第4話 眼鏡秘書と無人島

「この展開は想像していなかったな」


 俺の前には白い砂浜があり、その先にはどこまでも広がる青い海があった。

 背後には鬱蒼と木の茂るジャングルがあり、獣や鳥の鳴き声が聞こえてくる。


 空を見上げると、太陽がギラギラと照りつけていた。

 南国らしい気温で、ムワッとした風が吹いてくる。


 これがバカンスなら最高なんだけど、そんなわけない。

 ここは無人島で、その他にはなにもないんだから。


 コール・アルカディア【箱庭の理想郷】は異空間に世界を創造する、学園長にしかできない固有魔法だ。


 この世界での一日は現実での一時間にしかならない。

 原作でも主人公や仲間の修行に使われている。


 ただ、強力な魔法には当然デメリットもある。

 一度発動すると、この世界で一年が経過しなければ現実に戻れないのだ。


 たとえなにが起こったとしても。


「ハァ……本当にあの人は……」


 すぐ近くでセレスがうなだれている。いきなりこんなところに放り込まれたら無理もないか。


 黒髪のポニーテールが潮風になびき、眼鏡がギラギラと照りつける太陽を反射している。


 タイトスカートとスーツが、汗でべたついて暑そうだ。


「巻き込んですまない。こうなったからにはお互いに協力するしかないな」


 そう言って握手をしようとセレスに手を差し出した。


 この無人島には俺たちしかいないんだから、力を合わせてサバイバルする以外の選択肢がない。


 正直に言ってしまうと、男女二人っきりというシチュエーション下心はあるけれど。


 俺だって男だからね。


 でも、そんな淡い期待は早くも打ち砕かれた。


「やめてください。はっきり言っておきますが私は貴方が嫌いです」

「ずいぶんな反応だな。俺になにか恨みでもあるのか?」

「自分のやったことを覚えていないのですか。どうやらニワトリ以下の記憶力のようですね。あきれ果てます」

「……勘違いがないように聞いておきたいんだが、俺はなにをしたんだ?」

「入学式のあとで私のお尻を触ったこと忘れていませんよ。生徒のイタズラだとか言い訳していましたが騙されませんから」


 俺ってそんなことまでしてたの!?

 学園長の秘書にまで手を出すとか、性欲モンスターすぎる。


 記憶をたどったら、そしたような気もするけど完全に忘れていた。

 これは嫌われて当然だな。


 無人島生活が早くも暗礁に乗り上げてきた。


「な、なるほどな」

「なんですか。ジロジロ見ないでください」


 それはともかく、セレスのお尻は大きくて揉みごたえがありそうだ。

 胸も大きいし、どうしてもそっちに視線がいってしまう。


 あー、これはヘイズから悪い影響を受けてる気がする!

 こいつしゃべり方は堅いのに、頭の中はめちゃくちゃピンクだ。


 むっつりスケベとはこういう奴のことを言うんだろう。

 自分のことながら恥ずかしくなってきた。


 とにかく今はこの状況をなんとかしないと。

 俺はセレスの顔を見ると、


「あの時のことは本当にすまなかった。この通り謝る!」


 流れるような動きで土下座していた。


 こういう時は素直に謝罪するのが一番なはずだ。

 ヘイズは自分が悪くても絶対に謝らないキャラだったから。


 まさか日に二回も土下座することになるとは思わなかったけど。


「なんでもそれで許されると思ってませんか? パフォーマンスに頼ってくるのは不快です」

「言葉もない。だが俺にはこれしか誠意を示す方法が思い浮かばない」


 冷たい目でセレスが見下ろしてくる。

 ちょっと興奮してきたけど、それは黙っておこう。


「おかしな魔法薬でも飲んだようですね。以前の貴方ならそんなことはしなかったはずです。生徒どころか自分にすら興味を持ってないようでしたから」

「信じられないかもしれないが俺は心を入れ替えたんだ。これからは学園と生徒のために生きると誓う。だから力を貸してくれ」


 嘘は言ってない。

 実際俺はヘイズに転生した別の人格なんだから。


 セレスの信用を得ることで、バッドエンドを回避できるなら、土下座くらい何百回でもやってやる。


「……はぁ、まあいいです。貴方を鍛えるように学園長から言われたわけですから。最低限の協力はしましょう」

「俺を許してくれるのか?」

「いいえ。ですが熱意があることは認めましょう。もう私を失望させないでくださいね」


 大きなため息をつきながら、セレスはチラッと俺の顔を見た。


 この変態セクハラ野郎という視線は消えていないが、ここに来た目的はなんとかなりそうだ。


 まだなにもやってないのに、疲労感がすごいんだけど。


「では特訓開始といこう。セレスさん、まずはなにをするのか教えてくれ」

「私のことは教官と呼びなさい。それとどんな指示でも文句を言わずに従うこと。これを守れないなら手を貸しません」

「承知した。絶対に守るから俺を強くしてくれ教官」

「まずは腕立て伏せ、腹筋、スクワットを百回ずつです。始めなさい」

「わかった。一……二……三……」


 俺は上着を脱いで動きやすい格好になると、その場で腕立て伏せを始めた。


「十……十一……ハァハァ……十二……」


 十回をすぎた頃から、早くも腕がキツくなってくた。ヘイズのやつ体力がなさすぎないか?


