第11話:秘密
頭が沸騰して、今すぐ服を脱ぎたかったのに、どうしても止められた。
「まったく、若いよ」と笑われる。自分だって少し勃ってるくせに。
「白状してください。本当は何なんですか。どうしてその、僕のこと」
「悪かった。だから謝ってるじゃないか」
「全然謝ってない」
「心の中では謝ってた」
「だから何を?」
「君を、その・・・からかったというか、・・・
「もてあそんだ」
「悪かったよ本当に。いろいろ、あって、その・・・何ていうか、・・・はけ
「別にいいです。僕だって美味しいもの食べたし、すごい車にも乗ったし。・・・で、でも、下の名前とか・・・知ってたんですよね」
「ああ知ってたよ、調べたからね。・・・でも直筆が欲しかった」
「・・・は?」
「今後もし何かあった時、直筆の署名がいろいろ役に立つこともある。使わないに越したことはないけど」
「何ですかそれ。僕をレイプして、同意の上ですって念書のサインに使う?」
「は、ハハッ、そんなことまったく考えてないよ、そんな元気でもない」
・・・何だか、自分だけ期待してしまったみたいで悔しくて、でも、こういうのを『弄ぶ』っていうんだよなと思い、だったら弄ばれたくはなかった。
それで、つい。
「奥さんは孕ませたくせに」と、言ってしまった。
返事の代わりに榛名は深い溜め息を吐いた。
バーボンの甘苦いにおい。低いグラスを傾ければカラランと氷が鳴る。
たっぷりの沈黙のあと、「ダメなんだ」と榛名は言った。
性行為はできるが、精子に問題があって、子どもはできないのだと。
「最初の結婚で子どもができなくて、検査に行ったら妻に問題があるとわかった。でも、なぜかぼくも受けることになって、そしたらぼくの方も不妊だと言われた。それは妻には言わないまま、結局別れた」
「・・・」
「次の相手は、子どもは要らないって人で、だから言わなかった。お互い干渉せず、どちらの異性関係にも口を出さず。だから彼女のことも別に・・・。でも妊娠のことがあって、『やっぱり子どもが欲しかったのね、それは反則でしょ』ってなじられたよ。男女関係はあったけど、子どもは・・・100%違うのに。だってタネがないんだから」
「・・・それじゃあ、誰の」
「うん。・・・彼女がその時付き合っていた、別の男だよ」
「え、そんな。でもそういうの、DNAとか調べればわかるんじゃ」
「ううん、彼女もそれはわかってるんだ。でもぼくは籍を入れる。書類上は」
「どうして?」
「それが落としどころだから」
それからなぜか榛名は、ビジネス論を語った。
自分たちのような新規の経営者はビジネスをイチから我が子のように育てるが、大きく育てば育つほど、それは政府の人質になる。政府への献金が足りない新参者には防御力がなく、ほんの0.1%の税や補助金の変更で影響を受ける。それを意図的に、ピンポイントで、他の情勢にかこつけてやられれば、完全犯罪的にいくらでもビジネスは潰せる。
榛名が言ったのはつまり、政府が榛名のビジネスを潰すと脅し、仕方なく別の男の子どもを孕んだ女と結婚する・・・ってことだ。
なんでこんな話をしたのか。
「別の男」というのが、政治家ってことなんじゃないか?
しかも、清純派美人女優と結婚できない政治家。・・・既婚者か。女優の男の趣味を考えればそこそこ若手だろうから、もしかしたら父親や一族が大物ってこともある。
・・・ああ、まさかそれで榛名は社長業から退き、万が一の際の影響を最小限にしようとした?
「いずれ頃合いを見て離婚することは決まってるんだ。その慰謝料と事業と、天秤にかければ比べ物にならないほど安いから、こっちを選ぶしかない」
前の慰謝料も払い終わってないのにと笑うので、「前の奥さんはこのことは?」と訊くと、真相は話していないという。
「どこの誰にも話してないんだよ。つまり、その・・・出来ないってことは。今初めて言った」
「・・・」
「思ったより馬鹿なんだ。効率だの合理化だの言いながら、最後にはこんな馬鹿みたいなプライドで・・・。そんなものを死守することでしか、自分が保てない」
「・・・でも前の奥さんに言わなきゃ、榛名さんが悪者になる」
「いいんだそんなことは。関係があったのは事実だし」
「事実でも、子どもができるはずがないって前提なら、話は変わるよ。前の奥さんはさ、今も自分が裏切られたと思ってるんでしょ?それって結構、つらい気がするけど」
「・・・」
「それでも、言わない?」
「・・・言わない。言えない」
「そっか」
柔らかいソファの隣に座り、少しもたれかかると、抱き寄せてくれた。
総資産200億の男は、人格者でもなく、合理的な人間でもなく、子どもはできずにビジネスを『我が子』として育て、しかしそれを人質に取られて慰謝料を払い続けている。
何だか馬鹿で可哀想でクズで切実で、どうしても求められたくなってしまった。
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