07 ここで謎掛けをひとつ
放課後。
二股はホームルームが終わった瞬間、「じゃ、また明日」とだけ言って、急ぎ足で帰っていった。
足を止め雑談を興じる相手もおらず、掃除当番もなければ部活も入っていない。そのまま真っ直ぐと帰ろうとしたら、
「あ……」
教室を出てすぐ、バッタリと会った
御縁は、春夏冬や小林とは正反対のタイプである。人の輪の中で盛り上がるよりも、教室の片隅で本を嗜む。自分に自信を持っていないせいか、いつも肩が縮こまっており、実物大よりも小柄な印象を受ける。胸さえ張れば、それが春夏冬にも勝るものだと誰の目にも映るはずなのに。御縁が隠れ美人にして隠れ巨乳であるのを知るのは、一部の生徒だけである。
こうして間近で顔を合わせたのは、実に二週間ぶりだ。右手には学生鞄が、左手には本やノートなどを胸元で抱えている。
こちらが声をかけようとすると、御縁は黙礼だけをして、慌てて回れ右をした。まさに会いたくなかった人間から、逃げるようなそぶりである。
「あんた、御縁さんになにしたのよ」
いつの間にか背後に立っていた春夏冬が、ジトッとした目で睨めつけてくる。
心外だというように眉根を寄せた。
「なにもしてないぞ」
「嘘よ。なにもしてなかったら、あんな風に逃げられるわけないでしょ。酷いことをしたに決まってるわ」
「酷いことって、具体的には?」
「胸に手を当てながら、今日まで私にしてきたことを思い出してみなさい」
「優しく頭を撫でて、慰めている俺の姿が浮かんできた」
「記憶の改竄をするな!」
「記憶の消去をするな。朝に一回、やってやったろ」
「ぐぅ……」
唇を強く結んで、春夏冬は肩を震わせた。
「絶対あんた、私にしてきたみたいに、御縁さんに酷いことしてるわよ。それだけは確信をもって言えるわ」
「同じように扱えるわけないだろ。御縁はおまえと違って繊細なんだ」
「その言い方じゃ、私ががさつみたいじゃない!」
頬を膨らませた春夏冬は、俺の胸をポコポコと叩いてくる。持っていた鞄を手放してまで叩いてくるのだから、その怒りは大きい。
「いててて! 暴力に訴えかけるのは止めろカトー。別にがさつな女なんて、思ってないから」
「じゃあ、私をなんだと思ってるのよ?」
「粗雑に扱っても大丈夫な奴――いててて、だから暴力は止めろって」
むくれている春夏冬に顔を掴んで、無理やり引き離す。御縁に同じことをやられたら、俺はどうするだろうか? きっと肩を掴んで引き離したんだろうな、と自問自答する。
肩で息をしている春夏冬は、恨みがましい目を向けてきた。
「それで、御縁さんに酷いことした身に覚えはないの?」
「酷いことか……」
俺は顎に手を添えながら、御縁としてきた会話を思い出す。
御縁とはクラスが違うから、顔を会わせる機会は少ない。それこそどちらかの働きかけがなければ、廊下でバッタリ会わない限り、交流しようもないのだ。
転校当時は、遠目から御縁がこちらの様子を窺っていることが、ままあった。その子が御縁華香だとわかってから、話しかけたのが交流の始まりだ。
その初めての交流で、御縁がイツキを想い続けてきた乙女であることを知った。
春夏冬のように自身の魅力を理解できないあまり、自分に自信を持てない女の子。中学時代から想い続けてきたイツキを追いかけて、将継学園を選んだ。イツキとは別のクラスだったから、中学からの仲良しは教室にはいない。消極的な性格の御縁には、将継学園の環境は過酷だった。イジメもなければ無視もないが、教室内での仲良しグループに属することができず、ひとりポツンと、教室の片隅で本を読む学園生活を送っている。
そんな御縁を、春夏冬と同じように扱うなんてできるわけがない。同じように扱おうものなら、登校拒否に追い込みかねない。