 なんでも魔法に任せて、自分の手足を動かしていないのがバレバレだ。

 これだといざって時に走れないだろ。


「十七……十八……十九……ぐっ、キツいな……

「魔法使いは研究にかまけて体力作りをおろそかにする者が多い。実戦での強さを求めるなら筋力トレーニングから始めるべきです。常に敵と距離を取って戦えるわけではありませんから」

「なるほどな……二十二……二十三……」


 このひどい体力不足を考えれば、セレスの指示に文句は言えない。

 問題は早くも俺の心が折れそうなことくらいだ。


 それでも気合で頑張って、各メニュー百回ずつが終わった。

 もう全身ガタガタだ……。


「ハァハァハァ……お、終わったぞ」

「休んだら次はこの島を走って一周してください。いまは昼頃ですから夜までには帰ってくるように」

「あ、ああ」


 そんなに大きな無人島じゃないが、二、三十キロはありそうだぞここの砂浜。

 なんか意識が遠くなってきたんだが。


「努力と根性、だな」


 だがここで逃げるわけにはいかない。

 ヘイズの一番嫌いな言葉を言って、自分に発破をかける。


 俺はスクワットでパンパンになった太腿を動かしながら、白いビーチを走り始めた。





 それから六時間後、走り終わった俺は大の字で砂浜に寝転んでいた。

 もう全身が痛くて動けない。


 ヤバい。修行ってこんなにキツいのか。

 原作の主人公は魔法の訓練ばかりだったから、このノリは考えてなかった。


 空を見たらもう太陽が沈み始め、空が藍色になってきている。


「だいぶ時間はかかっていますが、まあいいでしょう。今日の鍛錬はここまでです」

「それは有難い。もう一歩も動けないからな……」


 セレスが魔法で簡単な小屋を作り、そこに泊まることになった。

 夕食は俺が走っている間に集めた、果物と焼いた魚だ。


 味付けは海水から蒸留した塩だが、めちゃくちゃ美味い。

 空腹は最大の調味料ってこういうことなのかも。


「魔力がもったいないので早く寝ましょう。私は隣の小屋にいますが絶対入らないように。入った場合は殺します」

「わかっている。おやすみ」


 ヘイズの肉体から夜這いしたい衝動が湧きあがってくるが、もう身体が限界だ。

 目を閉じると俺の意識は一瞬でブラックアウトした。





 それから一ヶ月間は、ひたすらトレーニングだった。

 セレスの用意したメニューはキツかったが、おかげで体力はついた。


 そしてついに──。


「今日から魔法の鍛錬に入ります。よりハードなメニューになりますが覚悟はいいですね?」

「ようやくか。待ちくたびれたぞ」


 ここまで長かったが、ようやく本格的な訓練ができそうだな。


「それでどうするんだ? 魔力量を増やすのか? それとも魔法属性や効果のランクを上げるのか?」

「両方同時にやります。もう知っているでしょうが、この島には魔法生物が多数生息しています。彼らたちと戦ってもらいましょう」


 やはりそうきたな。

 魔法生物とは生まれつき魔力を持った生き物だ。


 魔法使い同様物理法則に反した動きが可能で、炎を吐いたり拳で壁を砕いたりできる。


 凶悪な魔法生物には、国から討伐依頼も出されるくらいだ。

 学園でも危険を回避するために、魔法生物学の授業がある。


「そいつらが当面の相手をいうことだな」


 走り込みや食料を探している時に、ファングウルフやニードルスライムと遭遇したこともある。


 海にもシーサーペントみたいな狂暴なやつがウヨウヨいる。


 原作の主人公はサバイバルしながら、戦うことで強くなったわけだ。

 リスクは高いが、少しワクワクしている自分もいる。


 この世界に来てついに、自分の魔法を試すことができるから。


「行くとするか。ついでに食料も集めておこう」

「意外と驚いていないですね。いまの貴方ではキツい魔物ばかりだと思いますが。言っておきますが死にかけても私は助けませんよ」

「ここでビビるなら学園長に頭を下げてない。俺の成長に驚くなよ教官」


 俺は杖を持ち、魔物ひしめくジャングルに入っていった。







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