14 塩の柱になっちゃえ

 今朝の騒動で、一組のカップルが別離の危機に陥った。でもわかりやすい悪者を見つけたことにより、ふたりはより強い絆で結ばれた。だから今日も二股は、彼女先輩とお昼を過ごすため、俺はひとり飯を余儀なくされたのだ。


 ひとりで黙々と食べれば、弁当箱が空になるのに十分もかからなかった。


 隣からチラチラと向けられる視線から逃げるように席を立つ。


「あ……」


 すると春夏冬は、ポツンとそう漏らした。


「どこ行くのよ?」


「なんでそれを聞かれなきゃならないんだ?」


「べ、別に……なんとなくよ、なんとなく」


「じゃあ俺もそれで。なんとなくどこか行くだけだ」


 そのまま後ろを通り過ぎようとすると、制服の裾を掴まれた。


 しかめっ面を向けると、春夏冬が頬杖をつきながら窓の外を眺めてるふりをした。無言を貫き立ち去ろうとするも、裾を掴む力が案外強い。


 諦めたように息をついた。


「なんなんだ、かまってちゃん」


「誰がかまってちゃんよ」


「じゃあこの手はなんだ、この手は」


「なんのことよ」


 一切目を合せず、春夏冬は白々しく言い切る。


 おそらくどこに行くか告げるまで、この手は離れないだろう。でも春夏冬の思惑通りになるのも癪なので、助けを求めるように前の席に目を向けた。


「助けてくれリンリン……って、いないのか」


「今日はバスケ部の子たちとご飯食べるって」


「なんだ、ついにリンリンに見捨てられたのか」


「誰が見捨てられたよ!」


 勢いよくこちらを向いた春夏冬のツインテールは、躍動感を持って宙を舞った。


「別に私たち、いつもふたりでベッタリってわけじゃないから。お互い、他にご飯食べる相手くらいいくらでもいるの」


「でもボッチ飯してるだろ。ぷー、くすす。かわいそー」


「あんたにだけは笑われたくないわよ!」


 わざとらしく嘲笑すると、顔を真っ赤にしながら怒鳴られた。


 でもすぐに力なく、しょぼんと肩を落とした。


「私はほら、今こんな状態だから……リン以外には、あんな迷惑はかけられないから」


「なんだ、リンリンに迷惑かけてる自覚があったのか」


「普通、そんな言い方する? ほんとあんたは優しくないわね」


「俺がおまえに与えてやれるのは厳しさだけだ。これ以上、厳しい思いをしたくなければ手を離せ」


「だから……どこ行くのよ」


「なんだ、そんなにかまってほしいのか?」


「……うん」


 春夏冬は殊勝な態度で頭を垂れるように頷いた。


 素直に認めるとはさすがに思わなかった。どうやら小林がいるときの春夏冬は、あれでもメンタルがマシなほうのようだ。


 イツキに選ばれず、いなくなったダメージはそんなに深刻なのかと、深いため息が漏れ出だした。


「かまってほしいなら、最初から素直に言葉にしろ。そしたら俺だって、ちゃんと考えてやったのに」


「……寂しいからかまってください」


「ダメだ。今はおまえの相手をしてる暇はない」


「キィー!」


 歯を食いしばりながら、恨みがましそうに春夏冬は睨めつけてくる。


 顔を真っ赤にして怒る元気があるうちは大丈夫だと、俺は片手に持っていたものを見せた。


「意地悪で言ってるんじゃない。今からこれを渡しに行くんだ」


「あ、そういうこと」


 ようやく合点がいったように、春夏冬は大人しく引き下がった。あっさりと裾からは手が離された。


 隣のクラスを覗き込み、尋ね人の所在を確認する。


「いないか。トイレか?」


 それとも他の友達とご飯……はないか。


 そうなると居場所の検討がつかない。


 唸りながら悩んでいると、後ろから声をかけられた。


「あ、一成くん。どうしたの、そんなところで」


 ノエルが教室に戻ってきたのだ。


「おお、ノエル。ちょうどよかった」


「あ、わたしに用事だったの?」


「いや、おまえじゃない。ちょっと探してる奴がいるんだけど、教室にいなくてさ」


 尋ね人の名を告げると、ノエルは図書室にいると教えてくれた。


 そういえば図書委員だった。うっかり忘れていた。


 初めて図書室に訪れると、受付けに彼女はいた。


「おー、いたいた。御縁」


「え……一成、さん?」


 俺に気付いた御縁は、肩がビクンと跳ねた。まるで逃げ場所を求めるように、右往左往に顔を振る。近づくと観念したのか、そっと顔を伏せた。まるでその生命を諦めた、捕食を待つだけの小動物のようだ。


