09 作風変えすぎだろ
イツキから電話がかかってきたのは、その晩のことだった。
カノンに勧められていた映画、『ロンドンゾンビ紀行』をリビングのテレビで見ていた。あいつが傑作だからと勧めてくるときは、八割の確率でクソ作品である。奴は時間を無駄にした負の感情を、共感という名の道連れにしたいのだ。
ただでさえゾンビ映画は、当たり外れがでかい。当たった作品のパロディに溢れているから、前情報無しにタイトルとパッケージだけで作品選びをすると痛い目にあう。映画好きの中でもコアなマニアでもない限り、黙ってネットのおすすめを見るのが吉である。
どうせクソ映画だと身構えながら、見始めたロンドンゾンビ紀行。案の定B級映画だとスマホ片手に見ていたが、気づけば夢中になっていた。臨場感溢れたBGMがかかる中、歩行器のおじいちゃんがゾンビと追いかけっこをするシーンは、一生忘れられないだろう。
B級映画でこそあったが、たしかにこれは傑作だった。
カノンに連絡しようとスマホを取り出し、タップした瞬間、電話が繋がった。
『え、兄さん……? どうして?』
面食らったような声音が、スマホから聞こえてきた。
どうやらイツキから電話がかかってきたのを、たまたま取ったようだ。
スマホを耳に当てると、いつものように尊大な口ぶりをする。
「予感だな。かかってくる気がしたんだ」
『また、予感、か。こっちはそういうの感じたことないのに、兄さんはどうなってるのさ』
「それは兄だからとしか言えないな」
『兄さんってほんと凄いよね。追い抜ける自信がしないよ』
「大丈夫だ。たとえ追い抜くことはできなくても、俺がいた場所にはちゃんとたどり着ける」
『いずれたどり着けるなら、それでいっか』
イツキは嬉しそうに、そう零した。
いきなりかかってきた電話だが、いつかのようになにかを求める様子はない。安穏とした様子は、なんの憂いもないのが伝わった。
「なにかあったわけ、じゃないようだな」
『なんでそう言い切れるのさ。凄い悩みを秘めてるかもしれないよ?』
「そんなのないくらい、すぐにわかる。色々と落ち着いたから、って感じだろ?」
『兄さんには敵わないな。そういうこと。ちょっと話したくなっただけさ』
あっさりと認めたイツキは、楽しげにそう零した。
『そっちはどう?』
「そっちこそそうなんだ? おまえの近況報告が先だ」
順序を間違えるな言うように、上から目線でたしなめた。
「同じ凄い奴でも、うちが近隣の中学から集まる学園だとしたら、おまえのところは世界中から集まる学校だろ?」
『話には聞いていたけど、想像を上回る凄い人たちばかりだよ。庶民の僕は、いつも圧倒されてばかりだ』
「大丈夫か、イジメられたりとかしてないか?」
『どんなイジメを想像してるのさ』
「『卑しい庶民は、自分がいていい場所か否かもわからないのか?』って具合に」
『ははは。それ、転校初日に教室で言われた』
「マジかよ……逆に実在するのか、そんなこと言う奴」
あまりにもおかしそう笑うものだから、心配よりも先に、適当な空想が実現していることに驚いた。
『あのときは感動したね』
「驚くでも怒るでもなく、感動か」
『だって、こんな人が本当に存在するのかって、笑っちゃったもん』
「そんなことしたら、怒ったんじゃないのか?」
『怒った怒った。だからなんで笑っちゃったのか説明して、ちゃんと謝ったよ』
「あなたみたいな人、本当に存在するんだって感動して、ってか」
『うん』
「うん、じゃねーよ。教室中爆笑の嵐で、向こうも立場なくして顔真っ赤にしたんじゃないのか?」
『そんなつもりはなかったんだけどさ。悪いことしちゃったよ』
本気で悪いことをしたと思っているのだから、天然は恐ろしい。煽るつもりなんて微塵もなかったのだ。
「その様子だと、クラスメイトとは仲良くやれてるようだな」
『白雪を追いかけた話が広まってたらしくてさ。そういうのが好きな人たちに囲まれて大変だったよ』
「今どきテレビでも見ないようなラブロマンスを繰り広げたからな。面白がられて当然だ」
『あのときはまさか、こんな凄い学校に通うことになるなんて、想像もしなかったよ』
「俺もだ。まさか学校なんかに、真面目に通う日がくるなんてな」
お互い、生活がここまで一変するなんて。人生なにがあるかわからない。
『そうそう、大変と言ったらさ。ルームメートが大変な人で困ってるんだ』
白雪と結ばれ、必要なものは全部用意すると言われたイツキだが、さすがにいきなり同棲はなかったようだ。向こうの学校の学生寮に入っている。
「なんだ、ヤバい奴なのか?」
『ヤバいもヤバいよ。それも兄さんが思ってるだろう、ヤバいの方向性が違うから困ってるんだ』
「どんなヤバい奴なんだよ」
『女の子だった』
「……は?」
彼女持ちの弟が、とんでもないようなことを言った気がする。
「それは……心が、という意味か」
『生物学的にも精神的にも』
「白雪ちゃんはそれを?」
『知らない。というか、伝えたら殺される』
「たしかに白雪ちゃんの家族に知られたら、万死に値する案件だな」
『違うんだ。自分が女であることを誰かにバラしたら、殺すって脅されてるんだ』
「マジでなにがあったんだおまえ……」
これには頭を抱えそうになった。
『それがさ、どうやら彼女、本国から派遣されたシークレットサービスらしくて。影からボスの娘を守る任務なんだってさ。女であることを隠して学校に通ってるから、それがバレると問題があるらしい』
ツッコミどころが満載で、なにから聞けばいいのやら。
こいつもしかして、俺をからかってるのか?
