10 彼女たちが今より前を向けるようになるまで

『僕の話はこれくらいとして、そっちはどうだい?』


「おまえの人間関係は、すべてお下がりとして頂いた」


『人間関係のお下がりって。また凄い言葉を使うね』


「おまえがいたポジションに、そのまま居座ってるからな。友達作りに励まないで済むから、楽なもんだ」


『卓たちと同じクラスだよね? その様子だと、卓とは上手くやってるようだね』


「ああ、二股はまるで、昔からの友のようだ。むしろ二股にとっては、おまえより気の置けない仲になってるかもな」


『ははっ、さすが兄さん。人の親友をたった二ヶ月で籠絡したのか。……あ、そういえば同じクラスに華香って子、いないかな?』


「御縁はノエルと一緒のクラスだぞ」


『そっか、ノエルと一緒だったんだ。そういえばノエル、僕と違って兄さんはグチグチうるさいって愚痴ってたよ。ケンカとかしてない? ちゃんと仲良くやれてる?』


「やれてるやれてる。俺はあくまで、料理の改善点を示しただけだ。ちゃんと一から十まで親身になって説明したんだぞ」


『たしかにそれは、グチグチうるさそうだ』


「ほう、おまえも言うようになったな」


『おっとやぶ蛇だった。それはともかく』


 わかりやすいほどに話題をずらそうとするイツキ。


『天梨はどう? 彼女も一緒のクラスでしょ?』


 でもそれは、まるで本題のような口ぶりだった。


『天梨は凄い美人だからさ。兄さん、一目惚れとかしちゃってたりしてるかなって』


「逆だな。一目惚れするどころか、春夏冬は俺の顔に夢中だぞ」


『そんなわけないだろ、僕と同じ顔なんだから』


 おかしな冗談を利かされたように、バッサリと切り捨てた。きっと電話の向こうでは、やれやれと肩を落としているに違いない。


『一目惚れでないにしてもさ、天梨のこと、彼女にしたいと思ったりしない?』


「やけにしつこいな。なにか確信でもあるのか?」


『側で見ていたらわかると思うけど、天梨って凄いから。なんでもできるし、望んだものは全部手に入る。世界は天梨が中心に回ってるんじゃないかってくらいに、輝いている子だからさ』


 春夏冬が一番手に入れたかった男が、その輝きが届かない世界から、そのような評価を下した。


『だからなんか、ふたりって気があうかもしれないって、ずっと思ってたんだ』


「今の説明のどこに、その要素を見出した」


『僕にとって一番凄い男は兄さんだから。天梨とお似合いなんじゃないかなって』


 まるでその未来を望むかのように、春夏冬が聞いたら泣き出しそうなことを平然とイツキは語った。


 ほんとこの天然な弟は、女の子からの好意を微塵も気づいちゃいない。自分を一途に愛してきた女を、兄にあてがおうとする始末であった。


「俺の中では、春夏冬はないな」


『えー、天梨がなしとか、どれだけ理想が高いんだよ兄さんは』


「あいつじゃ、俺の相手は役不足だ」


『兄さん、それ誤用だよ。それだと――』


「わかってるよ。たかだが世間話に、誤用警察は誤用だ御用だうるせーな。ビジネスの場じゃないんだ。大事なのは言葉の正確さより、意図が伝わりやすいかどうかだろ。おまえはあれか、確信犯にもそうやって――」


