12 二股は二股だけはしない
二股の二股疑惑が解けたなら、俺はもうお役御免。どうでもいい犯人は、煮るなり焼くなり好きにしてほしい。
「助かったイッセー。後は俺たちでどうにかするよ」
「ありがとね、イッセーくん。君がいなかったら、今頃取り返しのつかないところになってたわ。今度お礼させてね」
カップルたちに見送られ、俺はその場を後にした。彼女先輩には念入りに礼を告げられたが、達成感よりも後ろめたさが上回った。
あの写真は二股をかけられている彼女先輩を思い、義憤に駆られて撮られたものではない。間違いなく二股を恨んで、陥れるために撮られたものだ。でも同じくらい間違いないのは、彼女先輩がその写真を見て、浮気だと信じたことに誤解がなかったことだ。
俺はそれを知っていて、二股の肩を持った。でもなにひとつ、その擁護に嘘はない。
二股は二股をしていない。それを信じた言葉に嘘はない。なにせ二股は、俺が知っているだけで五股はしているからだ。
二股は二股だけは絶対にしないという信念を果たすため、彼女をひとりから一気に三人へ増やした過去を持つ。だから過去に一度も二股をしたことがないと胸を張る様は、いっそ男らしかった。
有り体に言えば、二股は女の敵、人間のクズである。
そんな二股と初めて出会ったのは、転校してきてからではない。中三の秋、中学校の修学旅行に参加しない代わりのように、カノンと旅行に行ったときの話だ。
日本三大がっかり名所、札幌市時計台を訪れ、
「まー、あれだな。こんなものかって言ったら、こんなものか」
「うーん。たしかにがっかりは……できたかな?」
俺たちふたりは、時計塔を見上げながら、なんとかここまで来た意義を見出そうとした。
観光スポットだと期待を胸にしていたらたしかにがっかりするだろう。でもがっかり名所だ、どれだけがっかりするんだろうと笑いに来ても、笑いのネタにもならないどころか反応に困る。
三大名所に名折れなし。たしかにがっかりはしたかもしれない。
カノンがトイレに行ってくると、反対車線にある市役所へと向かった。
時計台前の歩道でその帰りを待っていると、
「は、イッセー!?」
愛称で呼ばれたのだ。
ニュアンスが少々違う以前に、男の声。カノン以外に俺をそう呼ぶ相手などいないから、面食らいながらもその面を拝もうと顔を上げた。
「な、なんでここにいるんだ……?」
見覚えのない顔は、幽霊に出会ったように目を丸くしていた。歳の頃は俺と同じか、多く見積もってもふたつが精々。すらっと背の高い垢抜けたイケメンだった。一応籍を置いている中学には、ここまで整髪料を使いこなし、シャツとジャケットを着こなせる男子はいないはずだ。学校にいたら間違いなく、クラスのトップに立ち、学校中の女子たちの憧れを一身に背負う人種だ。母校の色に合わない、芸能事務所に所属していそうなイケメンだ。
少々考えた末に、答えを見つけた。
「もしかして、イツキの友達か?」
「イツキの……もしかしてあの、イッセーの兄貴か!?」
「そうだ。俺があの、イツキの兄だ」
「うわ、マジか! マジでイッセーまんまじゃねーか。マジやばいんだけど」
貧困な語彙力マジ三大活用したイケメンは、感動するようにはしゃいでいた。
「そうだ、俺は二股。二股卓。イッセーの親友だ」
「おー、おまえがあの二股か。イツキからイケメンだとは聞いてたけど、想像の三倍イケメンだな」
「なんだイッセーの奴、俺のことそうやって兄貴に言ってたのか」
ちょっと嬉しそうに、けどイケメンであることを自覚しているのか、恥じらいなく二股は笑った。
「俺は一成。あいつから事情は聞いてるとは思うが、今は母親の姓だから瀬川じゃない。だから一成でいい」
「漢数字の一に、成功の成で一成だろ? 聞いてる聞いてる。顔も同じだから、おまえもイッセーでいいだろ」
「顔に似合わず雑だなおまえ。ま、いいけど」
イツキと一纏めにされたのを受け入れて、ずっと気になっていた相手に目を向けた。
二股の隣にいる、大学を卒業したばかりのような、マネージャーと紹介されたら信じてしまうような美女。意外な邂逅をした俺と二股を、微笑ましく見ているわけではなく、戸惑っていた。まるで見られたくないところを見られたかのような焦燥感だ。
「彼女と旅行……じゃなくて家族旅行……か?」
自分でそう訊ねておいて、それはなさそうだなという口ぶりになった。
なにせ今日は土曜日。それも三連休というわけではない、普通の週末。
イツキが住んでいる場所からやってくるには、必ず飛行機を使っているはずだ。サッポロラーメンを食べたいと思い立った骨皮家じゃあるまいし、家族で小旅行とも思えなかった。
「えっと、これはな……」
なにか釈明、いいや言い訳を生み出そうとする二股。
なんとなく、事情を察してしまった。
人差し指でクイクイしながら、二股を呼ぶ。
後ろめたさを満面に描いた二股は、観念したように近寄ってきた。
二股だけに聞こえるように、静かな声で訊ねた。
「ママ活ってやつか?」
「違う、彼女だ」
迷いなく二股は答えた。十近く離れているだろう女性を、そう断じる姿は少年ながら男らしかった。
こんな男の生き様を見せられたら、俺も感服するしかない。
「そうか。人の恋や愛の形はそれぞれだ。世間はともかく、俺はそれをとやかく言わん。イツキに告げ口するような真似はしないから安心しろ」
「イッセー……!」
感動にしたように二股は、片手を差し出してきた。俺はそれを受け入れるように握った。