そうに違いない。イツキもやるようになったなと口を開こうとしたら、
『え、あ、クリス? ちょっと待って待って!』
切羽つまった声がキンキンと響いた。ドタバタと激しい音がしたと思ったら、途端に静かになった。
不穏が過ぎり、慌てて呼びかける。
「イツキ……? おい、イツキ!」
『……イッセーの兄か?』
「え?」
聞き覚えのない中性的な声が、耳に届いた。
『画面を見ろ』
言われるがまま画面を見ると、ビデオ通話になっていた。そこには猿ぐつわをされて、後ろ手に縛られ横たわっている弟の姿があった。首元にはナイフを突きつけられている。
事情がわかったかと言うように、ナイフを持った主が自分を映した。声と同じ中性的な美女だった。顔立ちで察したのではない。風呂から出たばかりなのか、バスタオルが巻かれたその身体は、女性らしさを浮き彫りにしていた。
『弟の命が惜しければ、今聞いたことはすべて忘れろ』
普通に生きていれば、まず聞くことはない脅しを受けた。その目が本気なのは、画面越しでも伝わってきた。
「わかったわかった! 誰にも言わない!」
『言わない?』
「忘れる! 忘れるからイツキを解放してくれ!」
『それでいい。……私もイッセーのことは、手にかけたくない』
心から願うようにそう零すと、クリスなる美女は安心したように頬を綻ばせた。
……こいつもしかしてと思いながら、ナイフで拘束を解かれていくイツキを眺める。
『イテテテテ……』
痛みを訴えながら、スマホを受け取ったイツキ。画面の端で、クリスなる美女はおそらくバスルームのほうへ消えていった。バラしたら殺すぞとまで脅した秘密を、世間話で漏らしているイツキを慌てて止めにきたのだろう。
『いやー……今度こそ殺されると思ったよ』
普通に生きていれば、口にする機会がない台詞だ。
『そうそう殺されると言ったら、この前殺人事件に巻き込まれてさ』
「殺人事件?」
『僕以外犯行不可能な密室だったから、犯人扱いされて大変だったよ』
「はぁ!?」
普通に生きていれば、物語にしかお目にかかれない事件に、我が弟は巻き込まれていた。
「マジでなにがあったんだよ」
『それがさ』
イツキは滔々と話し始めた。三十分に渡った内容を要約すると、クラスメイトの令和のシャーロック・ホームズと呼ばれる女探偵が、事件を解決してくれたらしい。イツキはその相棒を務めたようだ。しかも気に入られたらしく、これからは私のワトソンになってほしいと求められたという。
「それで、どうしたんだ?」
『もちろん断ったよ。殺人事件に巻き込まれるなんて、もう懲り懲りだからね』
「だろうな。そんな大変な目にあっておいて、今後も首を突っ込もうものなら説教ものだ」
『そうそう。――あ、懲り懲りって言ったらさ』
「この後に及んで、まだなにかあるのか?」
イツキの話を要約すると、香港マフィアとヤクザの抗争に巻き込まれたようだ。中国三千年歴史を背負う、語尾がアルの中華娘のクラスメイトと解決したらしい。
「マジでなにやってるんだおまえ」
『こっちだって、好きで巻き込まれたわけじゃないよ。こんな経験、二度とごめんだ。ああ、二度とごめんと言ったら――』
「待て待て待て待て! それ以上の話は今度にしてくれ」
お腹が一杯過ぎて、俺は慌てて話を止めた。これ以上話を聞いていると、ここが現実世界なのかわからなくなりそうだった。
ついこの間まで、四人の少女たちと学園ラブコメの主人公をやっていたはずなのに。舞台を変えた瞬間、超人たちと事件に巻き込まれ、縁を紡ぎ出した。しかも向こうは、もう恋心にまで発展している。それが掛ける三……いや、四の可能性を残していた。
たった二ヶ月でこの有り様かと、弟の主人公すぎる運命力が恐ろしくなってきた。
感想としては、
『あ、もう一時間以上も話してるのか。ごめんごめん、こっちばかり話しちゃって』
「それはいいが……おまえの人生、作風変えすぎだろ」
『作風?』
なんのことだい、と不思議そうにイツキは応えた。
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