『ごめんごめん、水を差した僕が悪かった』


 ちょっと入れたつもりの茶々が、何十倍もの勢いになって返ってきて、イツキは慌てる。


「俺に間違いを説こうなんざ、百年早い」


『つまり百年後には、説いてもいいの?』


「今の俺にできるくらいにはなってるだろうからな」


 暗に追い抜くことはできないと言い含めると、イツキはやっぱりかと諦めたように、くつくつと笑った。


『ともかく、そっちは上手くやってるってことか』


 総評をまとめたイツキは、どこか安心したように息をついた。


「ああ。おまえと仲良かった奴らとは、上手くやってるよ。そいつらになにかあったとしても、俺がなんとかする。――だから、こっちのことは心配するな」


『兄さんがそう言ってくれるなら、心強いね』


「むしろ心配なのは、おまえのほうだ。たしかに好きな女と結ばれたかもしれないが、これから起きることは楽しいことばかりじゃない。むしろ大変なことばかりだろ」


『そうだね、大変なことばかりだ』


「後顧の憂いは絶っといてやるから、おまえは、前だけを向いて頑張れよ」


『うん。ありがとう、兄さん』


 感慨深いものを浸るように、イツキの言葉には感情が籠もっていた。


 なにかを口にしようと息を吸い込むのを感じたとき、


『わっ! クリス、危ないじゃないか!』


 慌てたイツキの叫声がそれを止めた。


 不穏な単語に眉をしかめる。


「危ない?」


『ナイフが耳を掠めたんだ。――ああ、わかったわかった。時間を守らない僕が悪かったから。すぐ終わらせるから待ってくれ』


 イツキは耳から電話を離して、クリスなる美女に謝っている。


 おそらく、なにかを約束していたのだろう。俺との電話が長くなってるから、ご機嫌斜めとなったクリスは、イツキに向けてナイフを投げたのだ。


『じゃ、また電話するから。また!』


 ご立腹なクリスがそんなに怖いのか。イツキはそれだけを言い残して、慌てて電話を切った。


 ちょっとプンプンさせただけで、ペットボトルの感覚でナイフが飛んでくるとか、作風が変わった主人公は大変である。しかも令和のホームズやらチャイナ娘まで控えているとか、あれだけの大団円を迎えたはずの白雪も大変そうだ。


 矢継白雪。前作の女たちから、イツキが選んだ女の子。彼女は日本で一番の影響力を誇る財閥系、弓継ゆみつぐグループの会長、その孫娘である。後継者争いからは外れているとはいえ、彼女の夫となるということは、弓継グループの親族、その関係者になるということだ。その道は、ただ楽しいだけの交際の末に認められるものではない。


 白雪と添い遂げるために、弓継グループの親族として恥ずかしくない男にならねばならない。イツキが歩んだ道は大変なものだとは知っていたが――想像の斜め上に大変な道を歩んでいた。


 こればかりは俺がどうこうできる問題ではない。自分の道は自分で切り開いてもらうしかない。


 俺ができることは精々、イツキが前だけを向いて全力で進めるように、前の居場所で残してしまった問題の片付けだ。


 春夏冬、御縁、ノエル。彼女たちが選ばれなかった先で、不幸な人生を歩ませるわけにはいかない。それ原因で取り返しのつかない選択をし、イツキがそれを知ったら、必ず悔やむことになるだろうから。その後悔が足を引っ張るような真似はさせたくない。


 だからといって、俺がイツキの代わりのように振る舞い、三人を幸せにすることはできない。


 俺の顔と遺伝子は、三人には劇薬すぎる。人並みの優しさでも、傷心中の三人には心地よすぎるだろうから。それこそ麻薬のような即効性と、依存性をもたらすに違いない。


 俺の自身の魅力とか、人間性の問題ではない。三人はそのくらいイツキのことを想ってきたのだ。都合のいい代替品に欲しかったものを求めてしまうのは、理性で簡単に御せるものではない。この感情の問題を、意思が弱いと責めるのは酷だろう。


 三人は、魅力溢れる女の子だ。そんな女の子たちからここまで愛されている弟は果報者だと思うし、それと同じくらいイツキは人間として優れている証だ。兄として、素直に誇らしい。


 イツキへの想いは自分たちの中で、しっかり乗り越えた上で、昇華してもらいたかった。その想いありきの愛情に手を付けるのは、おれのプライドが許さない。イツキへの想いを歪めるなんてもっての外だ。


 だから絶対に、俺は三人に優しくすることはできない。


 その上で三人が失恋を乗り越えられるよう、できることを尽くす。


 それがおれの役目である。




 ――これは女の子たちのためではない。


 すべては弟の幸せのため。


 彼女たちが今より前を向けるようになるまでの物語はなしだ。

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