08 お兄ちゃんのお兄ちゃん

「一成くーん、ご飯できたから持ってってー」


「わかった」


 リビングでテレビを見ていると、キッチンからの要請に応えた。ソファーから重い腰を上げ、給仕役を全うしようと動く。


「お、今日は唐揚げか」


 大皿の上で、唐揚げがピラミットのように積み上がっている。


 ご飯をよそっているノエルが、ご機嫌な鼻歌を止めた。


「明日のお弁当分もまとめて揚げたから、全部食べちゃダメだよ」


「だったらその分は、ちゃんと分けとけよ」


「だってこのほうが、映えるでしょ」


「映えか。ならしょうがないな」


「うんうん、しょうがないの」


「ちゃんと二度揚げしたか?」


「したした。しないと一成くん、うるさいから」


「うるさいとは心外だ。ちゃんと二度揚げの効果は――」


「わかってますから、早く持ってって」


 ノエルはしゃもじでシッシッと、追い払うように払った。


 キッチンと往復しながら、夕食をダイニングテーブルに並べていく。


 エプロンを外したノエルはスマホを取り出し、料理を撮り始める。邪魔にならないよう椅子を引きながら、終わるまでジッと眺めていた。


 料理のお預けを食らってこそいるが、ノエルに負の感情を覚えることはない。たしかにSNSに上げる写真なのだが、承認欲求を拗らせいいね乞食したいわけではないのは承知していた。


 これは自分のための行動ではない。心配かけまいと相手を慮る行動が、ノエルの映え写真撮影だ。


「ありがとう。もういいよ」


 そう告げたノエルは対面に座った。


 向かい合っていただきますをしながら、早速唐揚げを齧りついた。


「うん。美味い。腕をあげたな」


「ほんと?」


「前回指摘したところを、すべて改善できてる。助言したかいがあるな」


「一成くん、くどくどぐちぐちうるさかったからね。教えはちゃんと守りました」


「うるさい言うな。俺はおまえのためを思ってだな」


「だってお兄ちゃんだったら、あんなにうるさく言わないもん。前回の唐揚げでも、素直に美味しいって褒めてくれるから」


「そうやっていいところだけを見て、褒めるだけじゃ人間は成長しないんだぞ」


「一成くんって、お兄ちゃんと違って優しくないよね。本当に双子なの?」


「双子だからこそ、こうも違うんだ」


「優しさは全部、お兄ちゃんに持ってかれたんだ」


「持ってかれたんじゃない。与えてやったんだ。ほら、俺ってイツキの完全上位互換だから。ひとつくらい、俺より評価される美点がないとイツキも可哀想だろ?」


「一成くんはほんと、ああ言えばこう言うね」


 ノエルは呆れたように眉尻を下げながらも、口元からおかしさが零れていた。


 二ヶ月前は、こんな会話をできる関係になるとは、ノエルも思わなかっただろう。


 俺のことを一成くんと呼ぶノエルだが、イツキのことをお兄ちゃんと呼ぶ。それはノエルが兄と認めているのは、イツキだけだからだ。


 ノエルは父さんの再婚相手、その連れ子。顔を合せて三ヶ月も経っていない俺を、イツキのように兄扱いするのは抵抗があるのだ。そして俺は、それでいいとノエルには告げていた。


 瀬川ノエル。カノンとは違いあだ名ではない。カタカタな三文字の本名だ。純日本人でありながら、日本人離れした名前を付けられたのは、親の想いが込められているからだ。


 ノエルが誕生したのは、十月二十日。だからこの子はクリスマスベイビーだと、マタニティハイの勢いで父親がノエルと名付けた。産んだ張本人に相談もなく、勝手に届け出を出したのだ。


