05 鈍感系主人公

 俺たちの両親は、小学校五年生のときに離婚している。その際に、イツキは父親に付いていき、俺は母親に付いていった。


 父さんは、俺たちが中一のときに再婚した。向こうは同じ年の娘連れだったが、四人仲良く幸せな家庭を築いていた。イツキにとって新しい家族は、手を取り合えるかけがえのない存在だったのだ。


 一方、母親のほうは独身になった瞬間、彼氏を作っては別れを繰り返していた。いわゆる母親から女に戻ったのだ。子供なんて邪魔でしかないはずなのに、父さんに全部持っていかれるのが悔しいというちっぽけなプライドが、子供を手放すのを拒んだのだ。


 俺は中学校以降、ろくに学校へ通っていない。高校も通信制だ。それは母親があれだからという問題もあるが、一番の理由は、その地で親友ができたからだ。


 カノン。日本人らしい本名はあるが、俺はあだ名でそう呼んでいた。


 生まれながらの天才児。ギフテッドのカノンには、小学校の授業は退屈だった。だから小学校からろくに学校へ通っておらず、ずっと友達すら作らず生きてきた。


 色々あって……というほどでもないが、カノンと出会ってからはずっとふたりでやってきた。家には帰らずカノンの家に入り浸り、カノンから勉強を学び、それと引き換えのようにカノンの身の回りを世話してきた。


 その生活はとても楽しかったし、有意義だった。優雅な日々を送っていたと言っても過言ではない。


 イツキから電話がかかってきた日も、やはりカノンと共にいた。


 昼食の洗い物が終わり、一息ついて部屋に戻ったら、


「イッセイ、チョコレートが食べたい」


 藪から棒にカノンがそんなことを言い出した。


 バレンタインなのは承知しているが、男に求めるものではないだろ。


 そんなことを言っても無駄なのはわかっている。


「今から買ってこいってか」


 窓の外は吹雪いていた。出歩けないほどではないが、こんな天気の中で出歩きたくない。


「折角だから作ってよ。去年みたいにさ」


「そういうのはせめて、前日に言え」


「だってバレンタインって、今気付いたんだもん。そしたらほら、食べたくなるでしょ?」


「だったら市販でもいいだろ。企業が努力して生み出したものは、手作りより美味いぞ」


「えー、手作りがいいー」


 駄々を却下された小学生みたいに、カノンは口を尖らせた。


 ベッドの上で仰向けのまま、カノンは本を読みながら足をバタバタさせた。


「作って作ってー」


「おまえは子供か」


「十六歳は子供だもーん」


「十六歳だっていうなら、せめて年相応の駄々をこねろ」


「食べたい食べたいー! 僕、手作りのチョコ食べたいのー。お願いお母さん、作ってー!」


「誰がお母さんだ!」


 図書館の本を投げ出したカノンは、全身を使ってジタバタと駄々をこねる。


 普段は理知的なのに、こういうときは子供っぽい面を演じる。それで駄々が通るとわかっているから、こうなったカノンは厄介なのだ。


「わかったわかった。作ればいいんだろ」


「やったー!」


 元気いっぱいに、カノンは上半身を起こした。


「言っとくが、今から買い物行って、それから作るんだから時間はかかるぞ」


「いいのいいの。こういうのは季節イベントのノルマだから。今日中に食べられればそれでいいよ」


「ったく……なに作るかなー」


 お菓子の類は、カノンに散々作らされているから、今更失敗の心配はない。問題はなにを作るかで、そのレシピだ。


 こういうときこそユーチューブだと閃いた。料理系ユーチューバーたちが、こぞってバレンタイン向けの動画を上げている。その中で手軽に作れそうなものを探せばいい。


 スマホを取り出し、タップした瞬間、丁度かかってきた電話を取る形になった。


『わ、兄さん!?』


 かけてきた本人が、驚きの声を上げた。


『え、なんで、どうして?』


 一瞬で電話を取られたことに、不可思議な体験をしたように驚いている。


 こういうとき、たまたまスマホに触った瞬間、と言わないのが偉大な兄であり続けるコツだ。


「なんとなく、かかってくる予感がしてな」


『かかってくる予感って……』


「で、なにかあったんだろ?」


 間髪入れず尋ねると、向こうからハッとしたような息を飲む音がした。突いたつもりのない図星を突いたのだろう。


 それに遅れて、なにかあったのだと感づいた。学校の昼休みに、わざわざ電話をかけてくるのだ。世間話を求めているわけがない。


『……兄さんには敵わないな』


「一生付き纏うことを、一々気にしてたらキリないぞ」


『僕は一生兄さんに追いつけないってこと?』


「アキレスと亀を知ってるか?」


『兄さんと違って博識じゃないから』


「今俺がいる場所にたどり着くことはできても、俺はいつだってたどり着いた先にいる。追い抜くことはできないってことだ」


『僕は一生、兄さんの背中を眺めることしかできないのか』


「そういうことだ」


 尊大な態度で告げると、おかしそうな笑い声がした。


 このくらいでイツキは、俺に劣等感を覚えたりはしない。なぜなら俺は、いつだってイツキにとって偉大な兄だからだ。


 笑い声が落ち着くと、零すようにイツキは言った。


『今日さ、白雪が旅立つ日なんだ』


「ああ、あのおまえを振った女か」


『そう、僕を振った女の子』


 空元気をそのまま音にしたような声だった。


 ただ、未練がタラタラなのではない。まだ諦めきれないのが伝わった。


 いつだって弟の考えはお見通しだし、なにを悩んでいるのかもわかるのだ。


 なぜなら俺はイツキの偉大な兄。俺はそれを演じ、イツキはそれを信じているから、こうして電話をかけてきた。


「どうだ、みんな慰めてくれてるか?」


『うん。さっきもね、失恋の気晴らしに付き合ってくれるって、天梨からチョコを貰ったんだ』


「天梨って、あの金髪美人のか? そんな子からチョコを貰って、デートを取り付けるとか、我が弟ながらやるじゃねーか」


『義理だよ、義理。天梨は優しいから』


「もしかしたら本命かもしれんぞ?」


『ないない。それはない。だって中一からの付き合いなんだよ? 態度でそうでないかくらいわかるよ』


「そうか。そいつは残念だな」


『うん、残念だ』


 お互い軽口を叩くように、うっすらと笑った。


 ――今こうして振り返れば、春夏冬の好意に微塵も気づいていない。我が弟はどうやら、鈍感系主人公のようだ。


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