今振り返れば、二股との友情はここから始まったのだ。
次に二股と再会したのは、年の瀬だった。
昼食時に垂れ流していたテレビを見ていたカノンが、思いつきをそのまま口に出した。
「よし、イッセイ。スキーに行こう」
「いきなりだなおまえは。今からバス乗って行くにしても、着く頃には二時過ぎ。あっという間に日が暮れるぞ。ナイターまで滑る気か?」
近くのスキー場への道のりを思い出しながらそう告げると、
「そっちじゃないよ。ここ、ここ。ここに行こうよ」
「ここ?」
カノンはテレビを指さした。そこにはリゾートの名が付く、スキー場が映し出されていた。
すぐに一本電話を入れたカノンは、十分後に返ってきた電話を受けてこう言った。
「よし、行くよイッセイ」
直前まで夕飯をどうするか考えていたはずの俺は、夜にはリゾートホテルにいたのだ。どうやらこのまま、年を越すまで滞在するらしい。
夕食後、風呂へ向かったカノンと別れ、ホテルを散策していた。
おみやげコーナーを冷やかしていると、
「あれ、イッセー?」
まだ聞き馴染んでいない声に呼ばれたのだ。
「おう、二股か」
一度会った人の顔を忘れないとは言わないが、そのイケメン顔は忘れていなかった。
「なんだ、奇遇だな」
「お、その喋り方は兄のほうか」
どちらかハッキリしていなかったようで、二股はおかしそうに言った。
その隣にはハッとするような美人が控えていることに気づいた。年の頃は女子大生くらいか。いかにもお金持ちのパパに甘やかされているような印象を受けた。
前回連れていた女性とは違う。同じなのは、手を出してならぬものに手を出し、それを見つかった焦燥感だ。
家族ではないのはもう明白だった。
人差し指をクイっとして、いつかのように二股を呼んだ。
内緒話をするように、こそこそと訊ねた。
「……彼女、でいいんだよな?」
「ああ、自慢の彼女だ」
一切の後ろめたさもなく、二股は男らしく言い切った。
ママ活でないならなによりだ。そう思いながらともうひとつ尋ねる。
「……この前の人とは別れたのか?」
「別れてない。女を取っ替え引っ替えするような男だと思われたなら心外だ」
上記の言葉と下記の発言が、噛み合っていないように感じた。
不思議体験をしたように頭を悩ませ、ひとつの答えにたどり着いた。
「まさか、名は体を表してるのか?」
「それこそ心外だ。俺はな、二股だけは絶対にしない。絶対にだ」
力強く、二股は男らしく言い切った。
こいつの言葉はすべてが矛盾している。こんなことに頭を使うのも無駄な気がして、これ以上は考えるのを止めた。
「そうか。二股には二股なりの愛の形があるんだな。俺はそれをとやかく言わんし、イツキにも告げ口はしないから安心しろ」
「イッセー……!」
理解者を得た面持ちで差し出された、二股の手を握った。
そして年を越えて、中学校を卒業し、新年度を迎え、そして雪も解け始めたゴールデンウィーク初日の朝。
朝食中に垂れ流していたテレビを見ていたカノンは、
「イッセイ、今日温泉行こうよ」
「おー、いいな。雪も解けたし、自転車でいけるな」
天気も良好。自転車で三十分も走らせれば、サウナも露天風呂もある温泉施設にたどり着ける。自転車が使える時期は、二週に一回くらいのペースで通ってる場所だ。
「あー、違う違う。ここ行こうよ」
カノンはテレビを指さすと、おんせん県の宿が映っていた。
昼飯はどうするかなって考えていたはずが、日が暮れる前には、おんせん県の温泉に浸かっていた。
夕飯前の腹ごなしに施設内探索をしていると、貸切風呂から一組の男女が出てきた。
「あれ、イッセー?」
「おう、二股か」
「やっぱり兄のほうか」
今度は確信していたというように、二股は得意げに言った。
そんな二股の隣には、美女がいた。若き女社長といった風貌だ。
俺は深く考えず、確信めいた口ぶりで訊ねた。
「なんだ、彼女と旅行か」
「ああ」
「羨ましいな。幸せそうでなによりだ」
「イッセー……!」
親友以上の理解者に向かって差し出された手を、俺は握った。
たしかにこいつは、二股をしていなかった。そういうことかと納得したのだ。
そして紅葉がすっかり見頃の秋になった。
寝起きのコーヒーを飲んでいたカノンが、垂れ流していたテレビを見て、
「そうだ。京都、行こう」
行先のキャッチコピーを口ずさんだ。
朝食なにを作るかなと考えていた俺は、昼には清水の舞台に立っていた。
ちょっと目を離した隙にいなくなっていたカノンを探すため、グルっと周りを見渡したら、その男がいた。
「おお、二股じゃねーか。彼女と旅行か?」
「ああ、そうなんだ」
「写真、撮ってやろうか?」
「イッセー……!」
俺たちは固く握手を交わしあった。無粋な詮索などいらないのだ。
どうやら二股は年上キラーのようで、同年代以下には興味ない。学校にもひとりは彼女がほしいというわけで、付き合っているのが彼女先輩だ。
クズであることは間違いないのだが、全員遊びではない。俺の大切な彼女だと言い切るところは男らしい。イツキの周りには害はなく、むしろ頼れる男なので、二股の女性関係については口出ししないと誓っている。
だからこそ二股は、転校してきた理解者を歓迎して、いつだって力になってくれるのだ。
俺たちの友情は、WIN-WINで成り立っている。
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