 どうやら春夏冬の言うように、俺を避け続けてきたらしい。


 よくよく考えれば、あの謎掛けは不味かったかもしれないと、今になって反省の念を覚えた。


「ほら、これ」


 なんの前置きもなく、あっさりとそれを差し出した。


「昨日落としたぞ」


「あ……」


 落とし物を受け取った御縁は、それを胸に抱え込んだ。


 よっぽどその手帳は、御縁にとって大事なものだったのだろう。


「……ありがとうございます」


 俺を避け続けてきた御縁も、素直な感謝を差し出してきた。どんな目をしているかはわからないが、口元はホッとしたように綻んでいた。


「読書記録か」


 でもすぐに、キュッと緊張したように引き締まった。


「しかもイツキの」


 追い打ちのように続けると、みるみる内に頬が赤く染まっていく。


 肩をぷるぷると震わせながら、御縁は顔を伏せた。


「酷い……見たんですか?」


「見てはいけないとは思ったんだがな。こういうのってほら、見たらダメだダメだと言われても、結局見てしまうのが人のさがだろ?」


「そんな一成さんなんて……塩の柱になっちゃえ」


 御縁なりの一矢報いようとした罵声が、蚊が鳴くように飛んできた。


 死ねばいいのにとか、おまえの母ちゃんデベソとか、相手を罵る言葉は色々と知っているつもりだが、その切り口が斬新だった。普通の相手なら、まず意味が通じないネタだ。


 それが御縁らしくて、なんだかおかしくなった。


「ロトの妻のようにか?」


「あ……わかるん、ですか?」


「あの都市は滅びて当然だな」


 こちらを見上げる御縁は、ポカンと口を開いた。罵りの言葉のつもりだったのに、どこか嬉しそうに頬が緩んでいた。


「信仰とか、あるんですか?」


「ないない。聖書の知識はある程度、頭に入っていたほうが海外の映画は楽しめるって。カノン……友達に勧められた解説本で学んだんだ」


「同じです。わたしも父に、そう勧められて何冊か読んで学びました」


「向こうの当たり前の感覚がわかると、作品の理解が深まるよな」


「はい。映画だけじゃなくて、小説にもそれは当てはまりますから。学ばせてくれた父には感謝してます」


「そっちはすぐに手を着けるのを止めたな。なんかすっと頭に入らないんだよなー、海外の小説は」


「言いたいことはわかります。海外の小説は、原作の雰囲気を壊さないように翻訳されてますから。慣れないと読みにくいですよね。普段本を読まない人ならなおさらです」


「本を読まないと思われてるなら心外だな。その読書記録がイツキの読んできたすべてだっていうなら、俺はその何倍も読んでるぞ」


「本当ですか!?」


 前のめり気味に御縁は叫んだ。叫ぶと言っても、控えめな御縁だから知れている。それでも閑静こそ正しい在り方の図書室には大きすぎた。


 図書委員が積極的に静寂を破ったことに、大丈夫なのかと周りを見渡す。


「大丈夫です。他に誰もいませんから」


「いないって……こんな立派な図書室にか?」


「将継の生徒は、お昼はみんなと過ごすのが当たり前の人たちばかりですから」


 自分はその当たり前ではないと示すように、御縁は自虐な笑いを口元に湛えた。


 中学時代はきっと、一緒に過ごした友達がいたはずなのに。イツキを追いかけてきたばかりに、お昼はいつもポツンと過ごすはめになっている。いや、イツキがいたときはふたりで過ごした時間もあったはずだ。


 今はそのイツキがいなくなり、これからはずっと自分はひとりだと、当たり前のように受け入れているのかもしれない。


 そんな御縁がどこか痛々しく見えたからこそ、このままではいけないと思った。


「御縁は普段、どんな本を読んでるんだ?」


「ミステリ小説です」


 一切の迷いも躊躇いもなく、御縁は楽しそうに言い切った。


 見た目は文学を愛する少女に見えたが、その中身は人死の謎に魅入られている。まるでそのようなものを嗜んでいるように見えないが、読書記録を見たときにはわかってはいた。


「一番好きな小説を当ててやろうか?」


「当てられるんですか?」


「余裕だな」


「なら、当ててみてください」


十角館じゅっかくかんだろ」


 正式名称を略して告げると、図書館には拍手が響き渡った。


「正解です! なんでわかったんですか?」


「一番からは外れたとしても、日本のミステリを語るに置いて外せない作品だからな」


「そうですね。まず外さない作品です」


 御縁は楽しそうにくすくすと笑っている。


 十角館の殺人は、日本のミステリ小説界隈において、説明不要の傑作である。イツキの読書記録の一番目にその名を連ねていたから、一番好きな作品として勧めたと察したのだ。


「十角館は、俺も一番好きだぞ。初めて見たときは、マジで感動した。俺が自発的に小説を読むようになったキッカケだ」


「なら、水車館は読みましたか?」


「館シリーズは通読したぞ」


「では綾辻作品も全部?」


「いや、作家追いまではしてないな。館シリーズを見終わってからは、しばらく友達に勧められるがままに読み漁ってきたから。期待させたなら悪いな」


「いえ、太鼓判を押して勧めてくれる相手がいるなら、そのほうがいいと思います。だってその後、感想だって語れますから」


「それがすべて、いいことには繋がらないぞ。なにせ地雷とわかってて、平然と勧めてくるからな」


「なんでですか?」


「地雷を踏んだ気持ちを共感したいんだろ」


「そのお友達は酷い人ですね」


 御縁は口元に手をおいて、おかしそうに笑った。その様子はどこか羨ましそうだった。


「酷いって言ったら、御縁だってそうだろ」


「わたしですか?」


「ブラックホール。廃ビルで充電できる携帯電話。広げるだけ広げて畳まれない風呂敷」


「あー……」


 心当たりがなかった顔が、途端に苦いものへと変貌した。


 やはり御縁はわかっていて勧めたようだ。


「その顔、やっぱり確信犯か」


「一成さん、確信犯は――」


「それ以上は言わないほうが身のためだぞ。昨日、役不足を指摘してきたイツキがどうなったか教えてやる。十秒も経たずに、土下座する勢いで自分が悪かったと謝ってきた」


 慌てて御縁は口を塞いだ。


 雑談に大切なのはな、正しい言葉の使い方じゃない。伝えたい意図が、シームレスに相手に伝わるかどうかだ。誤用警察はお呼びじゃない。

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