 当然、両家族を巻き込んだ大騒動が起きたらしい。相談なく勝手に名前を決めるのは、もちろん大問題だ。だが一番の問題は名前の由来である。


 子供は宿って十月十日で生まれる。だから十月生まれはクリスマスベイビーだと、嘲笑する人間たちがいる。そのノリで覚えていた知識で、この子はクリスマスに宿った子なんだと勘違いしたのだ。


 十月十日は昔の数え方。正しい数え方をわかっていれば、予定通り生まれたノエルがクリスマスベイビーではないのは明白だ。


 つまり、ノエルの生まれにクリスマスはまったく関係ないのだ。


 そんな父親だ。たとえその場は許されたとしても、その後も度々やらかしてきた。その後、ノエルの母親は離婚し、数年後に再婚した。それが俺の父さんというわけだ。


 再婚後、ノエルは温かい家族関係を築いてきた。同じ歳であるにも関わらず、イツキをお兄ちゃんと呼ぶほどに懐いていた。いや、それ以上の感情を抱いていたのだ。


 ノエルは、イツキに選ばれなかった恋愛敗北者、三人衆最後のひとりである。


 本当だったら今頃、父さんの長期出張にお義母さんがついていったから、イツキとふたり暮らしができたはずなのに。前々から決まっていたそれをずっと楽しみにしていた。蓋を開けたら愛する人と同じ顔をした男と、ふたり暮らしをするハメになっていた。


 正直、ノエルには同情している。


 イツキが好みというだけで、頑張って伸ばしたロングヘア。トレードマークのように付けているカチューシャも、イツキからの贈り物。買い物中に軽い気持ちで『これ可愛い』って言ったものを、サプライズプレゼントされたのを後生大事にしているのだ。


 普段すました顔でいるが、イツキから嬉しいアクションを起こされたら、そのツリ目がクリっと開く。学校ではクールビューティーで通っているが、そのときのノエルは小動物のような愛くるしさがある。御縁のような豊かな丘陵を前にしたとき、自身のなだからかな丘を見ながら、ガッカリと嘆息を漏らすのだ。


「あ、お兄ちゃんからだ」


 スマホの画面通知を見たノエルは、すぐに箸を置いた。


 電話が来たわけでもメッセージが届いたわけではない。SNSインスタに上げた写真に、イツキがコメントしたのだろう。


 ノエルが普段、食事の写真を上げるのは、両親がいなくてもちゃんとご飯を作って食べています。と、家族を安心させるためだ。だから食事中、スマホを弄って行儀悪いなんて言うつもりはない。


 耳があったら、ぴょこぴょこ動かすだろう姿は、どこか微笑ましさすら映る。


「そうだ、一成くん」


 スマホは一段落したのか、ノエルは卓上に置いた。


「最近、学校はどう? ちゃんとクラスでは上手くやれてるの?」


「おまえは俺の父さんか」


「お父さんも、学校での一成くんの立場を知れば、同じこと言うと思うよ」


 心配そうにノエルは口元を結んだ。


「一成くん、評判よくないから」


「具体的には?」


「男子たちから目の敵にされてる」


「そうか。俺の認識は間違ってないのがわかったな」


「わかってるなら、なんでそんな普通にしていられるのさ」


「問題ないからだ。なにせ俺には、二股の後ろ盾がある。その盾を飛び越えてまで、俺をどうこうしようとする奴なんて、今までひとりしかいなかったぞ」


「いる時点で相当だよ。大丈夫だったの?」


「なに、奴は今頃、毎晩震えて眠ってるはずだ」


「一成くん、なにしたのさ……」


「放課後に、屋上に来いって呼び出されてな。そいつ、イツキの胸倉を掴んだこともある荒っぽい奴でさ」


「ああ、あの先輩ね」


 ノエルも知っていたのか、嫌そうに顔をしかめた。


「だから二股と共謀して、煽って殴らせその動画で、ってな。おまえが何事もなく卒業できるかどうかは、俺の胸先三寸。イツキと違って俺は優しくないからなって、教育してやったんだ」