御縁もまた、俺にイツキの面影を求めている。だから春夏冬にもしたように、最初からしっかり釘を刺した。
「俺はイツキじゃない。あいつの代わりになるつもりもないし、代わりのように振る舞われても嫌だろ? 折り合いを点けるのは大変だとは思うが、それだけは忘れないでくれ」
この台詞を吐くのは既に三回目。一回目に使った言葉を、テンプレートとして流用しているのだ。
「はい。イッセーくんの代わりは……どこにもいません」
自分に言い聞かせるように、御縁は胸の前で両手を重ねた。まるでそこに、イツキへの想いが秘められているかのようだ。
弟を愛してくれた女の子だ。優しくはできないが丁重に扱った。
クラスは違うから、機会を作らない限り毎日に会うことはない。かといってお互いの教室に相手を探すようなことはしてない。顔を見かけたらなるべくこちらから話しかけ、軽い世間話に興じてきた。いつかイツキへの想いを乗り越えられるように、力になってやりたかったのだ。
「……もしかして、あのときかな?」
「やっぱり心当たりがあったようね」
ほら見なさいと言うように、春夏冬は眉をひそめた。
「酷いことをしたつもりはないぞ? ただ、御縁を笑わせようとしただけなんだが……よく考えれば、御縁と顔を合せたのはあれ以来だからな」
「そのときやらかしたから、意識的に避けられたんじゃないの?」
「そうなのか?」
「いいから、その心当たりを言ってみなさい。世界で一番あんたに酷いことをされてきた私が、判別してあげるわ」
「一番の女が力になってくれるなら、心強いな――いて!」
春夏冬は金槌を振るうように肩パンしてきた。
御縁と最後に会った、二週間前のことを思い出す。
春夏冬とは違い、御縁はイツキを求めすぎないよう自制している。だから俺も安心して御縁を相手してきたから、それなりに気心が知れてきた。
それでもやっぱり、俺の顔を見るとイツキのことを思い出すときがある。御縁が面差しに影を落としたので、それを慰めるのではなく、一発ギャグで笑わせようとしたのだ。むしろ天才的な閃きをしたので、披露したかった。
「ここで謎掛けをひとつ。『御縁華香』とかけまして、『瀬川一生』と説きます」
「……その心は?」
御縁はおずおずと問いかけてくる。
「この度は、『
「は、はは……とても、お上手ですね」
以来、今日まで御縁と顔を合わせることはなかった。
「あんたは鬼か」
春夏冬はドン引きしたように、顔を強張らせている。
世界で一番の女がこの態度なら、やっぱりあの謎掛けは不味かったのかもしれない。
「我ながら上手いことを言えたと、満足したんだがな」
「あんたには優しさ以前に、人の心がないの?」
「……もしかして謝罪案件か?」
「当たり前じゃない!」
春夏冬は当事者のように憤った。
今から追いかけようにも、御縁の姿はもう見えない。春夏冬の相手をしている内に、校舎をもう出たかもしれない。
仕方ない。明日謝るか。
ふと、御縁が去っていった方角の床に、なにかが落ちていることに気づいた。
拾ってみると、それは手帳であった。A5サイズで、ベージュのレザーカバーで覆われている。
「なにそれ」
「御縁の手帳だな。持ってるところを何度か見たことある」
横から覗き込んできた春夏冬に、そう答えた。
左手に本などを抱えていたから、慌てて立ち去る際に、間から滑り落ちたのかもしれない。
「これを返すついでに、明日謝るか」
「それがいいわ。でも、中身は見ちゃだからね」
「ほー、なるほど。読書記録か」
「言ってる側から読んでるんじゃないわよ!」
手帳を取り上げようとする春夏冬の顔を掴み、遠くに押しのける。それでも必死に両手を伸ばし、ツインテールを振り回しながらじたばたする様は、新手の妖怪のようだった。
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