06 ありがとう、兄さん

「で、今年はどのくらいチョコ貰えたんだ?」


『うーん……今ので何個目かな』


「おいおい、そんなに貰ってるのか? モテる男は凄いな」


『卓と一緒にいるからだよ。僕はただの、そのおまけ』


「おまけでも凄いぞ。俺なんてゼロだからな」


『ははっ、やっと兄さんに勝てるものができた』


「おう、負けだ負けだ。しかも今からマイナス1になるんだぞ」


『マイナス?』


「カノンがチョコを作れって、駄々をこね始めてな。今からその材料を、買いに行くところだ」


『あの兄さんを振り回すなんて、相変わらず凄い人だね』


 情景を浮かべているのか、クスクスとおかしそうな声が聞こえてくる。それもすぐに、力ないものに変わっていった。


 なにか言いたげにしているが、それを言い出せない。そんなウジウジしている弟の姿が目に浮かんだ。


「イツキ」


『なんだい?』


「そうやって踏ん切りがつかないせいで、その場でぐずぐずするのはガキの頃から変わってないな」


『……兄さん』


 電話をかけた理由を見抜かれたことに、イツキは呆然とした。


 昔からイツキは、一歩踏み出すことも、引くこともできないせいで、その場でとどまり続けることが多々あった。一緒に遊んでいる奴の中にいたら疎まれやすい、いわゆる愚図と扱われる内気な性格だったのだ。


「いいこと教えてやる。学校なんてな、少しサボったくらいで、後悔するほど辛いことなんて起きないぞ」


 愚図っている弟の扱い方は、昔から決まっている。


「むしろお利口に授業を受けたほうが、辛い後悔をするだろうな」


『……なんで?』


「おまえの中で、とっくに答えが出てるからだ」


 やるならやる。やらないならやらない。それをハッキリさせず決断できない。でもこういうときのイツキはいつだって、自分の中に答えはあるのだ。


 前に進みたい。でもそれが怖い。一歩踏み出す勇気がない。


 そんなイツキを前にしたとき、俺は声をかけて勇気づけたことはない。やることはいつだって、強引に後ろから押したり、前に引っ張ったりするだけだ。


 でも今は、それができない。


「俺は今、そこにはいないからな。いつものようにはしてやれんぞ」


『うん……わかってる。でも、今は手持ちにないものを、兄さんに分けてもらいたくてさ』


「なにをだ?」


『僕の勇気はなぜか、いつも兄さんが持ってるんだよね』


 不思議そうにイツキは言った。


 俺の勇気を分けて欲しいのではない。イツキの勇気の在庫は、いつだって俺が抱えていると信じている。その場にいなくても、今は声だけでも十分だからと頼ってきたのだ。


 偉大な兄を頼れば、すべて上手くいく。それを信じている弟の願いを、裏切ることだけはしない。


「イツキ、後悔したくないなら、さっさと女の尻を追いかけろ。大丈夫だ、必ず上手くいく。なにせおまえは、この俺の弟だからな」


『うん。……ありがとう、兄さん』


 それだけ言い残し、イツキは電話を切った。


 朗報が飛んできたのは、それから数時間後の話である。




「ということがあったんだ」


 あの日起きたことを、俺は三人に語った。


 イツキがらしくない行動を取った。


「あー……そういうこと」


「なるほどなー」


 小林と二股は長らく空白だったピースを与えられ、ようやくハマったと納得顔だ。


「「つまり……」」


 示し合わせたわけではないのに、声を重ねるふたりは恐る恐るその視線を、俺の隣の席へと向けたのだ。


「全部、あんたのせいかー!」


 ついに見つけた諸悪の根源を前にして、春夏冬は怒りを爆発させた。その手に包丁が握られていたら、迷わず振り下ろされるに違いない。


 初めて俺は、女子に胸ぐらを掴まれている。


「まさか弟の恋のキューピットになる日が来るとは。こういうのは、ちょっと面映いな」


 俺は一切悪びれず、照れ笑いを浮かべた。


 一方春夏冬は般若の形相だ。


「持ってる矢を全部差し出しなさい。その眉間に今すぐ突き刺すから」


「おいおい、逆恨みはよせ」


 胸ぐらを掴まれているくらいで俺は怯まない。腕組みする余裕すら見せつけた。


「俺はただ、愛するものも追いかけたいという弟の背中を押しただけだ。その結果がこれ。そして友の忠言を無視した、自業自得な愚か者の末路がこれだ」


「う……うぅ」


「それでも己の正しさを示す反論があるなら、いくらでも聞いてやるぞ」


 胸倉を掴むその手から、力が抜けていく。


 勝敗は決したようだ。


 机にまた顔を埋めながら、選ばれなかった恋愛敗北者まけいぬは、似つかわしい姿でわんわん泣くのであった。

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