「殴らせてって……そこまでする必要あったの?」


「俺に突っかかるとどうなるか。その見せしめの意味も込めてな。二股に噂を流してもらってる」


「へー」


 決して感心できることではないと、ノエルは眉をひそめている。どのような理由であれ、罠にハメて脅すような真似は、ノエルの性格では褒められたものではないのだろう。かといって平気で手を出す輩も擁護できない。そんな微妙な感情だ。


 俺だって最初は、ここまでやるつもりはなかった。屋上に呼び出された要件は察したし、「行くわけないだろバーカ」って放置するつもりだった。でも、イツキを小突いたことがある奴だと知らされたら話は別だ。弟に暴力の矛先を向けたことがあるのなら、兄としてその御礼くらいはしてやりたかった。


「でもさ、やっぱり一成くんも悪いよね」


「悪いって、なにが?」


「そもそも一成くんが、春夏冬さんをぞんざいに扱うから、男子から目の敵にされてるんでしょ」


 ノエルは味噌汁をひとすすりする。


「春夏冬さん、中学校からずっと男子の憧れなんだから。夢中だったお兄ちゃんがいなくなって、やっとチャンスが訪れたぞって喜んだら、一成くんがやってきてさ。ただでさえ、顔が同じってだけで春夏冬さんの近くにいられるのが面白くないのに、その扱いが酷ければなおさらだよ」


 イツキは学園では、男たちから一目置かれた存在だった。相手がイツキならチャンスはないと、春夏冬への憧れは憧れのままで留め、認める形で過剰な負の感情を抱くことはなかった。男子たちもみんな、イツキのことは親しみを込めてイッセーと呼んでいた。


 そして入れ替わりでやってきた俺が、春夏冬をこれでもかとぞんざいに扱うのだ。男どもの不満ゲージが振り切れるのに一ヶ月はかからなかった。その最初の爆発が、屋上の呼び出しだ。


 以上が、俺が男子から目の敵にされている理由である。


「いくら牽制しているとはいえ、そこまで男子たちから嫌われるような真似して、大丈夫なの? 少しくらい、春夏冬さんに優しくしてあげたらいいのに」


「おまえにだって、優しくしてないんだ。春夏冬だけは特別に、ってわけにはいかんだろ」


「それは……ありがとう」


 意味を察したノエルは、目を伏せながら零すように呟いた。


「けどな、笑ってイツキを送り出したやったのは偉いぞ。それはちゃんと認めてるつもりだ」


 認めるものはちゃんと認めている。それを言葉にするのは優しさではない。


 ノエルは辛さと面映ゆさが綯い交ぜになった表情を浮かべる。


「別に……あんなの、ただの強がりだから」


「それでいいんだ。ここぞっていうときに強がれる。その強ささえ持てれば、辛い時期は乗り越えられるもんだぞ」


「それでもさ……やっぱり一成くんを前にしてると、ふと甘えたくなっちゃうんだよね。そんな顔をしておいて、甘えを許してくれない一成くんはほんと厳しい」


「俺はイツキにだってそうしてきたからな。聞かされてなかったか?」


「聞かされてた」


 思い出し笑いをするノエル。


「滑り台、肝試し、川遊び、プールのスライダー。小さい頃、怖がって立ち止まってるとき、いつも無理やり引っ張るか、後ろから押してくる。ほんと兄さんは優しくないんだ、ってさ」


「ま、俺はスパルタだからな」


「でも兄さんが厳しいときは、いつだって僕のことを一番に考えてくれた結果。やってよかったって、最後には必ず思えるって」


「立ち止まってるときのイツキはな、いつだって答えは持ってるんだ。ないのは勇気だけ。だから無理やり一歩踏み出させれば、円満に収まるんだよ」


 そのすべてをわかったような口ぶりに、


「一成くんってほんと、お兄ちゃんのお兄ちゃんしてるんだね」


 ノエルはどこか羨ましそうに頬を綻ばせた。

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