」


「面白かったやつか? そうだな……」


 思いつく限り、片っ端から作品名を上げていく。


 すべてを聞き届けた御縁は、理解したようにうんうんと頷いた。


「なるほど。社会派ミステリは、あまりお好きではないんですね」


「ああ。靴底をすり減らした刑事が苦心の末っていうのは、好きじゃないんだ」


「ふふっ、エラリィの台詞ですね」


「そのエラリィのように、知的には読んでいないけどな。読み進めながらこうなんじゃないかって考える程度で、目を皿にしてまで推理はしない。俺はな、推理を的中させるよりも、どんでん返しで驚かされる方が好きなんだ」


「求めているのは驚きの読書体験ですか」


「ミステリマニアとしては憤慨ものか?」


「いえ、読み方は人それぞれ。そもそも読んでいれば偉いものじゃありませんから。でも、どんな読み方でもいいですから、身近な人には小説を読んでいてもらいたいです。……読んでいる人がいないと、そのお話もできませんから」


 御縁は寂しそうに、返却された本を優しく撫でた。


「イッセーくんと出会ったのも、小説がキッカケなんです」


「図書館で本に手を伸ばしたら、ふたりの手が重なり合ったのか?」


「イッセーくん……一成さんにその話をしていたんですか?」


「え、マジでそんなベタなことをやったのか?」


 適当に言った言葉が的中して、逆に驚かされてしまった。


 御縁は恥ずかしそうに俯きながら、本の影に隠れている。


「それで、どんな出会いだったんだ?」


 からかうような面持ちを見せず問いかけると、御縁はおずおずと語り始めた。

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